暗い空に浮かぶ満天の星空の下、大きな水溜り、海を進む一隻の船があった。 シルビア号、と呼ばれるその船から、海を眺める一人の少女。 船が進むことによって風が生まれ、少女が被る赤い帽子や服、帽子の下から両サイドに垂れる三つ編みが揺れる。 少女の表情は、星々の輝きとは違い曇っていた――目を伏せ、ぼーっと海を眺め続けていた。 ふぅ、と一息少女が零した時、背中から扉が音を立てて開いた。 船室の扉であるそこから顔を出したのは、少女、ベロニカよりもずっと背の高い青年、勇者イデアだった。 扉が開いた事にベロニカは全く気が付いていないらしい。 振り向く事なく相変わらず海を眺め続け、何かを言う事も無くもう一度一息零した。 イデアの目に映るベロニカの姿は、今にも消えてしまいそうな程弱々しく見えた。 綺麗に輝く星々が、普段の明るいベロニカの輝きを吸い取っているようにさえ思えた。 今のベロニカを包み込んでいるのは、彼女が眺め続けている海にも思えた。 ベロニカ、と優しく声をかけるイデア。 彼女の顔が、その時ようやく海からイデアへと向けられた。 曇っていた表情は、驚いた表情へと変化する。 「イデア、どうしたの?夕食の時間?」 先程まで弱々しく見えていたベロニカは、普段のような明るい声でイデアに問いかける。 しかし、イデアの瞳には今の今まで見せていた弱々しいベロニカの姿にしか見えなかった。 今は微笑んでいるベロニカだが、隠しきれていないのだろう先程の弱々しさを彼はどことなく感じ取っていた。 イデアは何も言わずに、ベロニカと目線を合わせるためゆっくりと跪く。 そんな彼に、ベロニカは再び驚いた様子でイデアを見た。 やはり先程まで見せていた弱々しい姿をイデアは忘れられなかった。 何かあったのか、理由を頭の中で探して見るが、これからしようとしている事以外思い当たることがなかった。 戦いの準備を終えたら、ラムダへと赴き、身体を休める。 ――そうして一行は、輝かしい空に浮かぶ禍々しいオーラを放つ邪神、ニズゼルファに戦いを挑もうとしているのだ。 “邪神に挑むのは怖いわ” でも絶対逃げたりしない、少し前ベロニカがイデアに話した言葉だった。 その時の様子を思い出して見るが、ベロニカの表情は決意で満たされていると感じられるものだった。 怖い、と言いながらも怖がる様子を表に出さなかった彼女、瞳には強い光が宿っていたのを鮮明に覚えていた。 『……怖いのかい?』 穏やかな声で、イデアはベロニカに問いかけた。 図星とでも言いたそうに驚いた表情を見せると、ベロニカはイデアから顔を背ける。 再び海を見つめ続け何も言わないベロニカを見て、イデアは再び別の日の事を思い出した。 シルビア号に乗り始め、暫く経った頃の事だった。 今と同じように、ベロニカは船の上から海を眺めていた。 船室から出てきたイデアがベロニカに話しかけた時、ベロニカは話してくれたのだ。 “海は弱い心を洗い流してくれる”と。 今のベロニカはその状態なのだろうとイデアは思った。 絶対に逃げない、という意思は変わっていない事は表情から伝わってくる。 しかし、恐怖に押しつぶされそうになっているのだろう。 海が包み込んでいるように思えた事、そして今も海を見るベロニカを見ればそれは明らかだった。 暫く何も言わなかったベロニカが、イデアを見るとゆっくり頷いた。 怖い、とイデアの問いかけに答えた瞬間。 そうして彼女は小さく声を出した。 船が進む事によって生まれる音にかき消されてしまいそうな、小さな声で。 「だから海を見てたわ……弱い心を洗い流してもらうために」 イデアがたった今思い出していた言葉だった。 怖い、という彼女の中に生まれた弱い心。 海がそれを洗い流してくれる、そう話してくれたあの日と同じ言葉。 イデアはベロニカが話してくれた事を嬉しく思い、穏やかに微笑んで見せた。 そしてベロニカの背に片手を回し、彼はゆっくりと自分の元へと彼女を寄せ、優しく抱き締めた。 『……ボクも、怖いよ』 「イデア……」 『でも、逃げない。……ベロニカと同じだ』 自分と同じだというイデアの告白に、ベロニカはふふ、と笑って見せた。 イデアに全身を預け、ベロニカは目を閉じる。 そうして彼の温もりをしっかりと感じながら、言の葉を告げた。 「逃げる、なんて言ったらあたしの魔法で燃やすところよ」 『ははっ…大丈夫、絶対逃げない。……みんなを、ベロニカがいてくれる世界を守るために戦うよ』 「バカ……あたしだって、アンタがいてくれるこの世界を……みんなや、イデアの事、何があっても守るわよ」 そう言い合い、誓い合い、二人は幸せそうに笑った。 先程まで弱々しかったベロニカの面影は、もうそこにはすっかりなかった。 その時、船室から響いてきたシルビアの夕食を知らせる声。 二人は驚いた様子で慌てて離れると、揃って船室の方を見た。 今までの会話などを見られていない事にイデアが安堵した時、頬に柔らかなものが一瞬だけ触れる。 ありがと、と背を向けて言うベロニカ。 そんな彼女の背を暫く見続け、頬に触れたものが何だったのか気付いた時、イデアは先程以上にベロニカを守ると誓うのだった。 2017/12/11 海を見てると弱い心を洗い流してくれるっていうベロニカちゃんの台詞から書きたいと思ったお話。 普段は怖いって言いながらも強く見せるベロニカちゃんは、イデアの前でだけ本当に怖いっていう様子を見せてたらいいなぁと……。 [*前] [TOPへ] [次#] |