天使の子と悪魔の子


「――バカ!!」

宿屋の一室に、少女の大きな声が響き渡った。
少女は眉を吊り上げ、目先にいる青年を睨み付けている。
泣きそうでもあるその表情からは、怒りとと同時に悲しんでいる事も伺えた。

青年は手に持っていた本を慌てて机の上に置くと、少女の傍へと歩み寄ろうと足を進める。
しかし少女は反対に後ずさり、青年から遠ざかる。
一室から出ようと少女が振り返った時、青年は走り少女、ベロニカの腕を掴んだ。

『違うんだベロニカ、誤解だ……!』
「何が違うのよイデア!誤解って何よ……!?」

イデア、と呼ばれた青年にベロニカが顔を向けた時、イデアの瞳には涙を流すベロニカの顔が映っていた。
そんなベロニカの表情を見て、悲しげな表情を浮かべていたイデアの顔は一層悲しそうな表情へと変化した。

――二人旅の途中だった。
邪神討伐後、イデアとベロニカは二人きりで世界中を旅していた。
海と同じ青だった空はすっかり橙色へと変化していて。
空高く浮かんでいた太陽は、いつの間にか顔を隠してしまっていた。
直に暗い青へと変化するであろう空を見て、二人は近くの町で休息を取ることにしたのだ。

宿を取り、ベロニカは部屋へ行く前にお風呂を済ませるとイデアに告げ宿を後にした。
先に部屋へとやってきたイデアだったが、扉を開け部屋を見渡した時、彼の瞳には机にあった本が映った。
頭を微かに傾げながらイデアは机へと歩み寄る。
恐らく前回この部屋に泊まった者の忘れ物だろうと、イデアは本を手に取り推測した。
そうしてすぐ、その本の内容に驚く事になった。

本の表紙には、幼い子供にはとても見せられない卑猥な格好をした女性が載っていたのだ。
かつての旅で、彼の祖父がよく隠れて見ていた“ムフフ本”とやらの一種。
あまりの衝撃に、イデアは言葉を失ってしまった。
このような内容の本を忘れてしまう前回の泊り人は、今頃どんな気持ちでいるのだろうか。
他人の事ながらも、イデアは考えずにはいられなかった。

このような内容の本をベロニカが見たらなんというだろうか。
とにかくここに置いておくわけにはいかないと、イデアは宿屋の主に説明して預ける事にした。

その時帰ってきたベロニカと鉢合わせをし――今に至る。

『これはボクの本じゃない……!』
「そんな事言って!ロウおじいちゃんみたいに隠し持ってたんでしょ……!?」
『違うんだ、聞いてくれないかベロニカ……話を……!』
「知らないわよバカ!そんな本持ってるなんてサイテーよ……見損なったわ……!」

イデアが何を言っても、今のベロニカは聞く耳持たずの状態だった。
頭に血が上ってしまい、同時に彼が持つ本――誤解とはいえ――の内容が内容なのだ。
同時に受けるショックも彼女には大きいものだった。

ベロニカの瞳から溢れ出す涙は治まる事を知らず、次々と溢れては床に敷かれた絨緞へと零れ落ち、微かな染みを作る。
イデアは誤解を解こうと必死だったが、何を言っても返ってくる返事はバカ、サイテー、と言った悲痛な叫びだった。
もがき、イデアから離れて走り出しそうなベロニカの腕を彼は放してしまいそうになる。
しかしここで放してしまえば間違いなく後悔する、放してはならないとイデアは必死だった。

――聞く耳を持たずなら、行動で示せばいいのではないか。
ふと彼の頭に過る考えに、イデアは少々気が引けた。
あまり強引に物事を起こすのが得意でないのだ、嫌がる彼女に行動を示していいのかと彼は不安を覚える。

しかし気付いた時、イデアは自身でも驚く行動を起こしていた。
優しい穏やかなイデアでも、彼は正真正銘の男性だ。
腕を掴んでいる相手は今は子供の姿で、更には女性。
イデアの力に敵うはずもなく、ベロニカは側にあったベッドへと押し倒されていた。

「……っ……!?」

声にならない微かな悲鳴を上げるベロニカ。
ベロニカの上に四つん這いになったイデアは、何も言わないままベロニカの瞳を見つめ続けた。
普段の彼からは想像できない程表情は険しいもので、同時に酷く悲しそうな表情でもあった。

『……ベロニカ』

二人の間に暫く訪れた沈黙を、イデアの静かな声が破った。
ベロニカは何とか口を動かすと、なによ、と小さく返答する。
イデアはそのままの体制を保ちつつ、ベロニカに訳を話した。

この本はボクの物ではないと。
机の上に置いてあった、前回この部屋に泊まった人の忘れ物だろうと。
訳を話し、宿屋の主に預ける所だったと。

ベロニカの顔が真っ赤に染まり、瞳からは更に涙が溢れ出た。
イデアが嘘を言っているわけでは無いと、ベロニカは始めから分かっていた。
彼がそう言う性格でない事も、出会った頃から旅をしていく中でずっと見てきていたのだ。
わかっていた、分かっていたが、本の内容が内容である。
ベロニカは不安とショックで押しつぶされそうになってしまったのだった。

「……本当は、わかってたわ。それなのに酷い事ばかり言って……ごめんなさい」

ベロニカがようやく口に出来た言葉だった。
それ以外は恥ずかしさと自身が告げた言葉や行動をみっともないと感じ、上手く口にすることが出来なかった。
イデアの顔を真面に見れなくなったベロニカの顔は、自身が乗っている事によってシワを作るシーツへと向けられる。
険しい顔をしていたイデアの顔は、普段の穏やかな表情へと変化していた。
目を伏せ、ベロニカを見てどこか嬉しそうにすると、イデアは優しい声を出した。

『いいんだ。……良かったよ、誤解が解けて』

もしあのままだったらと思うと怖かった、イデアはそう続けた。
恐る恐るイデアへと顔を向けたベロニカだが、普段の表情をしている事がわかると安心せずにはいられなかった。
そうしてようやく、彼女の顔も普段の明るい、可愛らしい表情へと変化した。

ふと、現在の状況を同時に気にしたのか、二人は揃って顔を赤らめた。
恥ずかしそうに顔を背けると、再び沈黙が訪れる。
謝罪し、今にもベロニカの上からどこうとイデアが動こうとした時だった。
イデアも、とベロニカが声を出し沈黙を破ったのは。

「……ああいう事、考えるのね」

アンタも男だもんね、ベロニカは小さな声で、それでもイデアには聞こえるように続ける。
相変わらず顔はシワを作るシーツへと向けられている。
イデアが先にベロニカを見ると、増々顔を赤らめながらもゆっくりと頷いた。

出来る事なら、このままベロニカを独占したいとイデアは思ってしまっていた。
今だけに限らず、二人旅を始め仲が進展していく中、そのような性欲が襲い掛かってくる事も少なくはなかったのだ。
しかしイデアは強引に物事を進めるのが得意ではなく、自身も気持ちのいいものだとは感じられなかった。
しかしその欲求は、強引であってはならないと言う理性の壁を乗り越えようとするかのように彼に襲い掛かった。

現在、自分は彼女の上に居るのだ。
このままでは、彼女はその場から動けないだろう。
――ますます、欲求はイデアに襲い掛かった。

『……ごめん、ベロニカ。今、どくよ』

何とか欲求に打ち勝つと口に出来たその言葉。
その時だった、ベロニカがイデアの手を何も言わず強く握ったのは。
鼓動が高く跳ねるのをイデアは感じた。
ここで止められてしまっては、ようやく打ち勝てた欲求が理性という壁を乗り越えてしまう。
ベロニカ、と何とか声を出したイデアは彼女からの返答を待った。
何度目かの沈黙、耐えきれなくなったベロニカが何とか声を出した。

「……ここまでしといて、イデアは……」

イデアの中の何かが、ベロニカの言葉で切れてしまったのを感じた。
両手をベロニカの両手としっかり絡めると、イデアの表情は“男の顔”へと変化する。

『……ごめん。もう、限界だ』
「バカ……なんで謝るのよ。あたしは一度も……嫌って言ってないわよ……?」

目を細め、にっこりと笑ったベロニカの顔は、まるで天使の様だった。
そんな天使に襲い掛かる自分は、まるでかつて言われた悪魔の子ではないかと。
そんな事を思いながら、イデアはベロニカの唇に自身のものをしっかりと重ねた。

――太陽がすっかり顔を隠してから時間が随分経ち、変わりに現れたのは黄金色に輝く月の姿。
宿屋の一室では、再び太陽が顔を出す朝まで天使の声が響き渡っていたのだった。

2017/12/4

二人の初めての夜。
我が家の勇者はムフフ系に関心は多少あっても表沙汰にはしない。
でもそうなった時は抑えきれなくて、無我夢中になっちゃってたらいいなと……。
……喧嘩ネタが書きたくて書いたらムフフ方向に走ってしまいました(照)


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