scarlet 3
レンガのように赤い髪も、そばかすだらけの顔も緑色の瞳も、大嫌いだった。

長い航海のあと、自分の手荷物のほかにも大量の仕事道具を抱えたジョアナは、それでもしっかりとした足取りで艦を降りた。へとへとに疲れていたし、早く帰ってシャワーでも浴びたい気分だけれど、まずは上司に帰還報告とこの機器類を片付けてしまわなければならない。終わるころにはすっかり日も暮れるだろうから、彼に会うのは早くても夜か、明日だろうな。
そう思ってすぐ、後ろからドクターと呼びかけられて振り返ったときには、どういうわけか彼女の疲れは一気に吹き飛んでいた。できれば今すぐ会いたいと思っていた相手が、向こうで手を上げて出迎えてくれている。

「クザン!ただいま!」
「おかえり、今度はどうだった?」
「誰の艦に誰が医療班として乗り込んでると思う?」
「言うねえ」

吸いかけの煙草を靴底で踏み付け立ち上がる。彼が座り込んでいた木箱の足元には同じような吸殻がいくつも転がっていた。仕事は?と問いかけながら、それだけここで待ってくれていたのかと思うと、どうしても嬉しくなってしまう。
重い荷物のほとんどを受け取り、しかも片手で持ち上げて悠々と歩く恋人の隣で、ジョアナはにこにこと彼を見上げてよく喋った。一月ぶりだったし、話したいことはたくさんある。気づいたら医療塔に着いていたけれど、それでも彼女のお喋りは止まらなかった。

「それで、サカズキさんがすっごく怒ってたのよ。そりゃそうよね、だって…」
「はーい、ストップ。先に片付けといで。おれ下で待ってるから、続きはあとで聞かせてちょうだい」
「ん、ごめんね、ありがと!」
「『ジンジャー』でいいよな?」
「…また?」
「だってあそこのミートドリア好きでしょ」

むすっとした赤毛の恋人があの店の名前を嫌う理由は知っているけれど、どこで食べるよりも嬉しそうな顔をするのがあの店であることもまた知っていた。憮然としたままのジョアナの頭をひと撫でし、予約しとく、と言ったクザンはひらひらと手を振って階段を降りていった。


ほうらね、と言葉にはせず、グラスを傾けて緩む口元を隠す。ドリアをぱくつくジョアナは満面の笑みで、美味しいと何度も繰り返してよく食べ、よく飲んだ。
昼はカフェで夜はバーの『ジンジャー』では、面白いくらい色々なメニューが揃っている。クザンがオーダーしたのはビールと枝豆なのに、彼女が頼んだのはこれとワインだった。酒は果実酒も穀物酒もずらりと並んでいるし、つまみも食事も注文するとだいたい出してくれる。初めてガープ中将がここに連れてきてくれたとき、彼は炊きたての白米と焼き魚を要求したのだが、あっさりとそれが出てきたときにはずいぶん驚いたものだった。

「すんません、もう一杯」
「はい、ほかにも何かご用意しましょうか」
「うーん…モツの煮込みとかあります?」
「ありますよ」
「マジっすか、じゃあお願いします」

マスターがひとのいい笑みを浮かべて泡立つグラスを差し出し、空になった方を下げる。ずいぶん伸びましたね、とクザンが自分の顎をさすり、相手の黒々とした髭をしげしげと眺めた。以前来たときは口髭だけで、顎の方も伸ばそうかどうしようかと言っていたのを覚えていたのだ。君も伸ばしたらいいのに、と笑うマスターに、思ったように生えそろわないんですよ、と苦笑する。

「クザンはだめよね、伸ばすとすごく不恰好だもの」
「人それぞれあんのよ…体質とかさ、これでも何年か前よりは濃くなったんだけど。ガープさんみたいなの、ちょっと憧れるよね」
「そんなに生やしたい?サウロも物凄いけど…」
「あいつは昔からああなんだって」
「へえー、子どものころから?そういう種族なの?」

ジョアナが食べ終わったのを見計らって煙草に火をつけていたクザンは、彼女の突拍子もない台詞にむせて涙目になった。そんな訳あるかよ、と咳き込み、そのまま可笑しくなって笑い声を上げる。たまに真面目に変なことを言う恋人が好きだ。一緒に居て飽きない。
馬鹿にされたと勘違いしてぷいとそっぽを向いたジョアナは、からころと音を立てて開いた扉に目を向けそのまま頬杖をついた。継ぎ足された赤ワインには手をつけず、隣からのごめんだの機嫌直せだのの声を半分無視して今入ってきた客を眺める。
たぶん、そう年は違わないだろう。ひとりはブロンドの巻き毛で、もうひとりは艶のあるブルネット。どちらも背の中ほどまで伸ばされた綺麗な髪で、着ている服も今年の流行りのデザインだ。きらきら光るイヤリングと丁寧に施されたネイル、メイク。同性のジョアナから見ても、ほんとうに可愛らしい。

「何が?」
「え?」
「可愛い、って」
「ああ…あそこの子たち。可愛くない?」

自分と比べても、と今度は声に出さずに言った。
短く切り揃えた赤い髪は、ひどいときにはたわしみたいだとからかわれるし、そばかすだらけの日に焼けた顔にはリップクリームくらいしか塗っていない。深爪した指先は薬品で少し荒れているし、アクセサリーはひとつもつけていなかった。本部から直接出掛けてきたから、着ているものも軍支給のパーカーだ。色気のかけらもない。
長い髪も爪も、綺麗な服やアクセサリーもジョアナにとっては必要のないものだった。仕事柄それらは邪魔になるだけだったし、構っている時間がないのも理由のひとつ。研修医時代も船医になった今も、目の前の誰かを治すのに必死で自分のことまで気が回らなかった。
それでも、もう少し余裕が出たら、お化粧くらいはしようかな。でもあんな付けまつ毛は無理ね、きっと気づいたら片方だけ取れちゃっていたりして、すっごく間抜けになりそう。
羨ましそうに向こうを眺め、唇を尖らせながらほんとに可愛い、と繰り返したジョアナを横目で見やり、クザンは次の一本に火をつける。

「お前の方がよっぽど可愛い」
「…え、今なんて…?」

うん?ととぼけたクザンはジョアナから視線を外した。吸い込んだ白い煙を細く吹き出し、カウンターの向こう側に解けて消えてゆくのを代わりに見つめている。

「ニンジン色の頭もウズラの卵みたいなそばかすも、全部可愛いじゃない」
「また馬鹿にしてるんでしょ…」
「それに、その緑の目。いっぺん日の光の下で見てみなよ、すっげー綺麗だから」

自分じゃ見れないわ、と返したジョアナの顔は、髪色と同じくらい真っ赤だった。見えなくてもそれはわかった。耳たぶまで熱いから。

「どうせほかの子にもそうやって言うんでしょう…?」
「あらら、そんなにおれ信用ない?」

苦笑した彼はそれ以上何も言わなかったけれど、ジョアナにとったら十分だった。嬉しくて自然と笑みがこぼれる。ほかの誰がなんと言おうと、彼がこう言ってくれるのだからもう気にならない。
ご馳走様、というマスターの冷やかし声に我に帰ったクザンは、彼女に負けないくらい顔を赤らめていた。


頭が痛い。喉が痛い。全部吐き出してしまいたい。
最悪の気分でジョアナが瞼を開けると、ぼんやりとした視界に黒と白の長い尻尾が揺れていた。身を傾けるのも億劫で部屋の灯りの眩しさに腕で顔を覆ったが、回らない頭でもう一度考え、その異様さに気づいて彼女はぱっと身体を起こした。途端に襲われる眩暈、吐き気。最悪だ。

「起きたか」
「うう…」
「風呂にでも行ってこい」

今が何時かわからなかったけれど、ここがサカズキの執務室で、そこのソファに寝かされていたのだと言うことはわかった。わかったけれどまだ夢でも見ているのかと思ったのは、こちらを覗き込んでいるのが斑模様の大きな獣だったからだ。口に咥えていたミネラルウォーターのボトルを彼女の手元にぽとりと落とし、ぱっと跳躍して次の瞬間にはサカズキの足に頭を擦り付けている。昼間ここを訪れたとき、ソファにくっついていた白い毛はこの子のものだったのだ。
ごろごろと喉を鳴らし、構ってほしそうな様子なのには特別反応を見せず、彼は新聞の向こう側で咳払いをする。

「今日は一日会議がある」
「ごめんなさい、遅くまで付き合わせちゃって…」
「夕方には終わるじゃろう」
「そう…」
「あいつはそのあと何も予定はない。確か」

もう一度そう、と繰り返し、ジョアナは水を口に含んでゆっくりと飲み込んだ。蜂蜜色の丸い目がじっとこちらを見つめていたけれど、気づかないふりをして鼻をすすった。

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