君には敵わない
朝礼の後、散会する仲間の中からひとりだけ呼び止められたイガラムは王子の後ろに従って再び王の間へと戻っていった。
すれ違う同僚たちがついにだとかとうとうだとか言うのも聞こえていないのか、さて何かしただろうかとやや不安げな表情で歩いていく。
数分後、耳をそばだてていた彼の隊の部下たちが聞いたのは、この世のものとは思えないような叫び声だったと言う。

その日の夜遅く、恋人の仕事が終わるのをぼんやりと待っていたイガラムは、真正面からテラコッタが近づいてきてもしばらくは彼女に気づくことなく突っ立っていた。
名前を呼ばれてやっと彼女と目を合わせたが、何時ものように夜の散歩をはじめてもどことなく心ここにあらずといった具合で、昼間食堂で耳にした噂はほんとうだったようだとテラコッタは確信する。
ただ、もう少し嬉しそうに、意気揚々と報告してくれるものだとばかり思っていた。
こちらからも伝えたいことがあったのに、これでは言い出せそうもない。

黙って一緒に歩いていくと、呼吸しているかどうかも定かでないイガラムが中庭の噴水の縁にふらりと腰掛けたものだから、彼女も一緒になってそこに座った。
今年の雨期は短かったから、水の張られていない噴水が二人を濡らしてしまうようなことはない。

「今日のランチはあなたの好きなパスタを用意してたのに、来なかったわね」
「ん、あぁ…ちょっと忙しくてね…」
「それに夜も。しっかり食べないといけないってあれほど言ってるのに」
「夜は部屋でパンを食ったけど…あんまり食欲がないんだ…」

ことはよほど深刻らしい。
テラコッタからしたら何故そんなにも悩むのかと叱責したいくらいだが、意外に打たれ弱い繊細な彼を思いやってそれをぐっとこらえることにした。

護衛隊長が持病を理由にその実権を二人の副官へ委任して数ヶ月経つ。
もはや復職は難しかろうと踏んだ王や議会が後任を決める頃合いだと囁かれていた矢先、ひとりだけ呼ばれた副官が大声を上げ、ぽかんとした表情でふらふらと帰ってきた所を見られれば、誰だって話がそういうふうに落ち着いたのだろうと解釈できる。
まあ最初はな、誰だってああなるさ、隊長殿ともなると責任重大だから。
気の早い連中はさっそくおめでとうと口にしたが、いやそうじゃないんだと返す副官に周りは不審そうな顔をした。

「ねぇ、皆言ってたけど、あなた来月から隊長になるんでしょう?」
「いや…決まってない…」
「決まったようなもんじゃない、どうしたのよ一体」
「その…断ったんだよ、実は…」
「…断った?」

いつだったか、もし皆が言うように、仮に自分が隊長の座に就くようなことがあったらきっとこうするだろうなと、照れ臭そうに語っていたイガラムの姿を思い出す。
あの時の彼は控えめながらも自信に満ちあふれていて、そうなればいいねと彼女も暖かく応援していた。
それが何故こうも急に怖じ気づいているのか、テラコッタには不思議でならなかった。

「ジェトさんの方がいいって言ったんだよ…おれより年上だし、あの人になら皆ついていく…」
「彼はなんて言ってるの?」
「『おれに政は無理だ』って笑うばかりで…そんなのおれだって無理だ…」
「じゃあ誰が干ばつの時期にも耐えられるような地下水路の計画を実現するのよ」
「いやそれは…まあ…別に今のままでも…」
「よく考えてみなさいよ、その『今』と『今後』で何が変わるって言うの?別に変わんないなら隊長になればいいじゃない。皆からの呼ばれ方が変わるだけでしょ」
「いや、そんなに簡単な話じゃ…」
「簡単だわよ。それにいつまでも空席にしとくよりよっぽどいいわ。国には責任者が必要なの」
「それを言うなら王や王子が…」

ああ言えばこう言うイガラムに業を煮やしたテラコッタは、数分前にこらえたものを吐き出すために腰を上げて彼の前に仁王立ちした。
見下ろされる形になったイガラムは、まるで今から叱られる子どものように身を縮め、上目遣いで彼女を見つめる。
彼の鼻先に人差し指を近づけ、大げさな身振りを加えてテラコッタは一言一言をはっきりと口にした。

「いい?よく聞いて。そんなに言うならどんなに嫌でも引き受けざるを得ないようにしてあげる」
「…え、何を…?」
「私と結婚して、養ってちょうだい。ついでに8ヶ月後に生まれるこの子の面倒もみるのよ」
「は…、え?何…?ちょっ、今何て…ええっ」
「隊長ならお給料もうんとよくなるでしょう?国のためにはできなくても、私たちのためにならできるわよね?頼んだわよ」
「いや…あ、え…?どういう…待っ」
「わかったら返事!」
「はっ、はいっ」

それから一ヶ月の後、隊長となったイガラムは最愛の女性と式を挙げ、その数ヶ月後にはめでたく世の父親たちの仲間入りを果たしたのだった。


×
「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -