ラピスラズリ
ペルが飛び立った時、見事なものだなと言ったはいいが、その危なっかしげな飛行に彼の伯父は苦笑した。
隣にいる幼い友人たちも最初は歓声をあげて喜んだが、次第に不安げな表情になる。
大空舞う本人が一番不安なのだろう、ややもすると身を転じて彼らの方へと戻ってきた。
慣れない着地に身体をふらつかせ、鳥からヒトへと戻る甥っ子を繁々と眺め、隼かと呟いた。そして尋ねた。楽しいだろうな、と。
広い袖口から生え出た翼がもとの腕に変わる様をじっと見つめていたペルからは、なんとも気のない答えが返ってくる。

「なんだ、楽しくなさそうだな」
「だって...何か変な感じが...」
「まぁ、これから楽しめばいいさ。何処へでも行けるじゃないか」
「まだ何処へも行けませんよ」

慌てたように全身で否定を表すペルの、左右に振った頭から1枚の小さな羽が振り落とされる。
まぶしくてまぶしくて、楽しむ余裕だなんて全然ない。
たまたま訪れた伯父に言われて試しに数十メートル飛んではみたが、これが素直な感想だった。
樹上から転がり落ちたときとはまた違う奇妙な感覚と恐怖と、とにかく眩しさ。
昨日のあれは飛んだとも言えないから、実質今の飛行が自分の意思でもって初めて飛んだことになる。

「昨日も眩しいって言ってたわね、いつもと同じお天気なのに」
「多分、これも悪魔の仕業だろうさ」
「...?」
「視力そのものも良くなったんだろうが、極端に視野が広がったんだ。人間では慣れた日の光も、隼になったばかりのお前には強烈なもんだろう」

アラバスタは砂の国。
夏島の太陽の光はどこよりも厳しく降り注ぐし、それを受け止める砂の大地も白く照り返す。
地上では慣れたものだった。眩しければ帽子でもなんでも被ればいいし、掌や生地で影を作れば済む話だから。
ただ、強風に煽られる上空では、それらはたいして役に立たないはずだ。
光どころか視界そのものを奪ってしまいそうだし、そうなれば危険どころのはなしではない。ヒトの力を超えた速度をもたらす翼を得たのだ。
だから、このままではいけない。しばらく経てば自然と慣れるのかもしれないが、自由に泳げなくなったのに、その上自由に飛べないなんてのはなんとなく腹立たしい。
ペルは泳ぐのが好きだったのだから。

ごしごしと両目を擦りながら何かいい方法はないかと思案していると、隣で羽を払い落としていたティティがその手を止めた。

「そうだ、あれ!あれがいい!」
「あれ...?何だよ急に...」
「ちょっと待ってて、すぐ戻るから!」

そう言って走り出したティティの背中が建物の影に消えた頃、二人の男は互いの顔を見合わせて不思議そうに首を傾げた。
数分も経たぬ内に戻ってきた彼女の手には小さな丸い容器が握られていて、ペルはまだ不思議そうにぽかんとした顔をしている。
容器の蓋を開けて中身を指先ですくう様子を見て、伯父ひとりがあぁと納得したような声を上げた。
彼女の白い人差し指は紫がかった黒い何かで染まっている。
それは一体何なんだと問い掛ける間もなく、にっこりと笑ったティティが目をつむってと催促した。
訳がわからず言われるままに閉じられたペルの瞼に、ひやりと冷たい感覚が走る。

「はい、できた!」
「こりゃあいい」
「何...何だよ...」

はい、と言って手鏡を渡されたペルがそれを覗くと怪訝そうな顔の自分が見つめ返していて、その瞼と涙袋には黒いラインが引かれている。
それはペルにも見覚えがある化粧、彼らの土地で昔から続いている風習のひとつだった。
長い時を経て習慣と言うより祭事で成人した男たちが施すことがほとんどだったが、馴染みのあるものには違いない。
元々は魔除けと、この国の強い日差しから目を保護するためだったと聞いているし、これなら飛行の邪魔にはならないだろう。
先程よりも和らいだ感じのする日の光に向けて目を大きく開き、直後にまた細めてペルは笑った。
ティティの機転が嬉しくもあったし、まだしたことがなかった化粧に、大人の男になれたような気がして幾らか恥ずかしくもある。

「これで何処へでも飛んでいけるな」
「だといいな...ティティ、ありがとう!」
「どういたしまして!そうだ、お礼に私を乗せて飛んでくれる?」
「は?!」
「ティティちゃん...まだよした方がいいぞ。自分一人だって支えきれてないからな」

驚いたような困ったような顔をしたペルに、彼の伯父も周りの友人たちも皆大声で笑った。
ティティひとりだけが真剣そのものでいつまでも食い下がるものだから、いつかもっと上手く飛べるようになったらという条件付きで結局約束をしてしまったのだった。


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