一歩目
近頃護衛隊副官が不審な行動をとっていると言う噂が隊員たちの間で密かに囁かれていた。
まず、あれほど不規則だった生活が三度の食事を中心としてずいぶんまともに改善されたらしいと言うこと。
ただし彼が食堂に現れるのは決まってひとより半刻遅れてからで、以前は流し込むようにかっ込んでいたのが最後の一口までゆっくり噛み締めているようだと言うこと。
別に仕事に支障が出ているわけでもなく、むしろ以前に比べてより健康そうに溌剌とした様子だったから、彼本人に対して何か言うものは誰もいなかった。
それにしても閑散とした食堂からひとり上機嫌に、時として鼻唄なんかを歌いながら浮き足だった様子で出てくるものだから、ただそれだけでもひとの目を引いてしまう。

「イガラム…どうしたんだ一体…」
「おお、コブラ様!今日もいいお天気ですな!ご機嫌いかがですか?」
「あ、あぁ…ありがとう…」

にこやかに微笑んだ副官が、では、と言いながら軽やかに歩み去ってゆく。
取り残された王子はしばらくその場に突っ立ち、ばかでかい背中がゆさゆさと揺れながら遠ざかっていくのを見つめていた。
あれは、何かおかしい。と言うより気味が悪い。もうひとりの副官が先日ひとりごちていた意味がようやっと理解できた。
どうやら頭の中に花畑でも広がっているらしい。


その日の夜、日中の汗を洗い流し、きちんと身なりを整えたイガラムはやはりひとより遅れて食堂に現れ、最後のひとりになるまでちびちびと茶をすすっていた。
遠くから声を掛けてきた同僚にも適当な返事をし、それを受けた相手は不思議そうに首を捻ってその場をあとにする。
今や厨房と食堂を隔てるカウンターの奥から食器を洗う音が響いてくるだけで、ぽつんと窓際近くに腰を下ろしていた彼は今か今かとお目当ての姿を探していた。

しばらくすると厨房の扉が開き、盆を持った女性が最後の客の皿を下げにやってきた。
その少し前に気配に気づいたイガラムは真っ暗闇の外へと視線を泳がせ、彼女が近づいてくるのをじっと待つ。

「あら、またあなた?」
「ややや、やあ、テラコッタさん!奇遇ですな!」
「奇遇も何も、ここは私の職場だよ。いつでもいるわ」
「はははっ、それもそうですね!」

どもったり豪快に笑ったりする護衛隊副官に、給仕係は呆れたように苦笑する。
最近遅くまで居残る彼と二言三言交わすのが、彼女の日課にもなっていた。
今日は何処何処まで行っていただの、誰々が戦果を上げただの、他愛のないことを色々と話し掛けてくる。
彼女はテーブルの上を片付ける傍ら相槌を打ち、時折質問を返しては彼の話を聞くともなく聞いていた。
全ての片付けが終わると彼は決まって満面の笑みでご馳走さまと告げ、椅子に張り付いていた尻をようやく剥がしてのんびりと帰っていく。
それが習慣になりつつあったのに、今日は何故か彼女が隣のテーブルを片付け終わってもイガラムは腰を上げようとはしなかった。

「まだ食べ足りないのかい?」
「まさか!腹一杯いただきました!」
「じゃあもう閉めるから、出てってちょうだい」
「あ、あぁ、そうですよね…いつも遅くまですいません…ご馳走さま」

猫背気味に椅子から立ち上がったイガラムがのろのろと出口に向かっていく様子を見送りながら、テラコッタは5秒ほど考え込んで彼を呼び止めた。

「あなた、あと30分くらいなら待てるわよね?」
「…え?」
「今日は仕込みの担当じゃないから、もうすぐあがれるのよ」

その時の副官の笑顔は真昼の太陽より輝いていたらしいが、その事実は給仕係以外の誰もが知らない秘密であった。


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