ある日
恵まれた体躯と天性の才で若くして王室付護衛兵になった彼にも人並みに悩みがあった。
近頃同期や部下の婚礼が相次いでいて、あなたもいい年なのだからそろそろとあからさまに言われる機会が多くなったのがことの始まりだった。
年も立場も、次期護衛隊長だろうと言われているくらいの男なら、既に妻帯していてもおかしくはない。
その度に自分は王家に仕える身、色恋にうつつを抜かしている暇などないとぴしゃりと撥ね付けるが、その王家のひとりがまじめくさった顔で「たったひとりの女も守れないでいる男が、この国を守りきれるのだろうか」などと言うものだから全く困ったものだった。
一月前、彼の余りの多忙さに愛想をつかした女が別の男のもとに走ったことを、未だにからかっているのだろう。
だったらまとまった休暇でも下され、と言いかけたが、今度は明らかににやついた顔の王子を見て口をつぐんだ。
どうせまた、傷心旅行か、とかなんとか、言われるに決まっている。

「父上に言って見合いの席でももうけようか。まぁ、無理にとは言わないが」
「結構です」

本気なのか冗談なのか。
多分冗談だろうと捉えて軽く流した彼は、部隊の再編案の羊皮紙と港の警備に関する図面を適当にまとめ、一礼をした後は荒々しい足取りで御前から辞する。
もう行くのか、と問いかけるコブラに、昼飯がまだなものですから、と省みもせず扉を閉めた。


昼時をとうに過ぎた食堂には人がまばらで、適当に注文を済ませたイガラムは窓近くのお気に入りの席にどっかりと腰を下ろした。
先程相談していた新兵の配置を頭の中で整理し、忘れる前に書き留めておこうとやや皺のよった紙をテーブルに広げる。
しばらくは集中してペンを走らせてはいたが、ふとしたときにちょっとした間違いに気付いてくしゃくしゃとその箇所を訂正した。
インクがにじむ様をぼんやりと見つめながら、頭の中は理路整然としていても、こころの中はくしゃくしゃなままだなとため息をつく。

自分は国を守る護衛兵、女ひとりに構っていられるか。大体何を守ってやったらよかったんだ。彼女の気持ちか、二人で過ごす時間か。そもそもあの男とはいつからだったんだ、こっちは忙しく働いていたと言うのに。まぁ、忙しかったから仕方ないのか、いや仕方ないとはなんだ。汗水垂らしてこの国の、お前たちの安寧を思って尽くしているのに、それに気付かないのか。何なんだ一体。

そこまで考えて、馬鹿馬鹿しくなってやめた。
仮にも国に忠誠を誓った兵士だ、「守ってやっている」だなんて考えは不遜すぎる。
見返りなんて求めてはいけないし、公私混同なんてもってのほかだ。

ただ、ひとつだけはっきりしていることがある。
あまりにも俗っぽくて軽々しく口にする気も起きないが、つまるところ人肌が恋しかったのだ。

「なんだい、むつかしい顔をして。こんなところでもお仕事?」

お待ちどうさま、と言われた次の言葉がこんな調子だったから、紙面を睨み付けていたイガラムは思わず声の方を振り返った。
落ち着いた声音とその口調にまるで母親から叱られたような錯覚を覚えたが、どう見ても自分より年下の女性が盆を持って立っているのだから二度驚く。
呆気に取られた彼をよそに、彼女は目一杯に広げられていた資料を片手で器用にまとめていった。
今まで見かけたことがない女性だったから、彼女も新しく配属された給仕なのかもしれない。
前掛けから布巾を取り出してテーブルを拭く様子はそれにしても手慣れたもので、今度は次々と皿を並べていく。

「ちゃんと食べないと仕事もはかどらないよ。あなたあんまりお昼をとらないでしょう?」
「え、あ、あぁ...すいません」

初対面の、しかも年下らしい女性に向かっての第一声がすいませんとはなんとも情けない話だが、これがテラコッタとの出会いだった。


×
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -