分かち合う
面白いことを仰いますね、と思い付いたまま口にすると、なんにも面白くないわ、と言って彼女がむくれる。彼ら二人のほかには誰も居ない書庫で、しかし恋人同士の逢瀬と呼べる雰囲気でもなく、ごくふつうに言葉を交わすが声のトーンは低めにして。椅子に腰掛けて書物を捲る王女と、向こうの棚の前で並ぶ背表紙のかすれた表題を指先で順になぞっている副官。多少時間は遅いかもしれないが、仮に誰かがこの場に来たところで二人の様子に不自然なところはちっともない。二人の方でもこれがいつも通りの自然なやり取りなのだから、当然と言えば当然なのかもしれないが。

「おや、失礼を申しましたか?」
「いいのよ、気にしなくて」
「そう仰られると余計に気になります」
「ほんとにいいの」

ずいぶん気になる言い方をする。夕食のあと、自室に下がるまでのこの貴重な時間を少しでも長く共有したくて、わざと話を引き伸ばすのはここのところのビビの習慣だった。それに気づいているペルも、時間の許す限り共に過ごしていた。もちろん彼の都合ではなく、王女としての彼女に許された範囲の時間でだ。ひとが見て、そうあるべき振舞いから彼女を逸脱させたくはないというのが本音だけれど、そこは型破りな王女のこと、副官の思い通りにいかないこともしばしばある。
先に書庫を訪れていたのはペルだった。それを見つけたビビが廊下に響く大きな声で名を呼ばわるのには今でも、今だから、驚き、周りをさっと見渡してしまう。しかしとびきりの笑顔で自分のもとに駆け寄ってきてくれるのが好きで、可愛らしいひと、と礼をして迎えながら心の中で呟くのが彼の習慣だった。ビビは気づいていないけれど、そう言えば彼女が喜ぶだろうとは思うのだけど、これは自分だけの秘密にしておきたい。そうして今日も二人だけの穏やかな時間が始まる。
まだペルが今夜の一冊を決めるより、ビビが昨夜挟んだ栞を抜くより前に、彼女はふと思い出したように顔を上げて彼の名を呼んだ。今から数分前のことだ。そう言えば、と彼女は考え込むときの癖で少し唇を尖らせ、昔聞いたことがあるかもしれないけれど、と言葉を続けた。

「ペルのご両親は船乗りさんだったのよね」
「はい、そうですよ」
「色んな海を旅したの?」
「ええ、しょっちゅう…と言うよりほぼ海の上でした。父は特に」
「ふうん…」

振り返って正対したペルを置き去りに、ビビはまた考え込むような仕草をして暗い窓の向こうを眺めた。様子を伺いながら再び本棚に向き合った彼の背に、それと、と問いかけたのはそれからほんの数十秒後のことだ。

「確か伯父様が居たわよね。私がまだ小さいころ、ここに居たと思うんだけど」
「はい、私と入れ替わりに西の地へ赴任しました。それまでは護衛隊副官でしたから…」
「やっぱりそうよね、遊んでもらった覚えがあるのよ…」

そうしてまた窓の方を向く。怪訝そうな表情でペルが振り返ったままでいると、幼馴染と呼べる相手は居るのか、彼らと今でも会うことがあるのか、休日は早起きして何処かに出掛けたりするのか、よく行くお店は、と矢継ぎ早に質問攻めにあう。

「あなたのお母上以外にも幼馴染はおりますよ。皆私より幾つか年下ですが、ほとんどが故郷で元気に暮らしています。ひとりこちらで料理人見習いをしていますが、あまり頻繁には会いません」
「そうなの…」
「それと、非番の日でも大体いつもと同じ時間に起きます。あとは…店、ですか…この間ご案内した辺りには時々行きますけれど、どこでもそう常連というわけでは」

それがどうかなさいましたか、と穏やかに続けるペルに、うーん、と曖昧な返事をして彼を不思議がらせる。聞いてきたのは彼女なのに、答えが彼女の期待するものではなかったのだろうかと考えはするものの、こちらからこれ以上聞き出せないのはいつものこと。それに、少し待てばビビの方から言ってきてくれる。こちらが待っていることに彼女も気づいているからだ。

「私の両親はね、この国の王と王妃なの」
「存じておりますよ」
「コーザっていう幼馴染がいて、今でも時々会うのよ」
「ええ、一昨日も顔を出してくれましたね」
「何もない日は少し寝坊することもあるわ。あとはポルカ通りにあるカフェのマフィンが好き」
「この前教えてくれたお店ですね。チャカも言ってましたよ、ブルーベリーのが絶品だとか」

改めて言うほどのことでもないのに、わざわざ言ってきたからには何か理由があるのだろう。もう少し待つことにするとやや間を開けてビビはペルに視線を戻し、それはそれは不満げにため息を漏らしたのだった。

「ペルばっかり色々知っててずるいわ」
「ずるい、ですか…?」
「そう、私はまだまだ知らないことがたくさんあるのに」
「それは、でも…あなたのことは私でなくとも誰もが知っておりますよ。マフィンの件は別にしても」
「そうなのよね」

そうなのよ、と繰り返す彼女がまたふいと横を向いてしまったものだから、ペルは微笑んでお嫌ですかと囁いた。話し掛けてくる王女に背を向けるのは不敬にあたるだろうけれど、その方が話しやすいこともある。さも本を探すのに集中しているように見せかけて、その実耳だけはしっかりと、彼女の息づかいまでをも聞き取りながら次の棚へ視線を走らせる。

「嫌ではないのよ。嫌ならとっくに皆の前で喚いて暴れているわ」
「それは穏やかではありませんね」
「でも、それだけプライベートがないってことよね。私だって秘密のひとつくらい欲しいのだけど」

その言葉に目を丸め、再び微笑んだ彼が言ったのが冒頭の台詞だ。王族の彼女には確かに私的な時間は少ないだろうが、今まさにこのときはプライベートな瞬間ではないのだろうか。ペルの方ではそう思っていたのに、真面目に思い悩む彼女が可愛くて仕方ない。
やっと決めた一冊を手にし、頬を膨らませたままそっぽを向くビビの向かいの椅子へ腰掛け、ペルはにこやかに彼女を見つめた。横目でそれを見返したビビは、なあに、とどこか不貞腐れたような声を上げ、あんまり見ないでよと言ってまた窓の方に視線を向ける。

「ビビ様のこのようなお姿、見逃す手はありません。誰かほかにもお見せすることが?」
「…ないわ」
「ではこれはあなたの秘密ですね」

このことは私の胸の内だけに、と微笑むペルに、少し悔しそうにビビが苦笑する。このひとはいつだって私のことをよく知っている。誰もが知るような表向きのことだけではなく、その内面もよく知ってくれている。甘やかしも喜ばせもしてくれる。言われなきゃそれに気づけないなんて、悔しいじゃない。

「まだご不満でも?」
「ううん」
「ありそうですね…それではどうでしょう、もうひとつ秘密を作りますか?」

何を?と聞き返すより先に、腕を伸ばしたペルに髪を梳かれ、ビビは思わず声にならない声を上げた。その吐息が漏れた唇に彼のが合わさったときには、もうどうしようもないほどの幸福感に包まれていた。


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