わがまま
何年、何十年に一度という、滅多にお目にかかることのできない流星群を皆と見に行く、と彼女が話していたのは半月ほど前のことだ。本当であれば皆とではなく、まったくほかの誰かと一緒に、と言いたかったのだろうと察しはついていたが、かと言って「私はお供しなくてもよろしいので?」などと、ペルからしたら二重三重の意味でそう聞くことなど出来なかった。ひとつは、その日彼は遠く離れた西の地におらねばならぬ用向きがあったからで、これは随分前から決まっていたことであったし何より彼の仕事なのだから避けようもなかった。二つ目に、当然臣下たるものが王女に対して申し上げるべきことではない、という件の拘りからくるもので、つまりは慎みを言い訳にいつものように口を噤んだ結果でもある。あとは彼の元来の性格だとか、照れだとか、まあそんなところであろう。
帰参の報告も済み、執務室へ寄る前に同僚のところへも顔を出そうと足を向けた矢先、こんな吹きさらしの回廊に居るはずもないひとの声を背に受けてペルはさっと振り返った。駆け寄る王女に恭しく礼をし、しかしすぐに面を上げて彼女の顔を見返す。嬉しそうに副官を見上げる王女の笑顔はいつも通りではあったけれど、ほんの少しの違和感、頬の赤みの少なさや潤いの足らない唇、に一目で気づいて浅くため息を漏らした。

「おかえりなさい!」
「ただ今戻りました。三日は安静にと伺っておりますが」
「うん、今日がその三日目なの」
「でしたら今日いっぱいはお休みになりませんと」
「でもほとんど熱も引いたのよ」

王女のあっけらかんとした物言いは、ペルからしてみればまったく当てにならないものだった。いつだったか彼女の言う「大丈夫」は信じないと冗談半分に宣言して以来、彼が何かしら心配するにつけ巧みにその言葉を避けているようではあったが、ひとに余計な気遣いをさせまいとする振る舞いは相変わらずだ。吹き抜ける強い風が極力当たらぬよう、ペルはビビの隣を行き足早に彼女の私室へと続く入り口を目指した。いつものように歩調を合わせなくとも、こうすれば彼女の方から追いかけてくるだろうと確信があったからだ。日の光が遮られた扉の向こう、西の様子や民の消息を尋ねる王女を振り返りながらペルは辺りに目を配り、足を止めて一言断ると手の甲でビビの額にそっと触れた。

「ほとんど、ですか。まだ熱いようですが」
「ペルの手が冷たいのよ」
「そうかもしれません、しかし念のためお部屋でお休みになってください。いただいたお薬も飲み忘れぬよう…」
「部屋に一人で居るのは飽きたの」
「体調を崩すたび、あなたは同じことを仰います」
「誰だってそうだわ」

すぐに離れていったペルの手を名残惜しそうに目で追い、しかしそれでも嬉しそうに笑ったビビは今度は自分が先になって廊下を進んだ。背後にいる男など、死にかけるほどの大怪我を負ったにもかかわらず抜糸が済むより前からそこらじゅうを歩き回っていたのに、と思わず可笑しくもなる。
三日前の真夜中、きらりと光って落ちていくいくつもの星を眺め、十分満喫してさあ帰ろうかという頃、喉に若干の違和感があることに気づきはしたが皆とのおしゃべりに夢中になってすっかり気が紛れてしまった。部屋に戻ったあと、ここからも見られるかしらと窓を開け放ち、星よりも同じ空を見上げているかもしれない誰かに想いを馳せ…結局風邪をこじらせてしまった。誰の所為でも何の所為でもない、他ならぬ自分自身の過失だったから、薬を処方してもらった後は大人しくベッドに引きこもっていた。実際、熱でぼんやりとしていて何かをしようとは思えなかったのだ。けれど一日眠ればずいぶんと良くなり、二日経てば退屈極まりないとため息をつき、三日目の今日はとうとう侍女の目を盗んで部屋を抜け出した。退屈だけが理由ではない、彼が帰ってくる日だと知っていたからだ。

「今の時期だと向こうではアデニウムが見ごろよね、綺麗だった?」
「そういえば…ええ、そこかしこで見かけました。お見舞いにひと鉢お持ちすべきでしたね」
「お仕事で行っただけじゃない。それに、私が具合悪くなってたって知らなかったでしょう?」

先を行くビビの足取りが、ほんの少しではあるがおぼつかないように見えるのはきっと気のせいではない。彼女の言う通り熱が下がっているとしても、病み上がりであることには変わりなかった。あなたはほんとうに昔から、とペルは心の中でつぶやき、昔見ていたときと比べるとはるかに高い位置にある彼女の肩や空色の髪を見下ろし、見下ろすだなんてと気づいて結局足元に視線を落とす。彼女の振る舞いのひとつひとつは、そのほとんどが自らのためではなく他のためだった。それは彼女がほんの子供の頃からで、時に周囲を困らせることもあるにはあったが、そういう時こそひとのためを思ってのことがほとんどだった。彼女自身の純粋なわがままと言えばこの背に乗せて飛べと言ったことくらいだろう。しかし、とペルは苦笑し、彼女の本意にはもちろん気づいて困ったお方だ、とひとりごちた。今になって、彼女のわがままをすべて聞き入れてしまいたい。

「ん?何か言った?」
「いえ、お土産もお見舞いの品もございませんので、その代わりにあなたを今から甘やかすことにします」
「甘やかすって?何をしてくれるの?」
「ベッドに戻って布団に包まっていただければ、何か温かい飲み物をお持ちします」
「え、部屋に来てくれるの?」
「入り口まで。あとはカルーに任せます」

ぱっと明るい表情をしたビビの口元が見る間に不満の形に変わり、その入り口にたどり着いたペルは微笑みながら扉を開いた。人の気配と名を呼ばれたことで昼寝から起き出した隊長が、部屋の主と副官とに短い鳴き声で答える。

「…全然甘やかしてないわよ。ねえ、甘やかすのなら私のお願いを聞いてくれない?」
「空を飛ぶ以外でしたら」
「私のお願いがいつまでもそれだけだと思う?」
「いいえ、」

その後の彼の言葉は柔らかく押し付けられたビビの人差し指に遮られた。カルーはあくびのために嘴を覆っていた翼を目の位置にまで上げ、しかし羽根の隙間から片目だけを覗かせると首をすくめた。


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