昔話を聞かせて
その日は何年に一度かの式典で、国中から集まる要人の警護や市街地の警備を統括する副官の二人は朝から方々で指揮を執っていた。
一息つく間もなく今度は参列者として大広間に整列し、粛々と進む式の中で連日の夜勤明けだったチャカは何度か欠伸を噛み殺し、それでも直立不動の姿勢を崩さず時が過ぎるのをこらえていた。
そういうわけだから、晩餐の前のほんの少しの空き時間に彼が自室に引っ込んでしまったのは致し方のない話で、代わりにペルがその後の仕事を引き継いでいた。
おれだってふつうの人間だからな、と最後に言い残してふらふらと廊下を歩いていく様は普段からは考えられない光景だったが、ペルは苦笑ひとつもらしただけですれ違う同僚の肩を叩いたのだった。


人気のなくなった大広間の入り口でペルが近衛長との打ち合わせを終えたとき、向こうのアーチの影から王女の空色の髪が見え隠れするのに気づいて彼は目を止めた。
式の最中はすっきりと結い上げられていたそれは、今はいつものように背中の後ろに垂らされ吹き抜ける風に揺れている。
恐らく召し替えが済んだのだろう。白を基調とした正装から淡いブルーのイブニングドレスに着替えた王女は、夕日に照らされてオレンジ色に染まっている。
それを心底美しいと思ったペルは、自分でも気づかぬうちに見とれて一切の動きを止めていた。
しばらくそうしていると、彼女の方でも副官を見つけ、その瞬間に高いヒールも長い裾もものともせず一直線に駆け出した。
ビビ様、と呼び掛けるペルの心配をよそに危なげのない足取りで彼のもとへとたどり着いた王女は、今すごいこと聞いたの、と言って満面の笑みを惜しげもなく浮かべる。

「さっきテラコッタさんが教えてくれたんだけどね、パパったらママに一目惚れだったんだって」
「え、あ、ああ、そうですね。聞いたことがありますよ」
「知ってたの?私だって初耳だったのに」
「有名ですよ、お二人の出会いのお話は」

そう言って柔らかく微笑んだ副官に、王女は悪戯っぽい笑みを見せてその話の先を催促した。
お父上に直接訊かれてみてはと返すペルに、父はいつだって教えてくれないのよと今度は拗ねたように唇を尖らす。
白い両腕を組んで衣装に皺を寄せる王女とそれをなだめる副官は、取り合えずは晩餐の会場に向かうべくその場を後にした。今回は大食堂ではなく中庭で催されるのだ。

「小さい頃から何度か尋ねてはいるんだけど、いつもはぐらかされちゃうの」
「それでは私からお話しするわけにはいかないでしょう」
「絶対秘密にするから、聞かせて?ね、お願い!」

王女のお願いに慣れている副官は、いつものようにそれを聞き入れるべきか否かをわずかの間を置いて判断した。
今回のは無茶を言っているわけでもないのだから、話して聞かせても問題はなさそうだった。
王が王女に話さない理由は単に照れからくるものだろう。夫婦の馴れ初めなど実の娘に聞かれても、中々その口からは答えづらいのではないのだろうか。
なにより彼女が幼かった頃から、その母親の話をせがまれて断れたためしがない。
実際に見たわけではないのですが、とペルが前置きをすると、王女はくるりと振り返って彼ににっこりと笑い掛けた。

「ちょうど今日のように、当時の先代、つまりビビ様の曾お祖父様のご命日にあたる日のことだそうです。初めて出会った瞬間、王は王妃の前にいきなり跪いたとか」
「それじゃほんとうにひと目しか見ていないのに、パパは恋に落ちたの?」
「そういうことになりますね」
「意外とロマンチストなのかしら…」
「案外そうなのかもしれません、それ以降手紙やら花束やらがたくさん贈られてきたようですし」
「あのパパが花束!へえー…それってママに聞いたの?」
「はい。とても嬉しそうでしたよ。もっとも、その頃の私はまだそのお相手があなたのお父上だとはまったく知りませんでしたが」

興味深げに聞き入る王女は、見たこともない当時の情景を思い浮かべているのだろう。
まるで自分が大きな花束を贈られたようにはにかみ、感嘆の声をあげている。
母は嫌じゃなかったのかしら、でも話を聞くとまんざらでもなかったみたいね、なんだかお伽噺みたいで素敵だわ、と言いながらほんのりと頬を染めている。
ちょうどそのようなお顔で自慢されました、とペルが可笑しそうに言うと、王女はちらりと横目で彼を見やってすっと背筋を伸ばすと前に向き直った。

「ねえ、ペルは今まで一目惚れしたことってある?」
「私は…ない、ですね、多分…」
「パパみたいに、誰かに運命を感じたことはない?」

運命など感じていたら、今ごろはその誰かと一緒になっていただろう。つまり答えは「ない」だったが、ペルは少し口ごもった。
自分のことを好いてくれている相手を目の前に、今まで誰に対しても運命だなんて感じたことがないと言えるほど彼は若くも不遜でもなかった。
それは彼が未だに彼女の好意に応えていない今のような状況でも、相手が王女でなくただの町娘だったとしても、相当な失礼に当たるだろう。
なんと答えたものか考えあぐねるペルに、王女は口許をほころばせると真面目なのね、と呟いた。

「今の質問はいくらなんでも無遠慮だったわ、ごめんなさい」
「いえ…そんな…」
「それに、私だって運命を感じたことも一目惚れしたこともないもの」

拍子抜けしたような顔のペルをもう一度ちらりと見た王女は、ずいぶんと大人びた表情をしていた。
私の場合は、と続ける彼女を真正面から照らす日の光にペルは目を細める。

「私はね、長い時間をかけて想いを深めていくタイプみたい。ずっと昔から見ていて、確かに気づいてから行動に移すのは早かったかもしれないけれど、ひと目で惚れたわけじゃないし」
「…そうですか」
「それに、これが運命かどうかもわからないのよ。というより、運命だなんて今この時を生きる私たちにわかるはずもないと思うのだけど」
「まあ…それも言い得て妙ですね」
「なんだか自分で言ってて夢のない話だと思えてきたわ…恋愛ってもっとこう、インスピレーションで行動するようなものかと思っていたのに」
「ビビ様は…こう申し上げると失礼かもしれませんが…このことに関しては国王様と違ってリアリストなのでしょう」

言い得て妙ね、と面白そうに返した王女は、行く先に父王を見つけてまた急に走り出した。
会場の入り口で足を止めたペルは、王女が何やら父親に耳打ちしている様子を遠目に眺めていたが、見る間に茹でた蛸のように真っ赤になった王を見て慌てて彼らのもとに駆け付けたのだった。


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