ひとはそれを何と呼ぶ
きっかけは何かと問われると、それは彼にもこうだとはっきり答えることはできない些細な出来事の積み重ねだった。
例えば屈託のない笑顔だとか、気さくに肩へ手を掛ける仕草だとか、柔らかい声で名を呼ばわるだとか、とにかく今までと何ら変わることのない彼女の振舞いに気づくと見入ってしまっている。
相手が自分であればまったく気にはならないのに、それがコーザであったりチャカであったりすると途端に何故か気にかかる。
これはもしかすると、と頭の片隅で考え、いやまさかとすぐにそれを打ち消して彼は頭を振るのだった。


「ペル、ちょっといい?」
「はい、何でしょう」
「今度内緒でイガラムの誕生日をお祝いしようと思うんだけど、あなたも来てくれる?」
「いいですね、是非参加させてください。きっとイガラムさんも喜ぶでしょう」
「よかった、じゃあチャカとあなたで何かプレゼントを用意してね。私からは別のものを贈るから」
「わかりました、考えておきます」
「内緒だからね!」

桃色の唇に人差し指を当て、悪戯っぽく微笑む王女に笑顔で応え、しかし彼女がくるりと踵を返した途端にまるで海の潮が引くようにペルの面から徐々に表情が薄らいでいった。
もしひとがその凪の静けさの中に何かを読み取ろうとしたとしても、それは恐らく眉間にうっすらと表れた皺の一本分だけで、常と変わらぬ平静そのものの様子に誰もそれ以上は気づけないだろう。
何より彼自身もまた気づいていなかった。
もしかすると、腹の底でくすぶるこの感情に名前をつけたくなかっただけなのかもしれない。


街への行幸とも呼べない思い付きの外出に伴ったときにもそれは起こった。
行く先々で声を掛けられ、誰にも等しく明るい笑顔を振りまく王女につき従い、片手を柄に置いたまま視線を辺りに投げ掛けていると王女の悲鳴に近い歓声が聞こえた。
何事かと振り返った副官の目の前を横切り、急に駆け出した王女の目指す先には幼馴染みのひとりが腕を広げて構えていて、何のためらいもなく彼女はその中に飛び込んでいったのだ。

「ケビ!久しぶり!」
「相変わらずだなあ、ビビ。コーザに聞いてた通りだ」
「リーダーと一緒に遊びに来てくれたらよかったのに、でも元気そうでよかった!」

嬉しそうに相手の胸元へ顔を埋めた王女に副官はビビ様、と声を掛けるが、彼女も周りの市民も誰ひとりそれに構うものはいなかった。
彼らにとったらこれはごく自然なことで、取り立てて何と言うほどのことでもなく、それはペルにとっても見慣れたものだったのに今回ばかりはやけに目に余る行為に思えた。
かといってそれ以上咎めることもできず、結局いつもの通り傍で見守るしかできないのだから、仕様のない話だった。


改めて自ら線を引いて区切ったはずなのに、その境界が時折曖昧にぼやけてよくわからなくなるのが彼には大変後ろめたいことだった。
つまり、彼女はただ「王女」だった。
もはや足元にまとわりついてきた幼子ではなく、しかしひとりの女性として見ることなど畏れ多い貴いひと。
そればかりは今も昔も変わらない事実だった。

少し前に彼女から問われたことをふと思い出す。
夜更けに突然彼のもとを訪れた王女は臣下の制止をふりきってついには部屋へと入り込み、狼狽える副官を正面から見すえてこう言った。
母をひとりの女として今でも愛しているのかと。
返して彼はこう言った。
それは思い違いです、あの方のことは確かに今でもお慕いしておりますが、それは王妃として、幼馴染みとしてです。

確かに、彼女が若くして嫁いだときにはしばらく不貞腐れて拗ねたような態度をとったこともあったが、今思うと仲のよい姉を盗られた弟のそれに似ていた。ただそれだけだったのだ。
仮に彼女が言うように、ティティに対して思慕の情があったとしてもそれをそっくりビビに転じることなどできはしない。
なんとなれば、長じて後に王妃となった幼馴染みと、生まれながらの王女とは決定的に違うものがあるように思えるからだった。
そう思っていたのに、何故こうも気にかかるのだろう。

「お前なあ、何しち面倒くさいことを考えているんだ?」
「ひとが真面目に相談しているというのに…」
「あーあー、こんな頭でっかちの一体どこがいいのだろう」
「ひどい言いぐさだな…相談する相手を間違えたか…」
「いいだろう、教えてやるよ、アラバスタ一の鈍感野郎」

気色ばんだ隼に相方のジャッカルはつとめてそうしたとでも言うように、取りすました顔で口を開いた。

「それは嫉妬というのだよ、ペル君。覚えておきたまえ」
「何を…」
「じゃ、あとは任せた」

途方にくれたようなペルをひとり部屋に残し、チャカは午後の演習に向かっていった。
昼休みの間中、ぐずぐずと囀ずっていた同僚の代わりに隊長への贈り物は南の珍しい腰帯と決めたのは彼だったから、あとは隼がそこまで飛べばいい。


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