秘密の思い出
朝食の席でのこと、今度の夜会用のドレスに合わせるストールをどうしようかと何の気なしに話していると、それでは王妃の部屋を探してみてはと父から提案された。
食事の後にさっそく母の部屋へ向い、その時衣装箪笥の奥から見つけた小さな箱を抱えたビビは、足取りも軽く自室に戻るとそれを文机の上にそっと置いた。
鍵のかかっていないことはすぐにわかったが、まず父に見せると彼は顔を綻ばせてああ、と感嘆の声を上げ、それも一緒に持っていきなさいと優しい笑顔で応えた。

何の装飾もない簡素な作りの木箱は、王国の国王妃の持ち物にしてはいささか不釣り合いにも見えるが、ビビにとったらそれはどんな財宝が詰まった宝箱よりも価値あるものに思えた。
その昔、彼女の母が大層大事にしていた品物がいくつか収められていると言うその箱は、何にも替えがたい貴重なものだった。
ほんとうにいいの?と躊躇いがちに父へ尋ねると、彼女からの贈り物だと思えばいい、と彼はもう一度明るく笑って見せた。


蓋を開けると樟脳の匂いに混じってかすかに乾いた花の香りが感じられ、古ぼけたポプリの布袋が一番上に置かれているのを見つけてビビは手を差し入れた。
かさかさと密やかな音をたてるそれをそっと両手で包み込み、一度鼻先に寄せると静かに机の上に置く。
さらに覗くとその下から出てきたのは二枚の白い貝殻やうっすらと黒ずんで曇った銀製のシガレットケース、掌ほどの小さなテディベアなど、とりとめのないものが雑多に詰め込まれていた。
ひとつひとつを丁寧に取り出して眺め、一番底に鎮座していた表紙の色褪せた絵本を最後に手にする。
ぱらぱらと捲ってみるが、どうやら西の地の古い言葉で書かれているらしいそれを読み解くことは難しく、挿し絵だけを見つめながらかつてこれを手にしていたひとに思いを馳せた。
そうしている内にページの間の何かを指先が感じとり、栞でも挟まっているのだろうかとビビは捲る手を早めた。
あと一頁というところで音もなく滑り落ちたそれを目で追い、その正体がわかると彼女はわずかに怪訝そうな表情を浮かべる。
足元に舞い降りたそれの硬い軸を親指と人差し指でつまみ上げ、くるくると回してぼんやりと見つめた彼女はより一層不可解そうな顔をした。
箱の中身はどれも見覚えのないものばかりだったのに、その薄茶色の羽根だけには心当たりがあったからだ。


中庭のベンチに腰掛けた王女を見つけたペルは、手元を見つめて難しい顔をする彼女に声を掛けるため回廊から足を踏み出した。
やや離れた位置から声を掛けるとびくりと王女が肩を揺らし、一瞬の間を開けてゆっくりと目線を合わす。その表情には驚きというよりも困惑の色が広がっていた。
わずかな違和感を覚えた副官が失礼しましたと声を上げるよりも先に、王女はいつも通りの笑顔を浮かべて彼を見上げる。

「ねえ、ペルならこれが読める?」
「これは…また古いものを見つけましたね。西方の?」
「そうみたい。私にはさっぱりだけど」

辞書を使ってみても中々理解できないと言って、王女は小さくため息を漏らした。何の知識もなく見たこともない文字を翻訳するのは想像以上に難解だ。
人々がそれを使わなくなってすでに久しいし、今では数人の有識者が覚えているくらいだから仕方のない話だろう。
彼自身、故郷の言葉は幼い頃に多少学んだ程度で、今や国の端々までに行き渡った公用語があるのだからわざわざ古語を使用することはなかった。
古典文学に触れる機会も少なくなった今、王女から受け取った絵本も最初は難しく感じたが、数分間眉根を寄せてみた結果頭でと言うより感覚で思い出してきたペルは表情を柔らかくさせた。

「懐かしい物語ですね」
「ペルばっかり楽しんでいるわね…どんな内容なの?」
「ああ、すみません…これは昔から故郷に伝わるお伽噺のひとつです」

ペルが話のあらすじを語って聞かせると、どこかで聞いたことのある物語だと王女が答えた。
この手の童話は細部が変わっても大筋はどれも似たようなものが多かったから、幼い頃に読んだことがあってもおかしくはない。
しかし、こんなに古い西の言葉で書かれた、しかも子ども向けの本が宮殿の書庫にあるなんて。

「よく見つけましたね。これは下巻のようですけれど、他にもありましたか?」
「さあ…これだけよ。それに書庫で見つけたんじゃないわ」
「そうでしたか、では…」
「思い出のものなんだって。母の」

王妃様の、と言ったきり黙りこみ、手にした本を再度見返した副官の様子を、王女はじっと見つめていた。
思い当たるふしがあるのか、それともまったく記憶にないのか、彼の曖昧な表情ではなんとも判じがたい。

「ペルも小さい頃読んだことがあった?」
「はい…表紙がこれとは違ったような気もしますが」
「そう。何故これが母の思い出なのか、あなたなら知っているかなって思ったんだけど…」
「あいにくですが分かりかねます…申し訳ございません」

いいの、と言って王女は立ち上がり、朗らかな笑顔を副官に向けて手を差し出した。
彼の澄んだ瞳に嘘などない、きっとほんとうに覚えのないものなのだろう。
返された本をぎゅっと握り、彼女はまだ何か考えているような副官をひとり残して自室へと戻っていった。
そしてあるひとつの仮定が、自分でもそんなことを考えるなんてどうかしていると思いながら、もしかしてこの本自体は何も意味のあるものではないのでは、と頭に浮かんだ言葉を反芻した。
これそのものではなく、その中身。物語の内容ではなく、その間に挟まっていた薄くもしっかりとした一枚の羽根。
これが彼女の大切なものだったのだとすると、というところまで考えて、ビビは一度だけ飛び跳ねた心臓を押さえつけるように左手を胸元に置いた。
まさか、ね。とひとりごちて箱の中に本を入れ、脇に避けてあった羽根も見つけたときのようにもとの位置へと戻した。


小さなテディベアは娘の小さな手に合わせて初めて作ったものだったが、縫い目が気に入らなくて結局別のものを最初から作り直した。
銀のシガレットケースは夫が煙草を断ったときに譲ってもらったもの。
白い貝殻は父と行った浜辺で見つけ、ポプリは母にせがんで買ってもらったものだった。
この本は祖母の持ち物で、幼い頃によく話して聞かせてもらったのよ。古くて擦りきれちゃってて、もう一冊は気づいたらなくしてしまっていたけれど。
そしてこれは、幼馴染みが、まあ弟みたいなものね、彼が初めて空を飛んだとき、髪の毛に引っ掛かっていたのよ。記念に持ち帰っちゃったわ。

そう悪戯っぽく教えてくれる母は居なかったが、ビビは箱の蓋を閉めると自分のクローゼットの奥にそれをしまい込んだ。


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