太陽の匂い
国王が世界会議のために旅立ってから今日で一週間がたつ。
幼いからと国に残されたビビの相手をするのはもっぱら二人の副官の役目で、王や隊長の不在中に任されている国の護衛のかたわら何かと王女の世話を焼いていた。
聞き分けのいい王女は大概において扱いやすい子どもだったが、いつもそばにいる父の居ない寂しさがこたえてきたらしい。
今朝は起き抜けからかなり不機嫌で、用意された朝食にもろくに手をつけず部屋に引きこもってしまって侍女の呼び掛けにも応じない。
そう言って心配するテラコッタから受け取ったトーストを平らげたペルに、先に済ませたチャカが背後から声をかけた。

「おい、仕事だぞ」
「ああ、レインベース付近の部隊から報告が入った。昨夜寄港した船がどうやら厄介な連中を運んできたらしい」
「そっちはおれの仕事だ。お前は姫のお相手をしろ」
「…は?」
「ネコ科の能力者らしいし、おれの方がいいだろ。お前じゃじゃれつかれてる内にはたき落とされちまう」
「何だって…?」
「じゃ、宮殿をよろしく頼む」

おれの方が速いだろうと言う抗議の声を背中で聞き流したチャカは、ひらひらと手を振りながら食堂から立ち去っていった。


普段あまり足を踏み入れることがない王族の私室が並ぶ廊下の、ある扉の前でペルは腕を組んで困り果てていた。
侍女やテラコッタがどんなになだめすかしても頑として応答しなかったビビは、彼が来たところでそう簡単にはその態度を崩そうとしない。

彼女なりに王女という立場をわきまえてか、普段はこちらがはっとするほど大人びた表情をすることもあるが、まだ4つになるかならないかの子どもなのだ。これも致し方ないことだろう。
肉親と離れて過ごすことがどれほど不安なことなのか、ペルにはそれがよくわかっていた。
いや、正確に言えばその半分ほどが理解できると言うべきか。
この年のころ、彼には母がいたが、ビビには母親さえもいない。

あまりにも反応がないものだからよもや部屋から抜け出したのではと考えたが、時々微かな物音とカルーの鳴き声が聞こえたから確かにここにはいるようだった。
お菓子も絵本も、思い付くものはなんでも言ってみたが、どうもうまくいかない。
他に何か王女の気を引くものはないかと考えていたとき、ふと先日あるお願いをされたことを思い出してペルはもう一度扉をノックした。

「ビビ様、出てきてください。この間仰っていた、秘密基地にちょうど良さそうな場所を見つけましたから」

しばらく間を置いてペルがじっと耳を澄ましていると、ぺたぺたと小さな足音が扉へと近づいてくる気配が感じられた。
続いてゆっくりと取っ手が回り、隙間から幼い少女の空色の頭が覗く。
どうやらこの作戦はうまくいったらしい。

「ほんとうに…?」
「ほんとうですよ。外に行きますから、靴を履いてこちらに来てください」

部屋の奥に駆けて戻った王女が次に飛び出してきたとき、ペルはその小さな身体を抱き止めて手を繋ぎ、彼女の歩幅に合わせてゆっくりと歩き出した。


「わあ!すごい!」
「お気に召しましたか?」
「うん!ここに入れるなんて知らなかった!」
「実を言うと、私もつい先日チャカに教えてもらったばかりなんですよ」

暗く長い階段を上った二人がたどり着いたのは、広場の時計塔の最上階だった。
明かり取りの天窓以外には身を乗り出して下を望めるほどの窓はなく、大きな時計は外に押し開くことは可能だが、ビビひとりの力では到底無理だろう。
何より子どもでは届かない位置に南京錠が掛かっていて、その鍵はしかるべき所に厳重に保管されているのだから、仮に王女が入り込んでも危険はない。
やんちゃな王女の行動範囲が多少広がってしまったことは咎められるかもしれないが、あのまま部屋に閉じこもって痩せ細ってしまうよりは余程いいだろう。
普段見慣れていた時計塔に意外な空間を見つけたビビは、先ほどの態度が嘘のようにはしゃぎ回っていた。

「さあ、テラコッタさんからマフィンを頂いてきましたから、おやつにいかがですか」
「うん、食べる!おなかすいた!」
「手を拭いてからにしてくださいね…」

朝食を抜いていた王女はジャムをたっぷり塗ったマフィンを手にし、にっこりと笑った。


おやつをたらふく食べたあと、ビビは時計塔のあちらこちらを探検して午前中を元気一杯に過ごした。
特別することのないペルにはやや退屈な時間だったかもしれないが、普段働きすぎとも言われている彼にとっては時折ただ王女の呼び掛けに答えるだけと言うのもちょうどいい骨休みになる。

しばらくはのんびりとした時が流れたが、やけに辺りが静まり返ったことに気づいてペルはビビの姿を探した。
ぼうっとしている内にひとりでどこかに行ってしまったのではと慌てて立ち上がったが、入り口近くに積まれていた木箱のひとつに寄りかかってうずくまっている王女を見つけてほっと肩を下ろす。
よく見ると大きな瞳が半分閉じ掛かっていて、頭がかくんと傾いている。お腹がふくれて目一杯遊び回った幼い少女に、抗いがたい睡魔が訪れていた。
そっと近付いたペルが何度かビビの名前を呼んでみても、ううんと小さく唸るだけで中々意識がはっきりしない。
諦めた彼は王女を抱え上げようとしたが、気づかぬ内に無意識に握りしめられていた長い服の裾が足元を邪魔して思ったようにいかなかった。
このままここで眠らせてしまうのもあまりよくない気がしたが、仕方がない。
ペルは隼へと姿を変え、毛布代わりの暖かな翼で王女をふわりと包み込んだ。
それは太陽の匂いにとてもよく似ていた。


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