誰にも言えない
口の中はからからに渇き、こわばった舌が気を抜くと上顎に張り付きそうになるのを心底不快に思いながらチャカは青い空を睨み付けた。
なずんだ太陽を糞忌々しいと言わんばかりに目を細めて見やるが、徐々にその景色もぼやけていく。
身体中から全ての血液が流れ出てしまったのではないだろうかと思い、ひどくやられた脇腹の具合を確かめようと片腕をわずかに動かすがそれも億劫になって途中でやめた。
ざまぁない、たかだか能力者のひとりに、ここまでやられるとは。
長く続いた一騎討ちの末に喉笛へ深く牙を埋め込んでやった瞬間、最後の抵抗を試みたのかただの反射だったのか、相手の鋭い鉤爪が腹を貫いてそのままどうと倒れ伏した。
名も知らぬ不気味な大蜥蜴は死んだ途端にヒトへ戻り、今はもう数メートル向こうで半ば砂に埋もれかけている。そのままミイラになるのが落ちだろう。
もっとも、自分の辿り着く先も彼とそう変わらぬもののようにも思えるが。

ふと閉じかけた瞳の端に黒い影がよぎり、手放しかけた意識をなんとか繋いでチャカは目だけを動かした。
その十数秒後には自分の隣に隼が降り立ち、羽毛に覆われた鳥の顔が美しい男のそれに戻っていく様をじっくりと眺めて一度だけ瞬きをする。
目も口も開いたまま事切れた敵に一瞥をくれただけで無頓着に顔を背けたペルは、日の光を遮るようにしてチャカの顔を覗き込んだ。

「生きているか?」
「ああ…」
「どうしてこうなった」
「さあな…」
「まったく…」

傍らに片膝をつけたペルが背にしていた荷物から清潔なガーゼを取りだし、じくじくと朱が滲むチャカの腹に押し当てた。
適度な圧迫でもって全体を覆い、呻き声を上げて身をよじるジャッカルの逞しい肩を押さえてそれを制する。
応急処置にしては荒い手つきに彼は歯を食いしばって耐えようとするが、痛みと情けなさがごちゃ混ぜになって目尻にうっすらと涙を浮かべた。
なんだ、まだ乾ききっちゃいないじゃないか。
そう言葉にしたくてもうまく声にならなかった。乱れた呼吸のせいでざらつく口内はとにかく水を欲している。
言わなくても気づく出来た同僚は怪我の手当てを済ませると今度は水筒を取りだし、血に汚れなかった最後のガーゼに中身を染み込ませるとそっとチャカの口元に当てた。
がさがさに荒れた唇に生温い感覚がそれでも心地よく、今度はうまく言葉にできそうだと無理矢理に口の端を歪めて笑いの形をとる。

「人生最後の水くらい、もっと景気よく飲ませろよ…」
「それだけ喋られるなら死にはしないさ、立てるか?」
「そんな力残ってたらとうの昔にそうしている…」
「だろうな」

文句は言うなよ、とさらりと告げたペルは首の後ろを擦り、じっとりと蒸した熱を髪の外へ逃すように襟足をぱさりと払った。
次の瞬間には再び隼に姿を変え、大きな翼を広げた後にふわりとそれを羽ばたかせる。
まさかと呟いたチャカの両脇を古代生物を思わせる鱗に覆われた頑丈な二本の脚で器用に抱え、手負いの同僚を最大限に気遣ったとは言えないまでも彼は滑らかに宙を舞った。
気持ちの悪い浮遊感が高所を嫌うチャカに短い悲鳴を上げさせたが、我慢しろと言ったきりペルはぐんぐんと上空を目指していった。


あの鳥の背に乗って一緒に飛んだことがあるのかと王女から聞かれたとき、チャカが咄嗟にはいともいいえとも答えられなかったのはあの時のことを思い出したからだった。
一緒に飛んだには違いないが、背に乗った訳ではなく飛んだと言うより「運ばれた」と言う方が正確な気もする。
それに天下無敵のジャッカルが、若い頃とはいえ無様に負けただのと幼い王女に自ら告白するのもなんだか気恥ずかしくて出来そうもない。
あー、と間延びした彼の声をどう捉えたのか、やっぱり誰も乗せないのね、と王女は不貞腐れたように言って腕を組み、副官の膝の上に腰を下ろした。

「ちょっとくらい乗せてくれてもいいのに…私も空を飛びたい!」
「きっとお父上がお許しにならないんでしょう」
「もー!チャカだって飛びたいでしょ?一緒にお願いして!」
「私の場合、彼よりも身体が大きいですからね。頼んでも乗せてくれませんよ」
「でも、ペルったらまだ私は小さいからダメって言うのよ!いつになったら良いのよ…」
「まあ、もう少し我慢しましょう。よろしければ代わりに私の背にお乗せして表の広場を一回りいたしましょうか?私はペルと違って王から特に何も言われておりませんので」

ほんとに?と明るい笑顔を向けた王女を抱えて下ろし、チャカは彼女の手を繋いで執務室を後にした。
その少しあと、適度に手を抜いてはいるのだろうがかなりの速さで広場の人混みの中を駆け抜ける大きな黒い犬と、それにまたがってきゃっきゃとはしゃぐ王女を見つけた隊長が慌てて駆け付ける様子を、隼は遥か空の上から目撃したのだった。


×
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -