誓い
国を脅かす敵がひとであるとは限らない。

秋のある日、彼は干ばつと嵐で壊滅的な被害を被った地区の復興作業のため、都から遠く離れた東の地に陣を張っていた。
何十人かの部隊が総掛かりで掘り返せども中々片付かない砂と瓦礫に最初は手を焼いていたが、着実に街はもとの姿を取り戻し始めている。
王妃ご逝去の報せが届いたのは、そんな折りのことだった。
埃にまみれた額の汗をぬぐうペルは、そうか、と一声呟いたきりそのまま作業を続けていった。

だから彼が王妃のもとを訪れのは、葬儀が終わってから五日もあとのことだった。
彼の能力をもってすれば半日もかからずアルバーナに帰参できるはずなのに、彼はあえてそれをしなかった。
別の隊と入れ替わりに引き揚げる仲間たちと共に歩き、わざと時間をかけるようにして都に帰りついたのは結局朝日の上る直前のこと。
国中がもっとも静けさに包まれているときだった。

王家の葬祭殿にたどり着くと、明けきらない夜気の中に微かな香油の匂いが感ぜられた。
真新しい棺の前で脱帽しながら跪き、項垂れ、微動だにせず黙祷を捧げる。
膝に触れる石の冷たさも柱の間を吹き抜ける風の音も、彼には何も伝わらない。彼が今思い出すのはただあの時の暖かさと密やかな笑い声だけだった。


ちょうど一年ほど前、むずかる赤ん坊が王妃の腕の中でやっと眠りについたある日の午後のことだった。
籐製の籠を母親の代わりに抱えて後ろに従っていたペルは、のんびりと前を歩く王妃のゆったりとした服の裾を何の気なしに見つめていた。
ふわりと広がったそれがやがてはしぼみ、王妃が歩みを止めたことに気づいた彼も2,3歩の間隔をあけてそれに倣う。
彼女は柔らかな産毛を撫でながら幼子に鼻先を寄せ、すやすやと眠る娘の頬に触れるか触れないかのキスをしていた。

「こうしてるとほんとうに天使みたい」
「そうですね」
「起きてるときはちっちゃな怪獣が暴れてるみたいだけど」
「お元気なのはなによりです」
「あら、あなたも子どもをもったらそうは言ってられないわよ」

眠りを妨げないようにごく小さな声で囁き合う。
時折もぞもぞと身をよじる王女が母親の胸に顔をうずめ、乳を吸うように口許を動かす様子を見ては穏やかに微笑んだ。
その時の王妃の表情は幸福と慈愛に満ちていて、端から見ているペルにもそれが伝染したかのように自然と笑みがこぼれた。

「ねえ、護衛兵さん?」
「なんでしょうか」
「お願いがあるの。聞いてくれる?」
「…あなたを乗せて空を飛ぶ件ですか?」
「いいえ、それはもういいの。代わりと言ってはなんだけど…どうしても聞いて欲しいお願いよ」
「代わり、ですか…?」


出来うる限りでいいからと言った王妃に、ペルは何があってもと答えた。
約束ではなく、誓いとして、己の命尽きるときまでと言ったペルに彼女はクスクスと声を押さえながら笑った。

この国と民と、夫である王とその娘を如何なる敵からも守って欲しい。
王妃として妻として母として、彼女はペルに願いを託していった。
彼女自身のことは一言も言わなかった。ただ彼女の周りのすべての幸せを願ってやまなかっただけだ。
だからペルは誰にでもなく自分自身に誓いを立てた。
すべてを包み込み、愛し、慈しむ王妃そのひとの笑顔をも守り抜こうと。
今彼女がこの重たい石の棺の中で眠り、その笑顔を見ることは叶わなくてもこの想いは変わらない。

果たせなかった約束の代わりに立てた誓いは、いつまでも彼の中で生きていく。
これまでもこれからも、たとえ何があろうとこの身が滅びるそのときまで、必ず。


×
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -