約束
暑さの盛りを過ぎたとは言え、この夏島では今日も容赦なく太陽が照りつける。
行き合った侍女に尋ねたペルが王妃を見つけたとき、彼女はその日差しを避けるようにして東屋のベンチに一人腰掛けていた。
読み差しの本を膝の上に広げたまま頬杖をつく王妃の姿は、遠目からでも気怠げな様子が見て取れる。
両手で盆を支え、王妃さまと控えめに声をかけると彼女はゆっくりと振り返って口元だけの笑みをこぼした。

「あら、午後のお勤めはどうしたの、護衛兵さん?」
「こちらに参るようにと言われました」
「そう。ご苦労様ですこと」

どことなくつまらなそうな表情で本を閉じ、テーブルの上に置かれたアイスティーを見てありがとうとまた微笑む。
珍しいこともあるものだわ、あなたがここに、しかもお茶まで持ってきて。どうしたの。
そう問いかけようとして、王妃は結局言葉にすることをやめた。何故彼がここに来たのかだなんて、尋ねなくともよく分かる。
少し悲しげな目をした夫の顔を思い出しながら、グラスの表面についた細かい水滴を指先で弄ぶ。
傍らに立ったままのペルは居心地悪そうに両の肩を揺らし、さてどうしたものかと心の中で呟いた。まるで初めて目にするひとのようだ。

「あの...王妃様?」
「何かしら、護衛兵さん」
「その呼び方、なんとかなりませんか...?」
「あなたこそなんとかしなさいよ」

こちらから言わなければ、ずっとこうして立ち尽くしているに違いない。
数年前であれば、目の前だろうが隣だろうが、何も気にすることなく自分に近づき腰かけていた。それが今ではこの有り様。
王妃がどうぞと勧めるとようやく向かいのベンチに浅く座り、幼馴染みの男は腰から下げていた剣をがちゃりと外して後ろに立て掛けた。
その所作の一々を緩慢に眺め、あぁ、この男もずいぶんと成長してしまったと溜め息をつく。
郷を離れて以来、彼とこうして話す機会はほとんどなかった。彼が都に来てからもそれは同じことだった。
相変わらず細身ではあるけれど、それでも腕や胸板の厚みが増していて最早少年とは呼べない大人の男。背丈も少し伸びたように感じる。
知らない間に変わっていってしまう幼馴染みに少し寂しさを覚えるけれど、彼女はまだあまり目立たない腹に手を添え、自分自身も変わっているのだと気付かずにはいられない。

「今朝伯父様に会ったわ。お花を頂いたの」
「そうだったんですか?」
「えぇ、ベゴニアよ...ちょっと萎れてたけど、水をやったらすこし元気になったわ」

故郷の丘にも咲いていた桃色の花を、市で見付けたからと言って差し出した。
壮年の男が恥ずかしがるふうでもなく、可愛らしい鉢植えを手にしていた時には思わず笑ってしまった。
あの人は変わらない。
あの頃も今も、ずっと優しく親しげで、少しだけ彼女の心を軽くしてくれた。
それに比べてこの甥は、いまだに彼女と目を合わそうとしない。王族の女性を正面から見つめるなど、畏れ多いとでも言うのだろうか。
馬鹿馬鹿しい話だった。

それからしばらくは兵や街の様子、あの頃共に過ごした子どもたちの消息を王妃から尋ねたりして時を過ごした。
以前に比べて口数の少ない護衛兵は多くは語らないけれど、その身軽さで方々へ出掛けた時の事などを交えて質問に答えていく。
つい先日港で繰り広げられた海賊との攻防を7割りがた割り引いて話して聞かせた彼が一息ついたとき、彼女はふと思い付いたように話しかけた。

「ねぇ、護衛兵さん?お願いがあるのだけど」
「なんでしょうか?」
「あなたの背に乗せてちょうだい。空を飛びたいの」
「できませんよ!」

とんでもないことを言い出した王妃に驚き、ついに彼は彼女の瞳を見つめた。
何を言っているのか、何を意味しているのか、冗談だろうと探りを入れるが彼女は真剣そのもので、ペルは一瞬青ざめてまたすぐ目をそらしてしまう。
王妃たるこのひとを、それも身重の女性を背にして飛ぶなど、絶対に出来ない。
ひとを乗せて飛ぶことが無いわけではなかったが、それは今話していたような戦闘中のやむを得ない状況の時だけだ。悪魔の実を口にしてから数年、自分から進んでひとを乗せたことはない。
墜落でもしたらどうするんですかと強い口調で彼が言っても、何を根拠にそう思うのか静かな声で大丈夫よと彼女が答える。
できません、致しかねますと何度も繰り返し、国一番との誉れも高い護衛兵は普段見せることのない弱気な表情でかぶりを振る。
そんな様子の幼馴染みを見て、ティティはうっすらと微笑んだ。今の彼の表情は、あの時の少年と同じ顔だ。

「じゃあいいわ、ペル、約束を果たして」
「約束...?なんの...」
「あなたが初めて飛んだとき、私さっきと同じようにお願いしたわよね」
「あ...」
「『いつか、もっと上手く飛べるようになったらね』って。もう十分上手に飛べるでしょう?」

何も答えられずにいるペルは、まだ困ったような顔をしている。
ほんとうは、故郷まで連れ帰って貰いたかった。
王宮から飛び出して、言いようのない不安や寂しさを吹き飛ばして欲しかった。
でも、もういい。あの時のペルを垣間見れただけで良しとしよう。
子どもの頃の約束だって、果たされなくても構わない。

閉じた本を手にし、結局口にしなかったアイスティーをそのままにして彼女は腰を上げた。
反射的に立ち上がった護衛兵の後ろで剣ががらんと音を立てる。
ゆっくりと歩み出していた王妃がその音に振り返った時、彼は背筋を伸ばして躊躇いがちに口を開けた。

「ティティ、様...」
「...なあに?」
「もう一度、お約束致します。今は駄目ですがあと一年、お待ちください」
「一年...?どうして?」
「お二人同時には無理ですが、あなた一人なら乗せて飛べます」

わかったわと言ったティティは、あの頃と同じように心からの笑顔をペルに見せた。


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