Hoper(モモンガ)
仮に何か欲しいものがあるかと問われたとすれば、強靭な身体、挫けぬこころ、折れない刀と沈まぬ艦と答えるだろう。
この絶望的な状況、息を吐くのもままならない、周りの敵味方の区別もつかぬ戦場で、彼は今一歩というところでなんとか踏みとどまり、そう埒もないことを考えた。
もう少しで笑うところだった。なんと欲の深い、と実際口にもしてみたが、誰の耳にもその言葉は届いていなかった。間近で破裂した火薬の所為で、言った本人にすら聞こえていなかったのだ。

額の傷は浅いが目が使い物にならなくなると厄介だ。掌がぬめるのもまずいと二の腕でばかり拭っていたから、制服の袖も真新しいコートも元の白さはまるで見る影もなかった。柄だけになった愛刀を波間へ放り、傾きに傾いた甲板を蹴り、縁に突き立てられていた小型のナイフを手にしてぐるりと辺りを見渡す。


目の前にあるはずの道を見失いそうになるたび、モモンガはその時のことを思い出さずにはいられなかった。もう何十年も昔のこと、彼が将校と呼ばれる地位について間もない頃の話だ。
意識的に記憶を呼び戻すこともあれば、気づけば思い浮かべていることもある。あの頃にできて今の自分にできないはずはないと、気持ちを奮い起こすため、あるいは馬鹿馬鹿しいと笑い飛ばすために彼は必ずそうした。
そうしてどちらの場合も眉の上の古傷、近づいてもよく目を凝らさないと見えないほどのうっすらとした跡、を指先で擦るのが常で、その癖については彼は気付いていなかった。

道であれなんであれ、見失うというのは単純に恐ろしかった。だからいつだって己を保つため、己を律するために必死になって探した。何をかはわからなかったが、そうして足掻くほかなかったのだ。
けれどその「何か」が中々見つからず、足も棒のようになり躓き立ち止まり、もう絶望するしかないのだと途方に暮れたとき、拠り所となるものは己の中にしか見出せないのだとやがて気づいた。そして彼は願い、信じた。多くを望み、幾つも欲した。
間違いのない理由、何にも邪魔されぬ強い意志、敵を正確に捉える太刀筋と穏やかな海。誰かに与えてもらうものではない、自分自身で得るものだ。

つとめてそうしなければならなかった。
ときに己の凡庸さや非力さに嫌気が差し、どうしようもなく叫び出したい気分になる。ひどく惨めで腹立たしく、もしかすると泣きたくさえなるほどに。
矮小な存在だと認めたくはなかった。自分は間違ってなどいない、何か特別な人間であると思いたかった。
しかし結局は自分にとって特別なだけで、自分の主人は自分でしかなりえなくて、自分を肯定できるのもまた自分だけだった。
ほかがどう評価しようと、どれだけもっともらしいことを言おうと、それが本心であれその場しのぎの思いつきの言葉であれ関係のないことであろう。

だから彼は口を閉じ、吐き出すことをやめた。内側でどろどろと渦巻く醜いものを抑え込むには、唇を引き結び歯を食いしばるのが一番だった。喉の奥に、胃の腑に、ごわごわと違和感が広がったが、そこまでで抑え込むことはできた。
まったく最悪だと、彼はもはや口にはしなかった。いつだって正しくありたいと、そう強く願っていた。
強大なものへ立ち向かう勇気。こちらの信念を守り、相手のそれを打ち砕く力。
信じ、望み、願って自ら掴み取ってきた多くのもの。

「まあ、そう気負うなよ」
「何がだ」
「全部顔に書いてある」
「そうか」

互いに目は合わせなかった。一方が合わせようとしなかったし、もう一方はきっとそうなのだろうと見通していたからだ。
人員も武器も全て揃った。あとは乗り込むばかりの艦を前に、彼らは互いの声の届く距離を保ってそれぞれの橋板を眺めていた。足元を照らす灯りはあったが、それでも日の落ちた今はどうしたって危うくなる。

「あんまり思い詰めるとまた禿げるぞ」
「またとは何だ、これは剃って…」
「睡眠を削るのも頭髪にはよくないと言うしな。着くまでに少し休んだ方がいいんじゃないか」
「だから、これは、剃っているんだ」

知っているだろうが、と額に触れていた手を下ろしながらモモンガが言うと、知っているさ、とヤマカジは笑った。

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