2.最果てにてお手を拝借


「つーか、部室って言ったくせに部室じゃねぇのな」

 呆れた口調も無理はない。放送室で鍵とカバンを手にした私が最終的に彼を連れ込んだのは、放送室からまた少し離れたところにある視聴覚室だった。扉の前で待たされた時点で目的地は違うと気付いただろうに、ちゃんとここまで付き合ってくれるあたり……やっぱり巻島はいい奴だと思う。

「まぁねー。いくら人が少ないって言っても、完璧アウェーは落ち着かないでしょ?」

 すぐ準備するからその辺座って待っててと冷房の真下あたりを指差せば、大きくも細い身体はゆらりふらりと動いてイスに腰掛けた。長い手足と長い髪がふにゃりへにゃりと細い胴体に釣られて動く様は、なんだか不安定で頼りない。
 春夏秋冬いつの日だってこの男が「こう」なことを知らなければ、暑さのせいだろうかと心配になっただろう。けれど脇腹をつつくだけで折れそうな身体に見えて、実際はそんな貧弱なものではないことも、よく知っている。

 巻島が自転車に乗った姿を見ていれば……わかってしまう。
 折れそうな肢体は、折れない。ぶれそうな芯は、ぶれない。
 まるで柳のように美しく逞しくしなる身体は、それを支える根もちゃんと持っている。

 なんてことは勿論口にも顔にも出さないまま、備え付けのパソコンに機器を接続し素早く支度を整えて、仕上げに照明のボタンに指を置けば「ああ」と巻島が口を開いた。

「いいものってそれか。どうせなら金城たちが居る時に……」
「さて! ではでは、校内最速上映開始でございまーす! まずは新学期一回目放送予定のインターハイ特番用!」
「……こいつ、聞く気ないショ」

 ちゃらら〜という音楽とともに、スクリーンには「自転車競技部」という文字が映し出される。次いで、華々しい表彰式の様子と一〜三日目の数カット。
 そして彼らの戦果を讃える落ち着いたトーンのナレーションが添えられる。
 インターハイ参加の部活全てを紹介する放送用なので、尺にすれば数分にも満たないけれど、きっちり見所のあるいい映像だ。
「クハッ、ゴールのシーンもバッチリだな。相変わらず大したもんショ」
 緩んだ口元でパチパチと手を叩く巻島の反応に気を良くして、私のテンションはぐいぐい絶好調の右肩上がりだ。

「お次は! これまた校内最速公開『密着!自転車競技部〜インターハイ編〜』だよー!」
「そういや宿でもカメラ回してたなぁ……つーか、うわ、出発まで撮ってる意味あんのかこれ!? 」
「うわぁ、ダメよ巻島! 意味があるだとかないだとか、そんなことは言ってはいけないお約束……!」

 ……そうなのである。本人に嫌味のつもりは微塵もないのだろうけど、私たちにとっては出来れば触れてもらいたくない弱みなのだ。サッカーやテニス・卓球など比較的写しやすいフィールドが限られた競技とは異なり、なにせ自転車競技部の舞台は範囲は広くて横幅は狭くておまけにくねくねしている。周回レースのように同じ場所は繰り返さないし、こちらの準備が出来ていようがいまいが関係なく、シャッターチャンスは一瞬だけだ。ああ、なんて素人泣かせな環境だろう。
 私たち放送部が持ち込むカメラで捉えられるシーンは当然ながら酷く限られてくる。
 レースを繋ぐだけでは、正直どうにもボリューム不足という印象は避けられないのだ。
 自転車競技部自体の実績と期待値のおかげで、放送部の校外活動としては類を見ない人数を派遣出来たとはいえ……正直、まだまだ充分とは言い難い。 それでも、映し難い競技なのは承知の上で、出来る限り映すのが私たちの役目であり目的なので、決まりきっている前提をくよくよ言っても仕方がない。
 どうせならインターハイのあの非日常な三日間の空気ごと切り取ろう、と言う意識で作り上げられるのが、この「オフショットも多数ですよ!」という特別編集版なのだ。
 このコンセプト自体はどこの部に対してもそうなのだけれど、自転車競技部に関しては特にその傾向が強い……ということは作っている人みんながわかっている。
 いや、妥協じゃない。放送部の三大メイン活動の一つであるインターハイ取材記録が自転車競技部に限りこうなっているのは、妥協じゃないんですよ、決して! そう、現状でベストを尽くして、その結果の映像・画像をこうして加工してもう一度ベストを尽くして、一本の動画に纏め上げたのですよ! 放送部の努力と実力の結晶ですよ……よし大丈夫。誇れ、私!

「なんつーか、いつものでいい加減慣れたと思ってたんだが……やっぱこういう形は、なんか気恥ずかしいっつーか……ハハッ、でも……すげーっショ!」
 (カメラに気づいて箱学の東堂くんが強引にインして来た爆笑必至な場外シーンでこそ顔を引きつらせたものの)見終えた巻島は、熱い吐息を漏らしてそう言った。

「しかし、おまえも腕上げたなァ。あーここって田中が撮ってんだろうってすぐわかっちまったっショ」
 あ、勿論、他の奴らも頑張ってくれてたのは伝わったショ。これ、ぜってぇみんな喜ぶショ。田所っちあたりは泣いちまうんじゃねぇのかな。放送部ってマジすげぇショ。
うまく言えねぇけど、なんて言葉を探してもどかしげに眉間を揉む彼は気づいているのだろうか。言葉以上に雄弁に、巻島の行動が私たちを労ってくれていることに。
 小野田くんに引かれて坂を進む田所を前に食いしばられた口元や、三日目のゴールシーンで熱く握られた手にこそ、それらの反応にこそ、私たちは報われる。

「ありがとう。私も、これが最後の活動だからね……三年間の総決算、見事やり遂げたって感じ」
「あれ、放送部の引退は秋じゃなかったか?」
「あー……まあ、放送部自体の大会もまだあるけど。でも、アナウンスとか大会用の番組制作は別のチームだしねぇ」

 そういうことじゃねぇショと続きかけた巻島の言葉を遮ぎって、私はもう一度声を張る。びくりと巻島の身体が仰け反った。ふふふ、驚くよね。校内放送用の短い一本と、放送部用および各部活用の先ほどの一本。いつもなら当然、お披露目はこの二本だ。
 けど、今年は一味違う。

「ラスト! 田中夏希特別編集版、いくよ!」

 ちゃらら〜と再び流れる音楽と共に、広がる光景。
 転がり始めた映像に巻島の目が吸い寄せられたのだけを確認して、そっと壁際に寄った。
 視聴覚室が誇る特大のスクリーンに映し出されているのは、一年の頃の金城くんや田所多めに先輩たちにマネージャーに……そして圧倒的容量の巻島だ。始まりは、初々しさ溢れる一年レースと前後の練習風景。次いでインターハイと残暑に向けて場面は流れ、やがて三年生が舞台から降りていく。
 この頃はまだまだ私は慣れていなくて、画面は安定しなくてガタガタだしピントもおかしい。流し撮りにも挑戦してはいるものの、付け焼き刃過ぎて目も当てられない。指導役だった先輩の記録の方が、間違いなく見る側に親切だ。けど……あえてその先輩たちのデータはお蔵入りとさせていただいた。
 代わりに徹頭徹尾、撮った当人でも赤面モノだと言うしかない、正直どうして残してあったのか謎な一年生の記録で構成した意味は、私だけが知っていればいい。(なーんて。覚悟の上で作ったのだけれど、やっぱりいざこの場になるとあんまりの下手っぷりにとても平常じゃいられない。)(うううと情けなく呻いて、ずるずると腰を落としてひたすら息を殺す私は、もうただのヘタレと言われても仕方がないと思う。)

 ホームビデオのような映像はやがて、レースや練習で撮りまくった静止画に変わった。
 そして、再びの春。一年前に比べればずっとマシになったカメラワークが、逞しくなった二年の彼らを映し出す。
「……クハッ……おいおい、なんだよこりゃ」
 ライバル、再び登場。決めポーズの東堂くんがこちらを見て不敵に笑ってるここは、自分でも特に気に入っているカットだ。ちなみにこれは、私に向けられた笑顔ではない。とあるレース会場で顔を合わせた時に、後で巻島にも見せるよと言ったらすかさず出てきたのがこの笑顔である。
 そこからは、怒涛。昨年のインターハイから、追える限りに追った個人レースに、追い出しレースに、日常風景に、三年の春にと目まぐるしく場面は変わる。
 そして極め付けは、先日のインターハイである。
 こうして続けてみると私もなかなか腕を上げている。時とともに、見られるレベルの写真と映像がぐっと増えていた。必然的に、使いたいシーンも静止画も絞りきれなくなって、もう正直中盤からはずっと巻島のターンと言ってしまってもいいくらい。ああ、なんて巻島パラダイスタイム。


 こうなればもう、尺も構成も何もあったもんじゃない、要素も思いも場面も詰め込み過ぎのムービーである。あれもこれも、入れたい。これがちゃんとした作品なら、もっともっと削ぎ落とさなくては評価されないだろう。けれど、あえて切り捨てられないままで突っ走り切った。素材を選びながら、正直自分でも驚いたのだ。部活風景ばっかりで、よくもまあ、こんなにも。っていうか、私どんだけ自転車競技部を撮り続けていたのだと。

 そんな膨大な瞬間を詰め込んだ時間は……やがて、静かな部室とトロフィーに終着する。



 最後に残したnextの文字が、ゆっくりと消えた。

 後はただ暗く静かな室内で、役目を終えたスクリーンだけが白く浮かび上がる。



(タイトル:亡霊)(シリーズタイトル:otogiunion)

 

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