29.二人の復讐者

 私の罪とは、一体なんなのだろう。
 自分と血の繋がった父親の所業を、私は知らなかった。知ろうともしなかった。
 そして、捨てられた私は――義母の元で、何の不自由もなく生きていた。箱入り娘として。結婚したいと言いながら幸福を願う、愚かな娘として。……ディエゴの言ったこれらは、本当に罪であるのだろうか。
 だが、他の人には罪として映らなかったとしても――私の父に大事な人を奪われた彼の目から見れば、それは罪だったのかもしれない。
 私は、父の罪を知らなかった。それは紛れもない事実だから。
 だがたとえ、これが罪でなかったとしても。私が、二十年を育ててくれた義母のことを、本来の動機はどうあれ、殺してしまったことも事実であった。それは――紛れもなく、私の罪であった。


「無知は罪だとは、良く言ったものだな。否――無知であることすら知らなかったことが、一番の罪と言うべきか?」
 何も言えない私に、ディエゴは静かに言葉を続ける。
「それなら、無知な君に一つ教えてやろう。君と血の繋がった、双子の姉妹のことだ――彼女は結局、親に捨てられた。母親が死に、それから父親に捨てられたそうだ。そして、巡り巡ってあの貧民街に堕ちたことを、このDioは知っている。オレが生まれ育った場所よりも、ずっと酷い場所だ」
 彼の言葉を聞いた瞬間、思い出したことがあった。ディエゴの目を盗んであの貧民街に向かったときに、ある女に出会ったこと。私に似ているような気がしたその女は、私をあの毒を売っている東洋人に引き合わせたあの女は、ディエゴのことを知っている風だった。その彼女が、娼婦として生きているであろうあの女が、まさか実の姉妹だったとは――
「そうなると、君は随分恵まれているとは思わないか? なあ、ナマエ。こんなことになっても、このDioが――おまえのことを引き取ってやろうと、そう言っているんだぜ」
 そして、彼は唆すようにこう告げた。その言葉が、やけに耳に残った。

 確かに、ディエゴはこう言っていた。『もし君があの人のことを殺せば、オレは君を見捨てない』と。だからこそ、私に義母を殺す道を選ばせたわけだった。私が義母のことを殺さなければ、私はきっとあの街に堕とされることになるのだろうと、そうやって逃げ道を潰して。
 そんな彼を見ながら、私は思う。
 彼は、満足したのだろうか。愚かな私に復讐して、義母の遺産が受け継がれることが決定して――それで、彼の飢えは満たされたのだろうか。
 そして、きっと違うだろうと思った。ディエゴのこの復讐劇は、あくまで私が手始めであるのだと。これから彼はきっと、世界に復讐するのだろうと――


「ねえ、ディエゴ。あなた――これから、何をするつもりなの? 私には、それが分からないわ」
 世界に復讐する。それはいい。私のことを生かしておいて、彼がこれから何をするつもりなのかが分からない。
「なら、逆に聞くが。君はどうしたいと思っている? ナマエ。君は今、自分の心の内に、一体何を秘めているんだ?」
 その言葉を聞いて、少し考えた。
 私は、ディエゴに生かされた私は――どうやって、これからを生きようとしているのだろう?

「……あなた、私のことを蛇って、そう言ってたわよね」
 少しの沈黙の後――今更のように、思い出すことがあった。
 それは、私がこの運命を受け入れたという、自分なりの証だった。
「今なら、その理由が分かる気がするわ。嘘つきで、罪深く、毒を持ち、這いつくばりながら、何かを喰らうことでしか生きていけない。私は――生まれたときから、そんな存在だったのね」
 嘘つきで、罪を背負いながら生まれてきて。自らを育ててくれた親にすら手をかけて。
 蛇は自らの毒で命を絶つことはない。
 蛇はやっぱり、私だった。
 同時にあの男も、蛇だった。
 私は結局、生後間もない頃に川に捨てられ、死にかけて酷い目に遭っていた時に出逢った義母と、最悪の別れを演出してしまっただけだった。
 そして、私の中に湧き上がったのは――『飢え』だ。
 彼に復讐したいという気持ちと、『飢え』だ――
「だから私はあなたに復讐したい。私は、あなたを殺したくてたまらない。復讐は、新たな復讐を産む――あなたが憎くてたまらない。……飢える者として、奪われたものを、奪い返す者として」


 そんな私の言葉を聞いて、ディエゴは薄く笑った。
 それから、手を広げて――その言葉を吐き出した。
「さあナマエ。オレと契約しようか」
「契約?」
 ああ、と彼は頷く。
「君とオレの――全く相反する目的を持った、復讐への契約だ」
「意味がわからないわ」
 何を契約しろと言うのだろう。ディエゴは、そうやって首を傾げる私の事を見下ろす。
「オレは世界に復讐したい、復讐してやる。……それなら、君はどうなんだ?」
「さっきも言ったけれど――私は、あなたを殺したくてたまらないわ。そして私は復讐したい。私をこんなところまで落とした、この世界に、そして私自身の運命に」
「だろうな。……オレは世界を手に入れる。世界を支配する。こう言っている憎い相手に、君が思うことは何だ?」
 少し考えた。私の憎い相手が、世界を手にしたいと、そう言っている。
 それならば。
「……私は、あなたが世界を手に入れた途端に――あなたを殺したい。あなたを殺して、私は憎いこの世界を手に入れたい」
 そうだ。そうやって復讐しよう。ディエゴ・ブランドーが世界を手に入れた瞬間に、私は彼と、そして世界に復讐しよう。それが彼への、一番の復讐になると思うから。
 だから私は、そのために――彼が世界を手に入れるまでは、彼の手伝いをすることになるのだろう。彼が世界を手に入れることができるよう、彼が世界を手に入れるその日まで、私とディエゴは手を結ぶことになるのだろう。それが、復讐の契約だ。復讐相手自身と結んだ、ひとつの約束だ。
 そうしないと、私の復讐は完遂されないと、そう思ったから。
 たとえ、それが彼の望み通りで、私はディエゴに利用されているだけだったとしても。それでも私は、そうするしかなかった。


「なあナマエ。左手出せよ」
 急に何を言うのだろう。そう思いつつ、言われた通りに左手を出してやる。
「ナマエ、おまえがあの人を殺せば――お望みなら、君だけのオレになってやってもいいと――そう言っただろう?」
 すると彼は指輪を差し出し、跪いて、私の手の甲にキスをした。
 私の左手の薬指に、古びた指輪が輝いた。

「これは誓いだ、ナマエ。誓いに意味なんてないだろうが――それでもオレは、誓ってみせる」
 誰に、何に誓うのだろう。彼の母親の名誉にであろうか。まさか、彼が神になんて誓うはずがない。
「オレは世界を手に入れる。絶対にな。……こう誓う憎い相手に、君がすべきことは何だ?」
「……」
 ディエゴの鋭い瞳が私を射抜く。
 だから、私も誓うことにした。
 二人分の復讐を。
「私は、あなたが世界を手に入れることを手伝うわ。私のできる範囲でね。そして――あなたが世界を手に入れた瞬間に、あなたを世界の頂点から蹴落とす。そうして私が、世界に復讐してあげる。……それが私の復讐よ」
 私は、何に誓ったのだろう。義母にか、まだ見ぬ父親にか。
 ……どれも違う。私は、世界に誓ったのだ。きっと、ディエゴもそうなのではないだろうか。

 憎むべき、復讐すべき、手に入れる世界に――同じようで違う、相反する目的を持った二人の男女は、復讐を誓った。
 いつか全てを奪い、手に入れる日を夢見て。

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