28.侵略者ディエゴ・ブランドー
「世界への復讐? ……私への、復讐?」
意味が分からない。私は思わず、今の状況を忘れて唖然とする。
だって。復讐したいのは、むしろ私の方だ。私が義母を手にかけてしまったのは事実だが、それでも。彼がいなければ、私が自分の義母を殺すことなんてなかった。
ディエゴ・ブランドーなんていなければ、こんなことには――
「前に少し、話してやっただろ。オレが貧しい出身だって」
「……だから何? だから、貴族に復讐でもしようと思ったって?」
「まあ、実のところオレは貴族なんて――正確に言えば、飢えも知らずにぬるま湯に浸かった、それでいてぬるま湯に浸かっている自覚すらない貴族という存在は、確かに嫌いだが――そうじゃあないさ。オレが、ナマエ、君を選んだ理由はな」
そう言いながら、彼は私の目を鋭く見つめる。
その瞳には、確かに憎しみという感情が宿っているような気がした。
ディエゴ・ブランドーが、私を選んだ理由。
そう、確かに莫大な遺産が欲しいだけならば、わざわざこんなことをする必要はどこにもない。養女なんていない、独り身の貴族の老婦人は、他にもどこかにはいるだろう。
以前、彼は言っていた。養女である私という、所謂コブ付きの老婦人をわざわざ狙ったのは、理由があると。そこには、遺産以外にも何か理由が――私という人間を狙う理由がどこかにあるのかもしれないとは、思っていたが。
「オレは、世界に復讐がしたい、頂点に立ちたいからだ」
「どういう、こと」
「君はその手始めってワケなんだよ、ナマエ・ミョウジ」
それでも、さっぱり分からない。私が一体、いつどこで、彼に何をしたと言うのだろう。
どうして、私が彼に恨まれなければならないのだろう。どうして私が、復讐されなければならないのだろう――
「昔話には、続きがあった。『全てを話す』と、そう言っただろう? 今こそオレの昔話を、全て話してやろう。……今となっては、つまらない話かもしれないがな」
そして、ディエゴは話し始めた。
貧しい出身で、父親は家庭にいなかった。母親は、若くして苦労をしながら死んでいった。そこまでは、以前聞いた通りだ。
だが、ここからが本題だった。私の知らない、彼の昔話は。
「オレの母親の死因、知らないだろ。――破傷風だ。働いていた農場に勤める男に母親は、オレたち親子は理不尽な理由で虐げられ、母はそれをきっかけに病気が発症して死んだ」
確かに、知らない。半年彼と過ごしてきたが、初耳だった。彼はいつも、自分のことは話そうとしなかったから。
「……それが、世界への復讐? ……お気の毒だとは思うけれど、それと私に、何の関係が?」
その農場の男に復讐したいと思うのなら分かる。でも、だからと言って私が何故、ディエゴに復讐されなければならないのだろう。
私はその農場の男なんて、見たことも聞いたこともない。今まで会ったことは一度もない。私はその人のことを何も知らないし、知る必要があるとも思えない。
なのに、何故。そう思っている私に、ディエゴは口元を歪めた。
「まあ、聞けって。オレが復讐すると決めたのは、何も農場の男だけの話ではない――あの農場に関わった人間、全てだ。オレたち親子を見捨てた父親のことも、見て見ぬふりしたヤツらも! どいつもこいつも、『有罪』なんだッ!」
「だから、それで何で、私が復讐されなくちゃ――」
ヒートアップするディエゴにつられて、私も声を張り上げる。何故。どうして。私が一体、何をしたと言うのだろう。彼の母親の死に、私は何も関係がない、そのはずなのに――
そんな私を前に、ディエゴは急に表情を消した。そして、真実を――全ての『答え』を、私に叩きつけた。
「分からないか? ナマエ。君は――おまえは、その農場の男の実の娘なんだよ。ナマエ・ミョウジ」
「実の、娘……?」
その言葉が耳に入った途端、私は硬直した。
……私は、義母の一人娘で、ミョウジ家の令嬢。だが、当然と言うべきか、彼女とは血が繋がっていない。私が生まれた頃、彼女は当時六十三歳で、とても子供を産める年齢ではない。実際私は、捨てられた赤子で、彼女に拾われたのだから。
だから。確かに私にも、産みの親はどこにいるはずだ。それでも私は、産みの親について探そうと思ったこともなかったし、彼らの存在について考えることもほとんどなかった。
私は、川に捨てられていた子供だった。本当の親のことなど何も知らなかったし、知りたくもないと思っていた。できれば二度と会わずに人生を終えたいと思っていた。彼らのことを知りたいとも思わなかったし、知る必要があるとも思えなかった。だって、知ってしまったら、彼らのことを憎んでしまうだろうから。
それなのに。私は今、私の知らない両親の話をされている。
知りたくない。聞きたくない。なのに、なのに――
「あの農場の男には妻子があった。妻子があるのにオレの母親に迫り、オレの母に拒絶されると、オレたち親子は虐げられるようになった。……実にくだらない男だよ。だが、そのくだらない男のくだらない精神によって、愚かなほどに高潔な意志を持っていた母は死んだ。オレの母は、おまえの実の父親の手によって殺された」
ディエゴは淡々と言葉を続ける。その言葉の節々に、憎しみを滲ませながら。
「だが、その男の話には続きがあった。正式な妻子の他に、もう一人子供がいたんだ。あの男の妻には双子が生まれたが、二人とも育てる経済力が足りないと判断され、片方だけ川に捨てられたらしい――それがおまえなんだよ、ナマエ」
そして彼は、私のことを見下ろす。今にも刺してやりたいとでも言いたげな、そんな冷たい顔を見せながら。
「運命だと思った。ああ、運命だと思ったよ、ナマエ・ミョウジッ! オレはあの男を探し出し、いつか殺してやろうと思っていた。オレにとって最も恨むべき男の、もう一人の実の娘が、こうして貴族に拾われて、ぬくぬくと大事に大事に育てられているんだからな。だからおまえにも、味合わせてやったってコトさ。――自分の母親を失う、深い絶望ってヤツを」
彼の言いたいことは分かった。彼の憎しみ、復讐心自体は、理解できる。
それでも。私は、彼の主張の理不尽さに、憤りを覚えることになる。
確かにディエゴ・ブランドーという男には、同情すべき点もあるだろう。顔も知らない私の実の父親とやらが憎まれる理由自体は、とてもよく理解できる。……だけど。
「だからといって――どうして、私が恨まれなくてはならないの!? だって私自身は、あなたの母親の死には何の関係もないじゃないッ!」
そうだ。私が結局、何をしたと言うのだろう。私の義母はどうして、毒をもって殺されなければならなかったのだろう。
彼の母親の死には同情する。私の実の父親の行った行為が最低であったことも、理解できる。だが私には、私の実の父がディエゴの母親を殺したと言われても、実感が持てないというのが正直なところだ。
だって、私の親は義母ひとりだけだ。少なくとも、私の感覚としてはそうだった。血が繋がっているだけで、私のことを捨てた両親のことを、本当の親だと思うつもりは、全くなかったのだ。
「本当にそう思うか?」
だが――そんな私に、ディエゴは冷や水を被せるようにぴしゃりと言い放った。
「本当にそう思うのか、ナマエ。自分が『無実』だと。自分の罪を知らず、自分の親の罪も知らず、本当の親の元で暮らしていれば今よりずっと貧しい暮らしをしていただろうが、その経験もなく――ただ、この二十年を、何の不自由もなく生きていたことを。君は『無罪』だと、そう言うつもりなのか?」
そして、私たちの間に沈黙が訪れた。