4.百年前の言葉
「……何のつもりでしょう? ディオさん」
私は困惑しながらディオさんの顔を見上げる。彼のその美しい顔立ちには、ただ楽しそうな、だがどこか残虐な表情が浮かべられていた。
一言で言えば、私はディオさんに、ベッドの上で押し倒されていた。二人分の体重が、ディオさんの身体の体重が、ベッドをぎしりと揺らした。
「言わなかったか? いや、おれは確かに言ったぞ――百年前の言葉を取り戻そうじゃあないか、と」
「意味が分かりません」
彼は弄ぶように私の髪を触る。くすぐったい。それ以上に、意味が分からない。ディオさんにそう言われたこと自体は覚えているが、現状への理解には繋がらない。
「使用人という立場に拘る必要はない。百年前のわたしは確かに、そう言った」
「……そうですね。確かに、覚えています」
「ならば。その意味を、理由を、肉体を得てから教えてやると。そう言ったことも、覚えていないか?」
沈黙。
覚えている。思い出した。だが、だからといってこの行為が行われる意味とは全く結びつかない。
そんな中、ディオさんは私の髪に手を触れ、そしてそこに口付けた。私はそれを、信じられないような思いをしながら見ているだけだった。
「ナマエ。おまえはずっと、おれの思い通りにならなかったのだ。おまえは今でも――ジョースター卿への忠誠心に、縛られている」
不意に出てきた懐かしい名前に、思わず面食らう。確かに私は、ジョースター卿に救われ、使用人としての生を歩み始めたが。
「……私の主人は、あなただけですよ。ディオさん」
だが、心外だった。今の私の主人は、ディオさんしかいない。それは確かなのに。
「――フン。おまえが今でも使用人としての生を歩んでいること自体、あの男への忠誠心故だろうに」
……そうかもしれない。私は、ジョースター卿に救われたからこそ、彼と彼の息子を失った後も、こうして使用人として生きている。ディオさんの使用人として。百年経った、今でも。
ディオさんの瞳はギラついていた。
「だからおれは、そんなおまえの身体に刻み付けてやる。ナマエ、おまえはわたしのものだ。このDIOのものだ。それを忘れるなよ、永遠にな」
そして、深く深く口付けされた。脳が痺れる感覚。何も考えられなくなりそうだったのに、それでも私はこう思っていた。
――百年の眠りから目覚めて以来、私は最初から、ディオさんのものだというのに。
繋がり、交じり合い、溺れる。否、私は一体何に溺れていると言うのか。噛み、噛まれ、一部噛み切られる。血が溢れる。唇を重ねたまま鋭い牙で舌を噛まれても、感じるものは痛みではない。だが、それが快楽かというと、それも分からない。
裸のまま、ぼうっとした瞳で、目の前の男を見つめる。鋭くも美しい瞳。妖しく牙が覗く唇。艷やかな金の髪。
そして、首と身体の間にある繋ぎ目。
肩のあたりにある、星の印。それは、今はディオさんのもので、かつてはジョジョさんのもので、そして私の主人のものだ――
――数時間後。いつの間にか眠ってしまっていた私は目覚めて、気怠さを感じながら静かに立ち上がった。
ディオさんは、まだベッドの上で眠ったままのようだ。お互い不死身の身体とはいえ、無茶をしたものだ。私の傷は、人間の血で癒せるのだろうか?
嗚呼、昨晩の行為のことを思い出す。吸血鬼となってしまっているはずなのに、妙に怠いのは精神的な問題か。
今振り返ってみても、あれは明らかに、主人と使用人としては相応しくない行為だった。しかし、それ自体は構わない。
何故なら、主人と使用人としての関係に拘るなと言ったのはディオさんだ。
その上で、「わたしの命令には従ってもらう」とも言ったのも、ディオさんだ。
昨晩行われたものは、一般的な主人と使用人としての関係では相応しくない行為だが、私たちは一般的な主人と使用人とは言えない。この行為が行われたこと自体は構わない。ディオさんが命令したことを、私は受け入れただけだ。
だから私が考えるべきことは、行為そのものの問題ではない。私は、過ちは犯していない。
……彼に抱かれて、私はどう思ったのかという、私自身の感情を見ないふりをすることにする。そんなことを考えても、仕方がなさそうだ。少なくとも今は。
だから、問題は。何故ディオさんが私を求めたのかという、それだけのことだ。女性を抱くだけなら、正直なところわざわざ私を選ぶ必要は彼には無いだろう。彼に命も肉体も捧げる女なんて、山ほどいるのだから。
「ディオさんは……私のことを思い通りにならないと、そう言っていた……」
そう、確かに言っていた。百年前も。私がジョースター卿に救われたことで使用人としての人生を歩んでいることが、そんなに気に食わないのだろうか。そこまで考え、ふと引っかかるものがあった。
――ディオさんに、命も肉体も捧げる女。
それは、私もではないか?
思わずぞっとした。それは既に、私が使用人でなくなりつつあるということではないか?
もしかして。彼は私から、使用人としての生き様を奪おうとしているのではないかと――そう思ってしまった。
同時に、こうも思った。
私は、本当に。このままディオさんに仕えようとしているのか? それこそ、永遠を?
「私は本当に、それでいいの?」
思わず、無垢な少女のように飛び出た言葉。今の私はそんなものではないことは、誰の目にも明らかなのに。
私の心に生じた惑い。新たな契約を、このままでいいのか、と。そう自問している。
不思議だ。その感情は、熱くもあり冷たくもある。
数日前まで空虚な日々を送っていたときと、全然違う。私は、新たな道を『待っている』。
「それでも、私は使用人です。使用人なんです」
決意を鈍らせないよう、はっきり口に出した。誰も聞いていないと知っていても。少なくとも今は、私は使用人だ。そして今後も、そうでありたいと思っている。そうあるべきだ。
「そうだ、おまえは使用人だ。このDIOだけのな」
驚いた。ディオさんがいつの間にか、身体を起こしていた。その裸体に、今更のように赤面する。
……だが、同時にそれは、ジョジョさんの肉体であったものだと思うと、急激に複雑な気持ちになってくるのであった。
私は二度と、ディオさんに抱かれることはできないのだ、と。
DIOに抱かれることしか、できないのだと。