2.崩壊の予感

 私の主人はジョースター卿とジョジョさんとディオさんだが、私の雇い主であり、恩人である人はあくまでジョースター卿だ。ジョースター卿に言われているからこそ、私はジョジョさんとディオさんにも仕えている。
 なら、もし、あってはならないことだが――このまま、ジョースター卿がいなくなってしまったら。私はどうしたら良いのだろう。私はどこに向かえば良いのだろう。
 まだ、ジョースター卿の病気は良くならない。
 それでも私は、紅茶を淹れる。この不安が杞憂でありますようにと、そう願いながら。


 一年前、こんなことがあった。
 私の両親は、そのとき、馬車の事故で死亡した。
 両親と顔見知りだったジョースター卿は、行く宛をなくして呆然とする私に、こう言ったのだ。
「ナマエ。君の道は君が選択するものだ。……だが、わたしが、ひとつ道を用意することはできる」
「……私の、道?」
「わたしの家で働かないか? 君と、同い年の息子たちもいる。……わたしも、妻を馬車の事故で亡くしたんだ。君のことは放ってはおけない……もちろん、君が選択することだ。それに、少しの間だけ我が家で働き、もし違う道を進みたくなればそうしてもいい。ナマエ、君のご両親には恩がある……君が進む道を、わたしにサポートさせてくれないか」
 その優しくも力強い瞳を見て、私は決めた。
 私は、ジョースター卿のために働きたい。私を救ってくれた、この人のために働きたい、と。
「あなたのために働きます。……働かせてください。私が、そうしたいと思ったからです」
「はっはっは……。ならナマエ、君を我が家の使用人として迎え入れよう。これで君も我が、家族の一員だ」
 そう。私は、ジョースター卿と約束したのだ。
 この家の主人たちに仕えること。そして、ジョースター卿の生きている間は、彼のために働き続けようと。
 その後のことは――私はまだ、考えられていなかった。


 淹れたばかりの紅茶を手にし、ディオさんの部屋に向かおうとする。
 今の時間のディオさんは、確かジョースター卿に薬を持っていっているはずだ。それが終わる時間を見計らって紅茶を自室に持ってきてくれ、と言われていたが、少し早かったかもしれない。
 彼が薬を持っていることへの漠然とした不安感は、今でもある。
 しかし、主人のことを理由もなく疑うわけにもいかない。私のこの不安感には、全く根拠はないのだ。
 ディオさんがジョースター卿に薬を持っていくことをきっかけにして「親子の時間を過ごしたい」とまで言われてしまえば、私の出る幕はない。私はただ祈りながら、自分の仕事をするだけなのだ。
 だから私は、今日もディオさんに紅茶を淹れる。本当に彼は私の紅茶を気に入っているのだろうかと、そんなことを考えながら。

 紅茶を手に持ち、歩いていたところ――突如。
 ドン、と大きな音がした。
「――何の騒ぎですか!?」
 本気で驚いてしまい、思わず手に持ったものを落としてしまいそうになるが、堪える。
 音は、階段の下から聞こえてきた。
 紅茶を近くに置き、急いで音の発生源に向かった。するとそこには、予想していなかった者がいた。
「ディオさん!?」
 蹲るディオさん。階段から落ちてしまったのだろうか。私以外にも、数人の執事やメイドが集まってきていた。
「……大丈夫さ。階段を踏み外しただけさ。心配は要らない」
「そんな、心配ですよ。ほら、早く手当しましょう」
「……構わないさ。自分でやるから」
「あっ、ディオさん……」
 ディオさんはよろけながら、ふらふらと立ち去ってしまった。近寄りがたい雰囲気に気圧されて、駆け寄ることもできなかった。
 ……紅茶は、冷めてしまっただろうか。
 深呼吸して、私は、紅茶を淹れ直し、怪我の手当の道具を用意しようと決めた。
 彼は嫌がるかもしれない。私が彼を怖いと思う気持ちは変わらない。
 それでも、彼は私の主人だ。主人の身の回りの世話も、使用人の仕事のひとつ。
 ディオさんにも、私は仕えているのだ。


 手当の道具と紅茶を手にして、ディオさんの部屋へと向かう。すると彼は、扉の前で待ち構えるように立っていた。
「来たか、ナマエ」
「ディオさん!? お怪我の方は……」
「そんなことはどうだっていい。ぼくは今から、少しやらなくてはならないことができた」
「えっ? えっと、手当は……」
「そんなもの必要ない」
 心做しかいつもより口調が荒く、どこか機嫌が悪そうだ。困惑しながら彼の顔を見上げると、ディオさんは取り繕ったような笑みを見せた。
「だからナマエ、悪いんだが、書庫に行っていくつか資料を探してきてくれないか? 紅茶は、そこに置いておいてくれ。冷める前には戻ってくるよ」
「は、はい……」
 口を挟む暇もなく、私は彼の話の概要を聞く。法律の本を、数冊。怪我の具合も気になったが、私にそれを押し通すことはできなかった。今のディオさんには、それだけの静かな迫力があり、私には逆らうこともできそうになかった。
 言われた通りに紅茶を置いて、私は彼の部屋を出る。そして、書庫に向かおうとしたところで、反対方向に向かうディオさんの姿が見えた。
 そっちは、ジョジョさんの部屋の方向だ――そう思ったが、気のせいだろう。まさか、主のいない部屋に彼が勝手に侵入することなんて、ない。そのはずだ。
 言われた通りに書庫に行って、本を探す。この広い書庫では、探すのも一苦労だ。
「……? なんだか荒れているわ」
 と、違和感に気がついた。少し前に書庫に来た時にジョジョさんの資料を探した際には、こんなに荒れていなかった。
 この書庫に、私の知らない何かでもあったのか? 何かが、起きているのではないか?
 それは、私には分かるはずもなかった。


 本を探し当て、ディオさんの部屋に戻る。その時にはディオさんも部屋に戻っていて、私の淹れた紅茶を飲んでいた。……もう、冷めているんじゃないかと思ったけれど。
「ああナマエ、いいところに来た」
 何があったのだと言うのだろう。首を傾げながら本を渡すと、ディオさんはひとこと礼を告げ、それから言った。
「君はたまたまその場にいなかったが、ジョジョのやつ、食屍鬼街に向かったらしい。理由は分からない。心配させるといけないから、おとうさんには伝えないようにしてくれ」
 ディオさんはそれだけ言って、私を部屋から追い出した。
 食屍鬼街――治安の悪さで有名な場所だ。一体何故、ジョジョさんがそんなところに向かわなければならないのだろう。
 嫌な予感がする。どうしようもなく。
 それでも、私には何もすることができない。どうかジョジョさんが無事に帰ってきてほしいと、そう祈ることしかできなかった。

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