■■ ■残り香(レイリ)
※一部注意
あの人からはいつも甘いニオイがした。
帽子に挿したドエニスの花、それが香りの正体だ。
大切なあの人の、大切な人が愛した花。
でもオレはあの日以来、その花が嫌いになった。
香りも色も、名すら聞きたくない。
だって、思い出してしまうから。
グランドフォールの危機が去って、インフェリアとセレスティア、二つの惑星間の行き来がバンエルティア号で一先ず可能になった。
急ぎの救助活動や復旧作業にも目途が立ち、大地に刻まれた傷はまだまだ深いけれど、人々は手を取り合って明日へ歩み始めた。
そしてオレは、そんな希望の光に背を向けて、世界から姿を消した。
「んっ・・、は、あっ」
全てを遮断してくれる雨のカーテン。雨音以外は何も聞こえない、何も聞きたくない。
雨は好きじゃなかったけど、逆に感謝してしまうくらいどうでも良くなった。
一糸纏わぬ身でシーツを手繰り寄せて、人の温もりに包まれているみたいだと自分を錯覚させる。
ここはあのバリル城の、少し離れた所にある小島だ。海を介して城と接している。
元々バリル城の位置は大陸から離れており、そして世界を混沌に導いた者々の、と直接謗られることはなくとも、一連の悲劇の象徴として語られるこの場所は今希望を必要とする世界に落ちた影みたいなものだ。
よってわざわざ近寄る人間は殆ど居ない。いずれは悲劇を忘れぬ、繰り返さぬためにと人の手が加えられるかもしれないし、メルディがどうにかするかもしれないが、現時点ではそれらが先んじられることはなさそうだ。
インフェリアとは違う空、違う海、違う風、それでも旅を通して見慣れたこの景色を選んだのは他でもない、あの人が眠る海に、一番近い所に居たかったから。
この小島に打ち捨てられた、嘗ては人が過ごしていたのかもしれない寂れた小屋にオレは住み着いている。
「ぁ、っ・・んっんんっ」
レイスがそうしてくれたように、あの人の手や声や息遣いを思い出しながら自分の身体を慰めている間は、何も考えなくて済む。
頭の中をからっぽに、まっしろにして、何もかもを忘れてしまいたい。
でも・・・昂ぶった熱がはじけると、霞んだ視界と裏腹にクリアになった頭がオレを現実に引き戻し、襲い来る大きな虚無感に押し潰されそうになる。
微かに痺れる手足とまだ小さく痙攣する身体を持て余しながら、せめてこの熱を逃がさないようにと白いシーツに深く潜り込んだ。
これ以上心細くなったら、きっとどうにかなってしまう。
(----------------------うそつき、)
ずっと傍に居てくれるって、独りにしないって、約束したのに
(----------------------なんて、)
彼を責められる資格、到底持ち合わせている筈がない
何故ならあの人は他でもない、オレを護って死んだのだから
(----------------------どうして、)
オレなんか護ったの
(--------------------わかってる、)
それだけ愛され、生を望まれていたのだと
(----------------------------でも、)
それじゃオレはどうしたらいい
あの人の居ない世界に独り遺されて、後を追うことも出来ないじゃないか
「レイ・・・ス・・」
必死に見ないように、気付かないようにしていたオレの心に、あの人は好きなように触れて、それでオレを独りで立てなくして、挙句置き去りにして
そこまで考えて自嘲めいた笑みが浮かんだ。どれだけ流しても枯れぬ涙がまた頬を伝う。
あの人の想いを歪めて嫌いになろうとしても、やっぱり無理みたいだ。
いっそ忘れ去れたならどんなに楽だっただろうか。
ここにあの花の甘さが香ることは、もう、ない。
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