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「あの、えっ、えと」
「なんだ」

 落ち着け落ち着くんだわたし、素数を数えたいので教えてください先生。同じだけの人参が対価? やっぱいいです羊でも数えます。

「れ、れーくん……しりあい」
「……ああ。多少耳にしたとは思うが、俺は以前仕事で日本に渡ったことがあってな。その時に関わった」
「おしごと、いっしょに、した?」
「まあ……概ねそうと言っていいだろう」
「にほんの、おまーりさん……」
「そういう感じだ」

 いつもなら解説やら豆知識やら重ねそうなところを、秀一さんが短く曖昧な言葉のみで留めたことに首を傾げかけてハッとした。守秘義務とかこんぷらなんとかに引っかかるのかもしれない。
 なんてったっておまわりさんなのだ、しかも海外で仕事するくらいの。いや警察については詳しく知らないので、どういう類の仕事であるのかとかそれをどういう役回りの人がするのかとかはさっぱりわからないのだけれど。

「……彼が気になるのか」

 恥ずかしくなりながらも正直に頷けば、秀一さんは眼差しをほんのちょっぴり鋭くした。

「どういう風に?」
「え、そ、その……か、かっこいい……きらきら……」
「……」

 更には、僅かではあれど眉根まで寄せる。
 しょーもない理由で呆れてるんだか要らんこと知りたがって怒ってるんだか、あるいはもっと複雑な関係があるのか、ひとまずわたしの言動は快いものではなかったらしい。
 後悔と焦燥がぶわりと湧く。良い子にしようと決めたばかりなのにこのミーハー。心のなかでシルクハットとタキシード身につけたとっぽい仮面のあんちゃんを崇めるくらいにしておけばよいものを。

「……ご、ごめ、なさい……」

 精一杯の猛省ポーズと共に絞り出した言葉にも返ってきたのは沈黙で、いつもならばすぐに降ってくる否定がないのに血の気が引いて冷や汗が出た。
 どうするべきかとただただ急く気をぐるぐる頭で回し、早くなった鼓動を数えて百以上、体感ではかなりの時間ののちにようやく、小さく息を吐く音が降ってきた。

「……構わん、謝ることじゃない」

 わたしの髪をくしゃくしゃとかき混ぜ、顔を上げさせた秀一さんは、先程までの表情を引っ込めていて、眉を下げ、静かな声で言った。

「ランチに誘おう。知りたいことがあるなら、その時本人に直接聞けばいい」

 頷いて礼を言ったわたしの髪をまたかき混ぜて梳き、それで決まり、話は終わりとでも言った感じにぽんぽんと撫でて、秀一さんはデスクに向き直った。
 よくよく考えれば、というか考えなくても、仕事に関わりのある人で、しかも外部からの人で、秀一さんは友人、なんて言っていたけれど、まるきり好意的とはいかない態度を取っていた人だ。そう簡単にあれこれできない間柄なのかもしれないのに、無理を通してもらってしまったのでは。
 なにより、いつの間にか、聞かずともなんでもものを教えてもらえると期待したり、なんだかんだ謝れば許されると思っている自分がいることにも気づいてしまった。なんて図々しいやつなんだと情けなくもなる。良い子良い子、良い子になろう。


 秀一さんは本当に誘ってくれたようで、しかも零くんさんも承諾してくれたようで、お昼休みになり、いつものように秀一さんと数人の同僚さんたちと別室に移動し、広げたごはんを囲ってしばらくしたところで零くんさんがやってきた。
 入室して同僚さんたちに軽く挨拶程度の言葉を交わすと、零くんさんはほとんどまっすぐわたしのところへと歩み寄ってきた。

「ありがとう。ありすちゃんが誘ってくれたおかげで、一人寂しくご飯を食べることにならずに済んだよ」

 茶目っ気のある声で紡がれたそれに、同僚さんたちが和やかに笑う。

「良かったわね、フルヤ」

 クリスさんやジョディさんにまでありがとうなんて言われてしまう。いやあの誘ったのは秀一さんなのだけれどとあわあわ弁明したけれども通じた気がしない。
 そうして、いつもならジョディさんたちが代わりばんこで座るわたしの左隣に、同僚さんたちに勧められて零くんさんが腰を下ろした。左手には零くんさん右手には秀一さん走り出した焦燥はもう止まらない。傍から見てもあからさまにそわそわしていること必至。

「××××××××××」
「××××、×××××××××××××××××」

 若干低いトーンで言い交されたそれが何なのか、気になるような、聞かないほうがいいような。
 一往復で言葉を切った零くんさんは、持っていたビニール袋から、トントンとふたつのものを取り出してテーブルの上に置いた。可愛らしいパッケージのジュース。おしるこでもドクペでも零くんさんが持てば価値や旨味が上がりそうだし販促成功待ったなし、もちろんその顔に似合わないなんてことはないけれども意外である。
 甘いものが好きなのかなあなんてそれを眺めていたら、零くんさんはランチボックスまで取り出してビニール袋をざっと畳むと、ジュースふたつを持ってわたしのほうを向き、小さく首を傾げた。

「ありすちゃん、ピーチとオレンジ、どっちが好きかな?」
「えっ、え?」

 もしやわたしにくれるのだろうか。……も、もらっていいのだろうか。慌てて秀一さんを見上げたけれど、秀一さんはしらっとした調子で缶コーヒーを飲んでいた。

「……あ、あの……えと……」
「うーん、先生はどう思います? ありすちゃんに似合うのは何味でしょうか」

 零くんさんが身を屈ませて先生を覗き込むので、あわあわと持ち上げてその手を握り、ええいままよとピーチを指す。

「た、たぶん、こっち、やで……」

 思わず出てしまったどこかしらの住民のような語尾にツッコむこともなく、零くんさんはハの字に下がっていた思いの外太めの眉をゴキゲンに跳ね上げさせた。目元を緩め、口角を上げてにっこりと笑む。

「じゃあどうぞ、僕からありすちゃんへ、お近づきの印です。お納めください」

 あんまりにも綺麗な笑顔なもので、演技がかった口調で恭しく差し出されたジュースがティアラだかガラスの靴にだかでも見えてしまう。先生を片腕に抱きどうにかこうにか受け取ったけれども、自分のあまりのメルヘン脳に恥ずかしさで爆発しそうだった。こ、これは病気……。


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