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 哀さんが足を止めたのは、壁も扉も青く塗られた、少しレトロな雰囲気のお店の前だ。
 ショウウインドウとしてか大きく取られた窓の向こうに、タッセルで留められた同じく青いカーテンが縁取るようにして垂らされ、人形やマグ、本、ポストカードや日用品なんかの、可愛らしい小物が飾られている。それらの後ろには店内の景色があるらしいが、わたしの背の高さでは洒落た照明と天井しか見えない。
 哀さんは頭より高い位置にあるドアノブを見上げると、そのままついっと工藤さんに視線を移した。

「開けて」
「へーへー」

 工藤さんは不満げな顔をしながらも、わたしの手を離して脇に寄り、やや演技がかったドアマンのような仕草で扉を開ける。それに茶化したふうに「あらお上手」と言って口端だけで笑い、哀さんがわたしの手を引き敷居をまたぐ。
 
「あ、ありがとです……」

 哀さんを追いつつ頭を下げれば、工藤さんは頬をかきながら目を逸らし、おう、とだけ返した。なんだかんだやってくれるあたり、いいお兄さんである。
 その肩を秀一さんが叩くと、工藤さんはもごもごと唇を動かし、小さな声で何か話しかけていた。英語だったのと、お店から聞こえる音で、何だったのかは分からなかったけれど。


 店内は入り口から奥に向かって縦長の空間が広がっていた。レンガの柄をした壁の両側には、天井に付きそうなくらいの高さの大きな格子の棚や、同じくらいの高さに取り付けられた板の飾り棚があり、真ん中の空間には丸い机や回転式の棚なんかが置かれていて、それぞれディスプレイにあったような商品がたくさん並び、賑やかに飾られている。
 棚や机に挟まれた、通路となる空間は人ふたり分ないほど。机の下はちょっと屈めばくぐれそうなもので、わたしにとっては充分広いけれど、大人からしたら狭くも感じるのかもしれない。数人のお客さんが、回り道をしたり体を横向けたりして行き交っている。
 背の高い机や棚の少し上の方は見えないものの、ざっと見回した感じ、文具や食器、バス用品から服やトートバッグなんかもあるようで、あまり馴染みのない色使いやデザインが多いけれど、どれも可愛らしくておしゃれだ。元々の品揃えや飾り方に加え、橙がかった照明の光で統一感が増していて、雰囲気もいい。
 哀さんもわたしと同様探るように首を回し視線を巡らせているので、予め知っていたわけではないらしい。パッと見でこんなお店を引き当てられるのだからセンスが違う。
 哀さんが向かったのは、アクセサリーなんかが飾られたコーナーだった。上はオープンで、下は扉のついた棚の、一番広い棚に並べられたもののひとつを指差して、これいいわね、とつぶやいた。
 わたしの頭ほどの位置にあるので、背伸びをすれば何かあるのは分かるのだけれど、絶妙によく見えない。
 恥を捨ててぴょんぴょん飛んでやろうかというところで、店員さんらしきお姉さんがやってきて、それを掌に乗せわたしの前に差し出してくれた。薄い円形のそれを、お姉さんがもう一方の手でぱかりと開くと、子供の姿が映る。鏡だったようである。

「×××××××?」

 問いかけるようなお姉さんの声に、哀さんが口を開く。

「××」
「××××××?」
「××××××××××××××」

 思わずわたしの口もぱかりと開いた。
 とってもなめらかな英語だったのである。整った顔立ちにはどこか他の血も混じっているのかもしれないがそれでも日本人といった容貌で、名字も名前も和名で、日本語が達者で、日本に住んでいて、日本の学校に通っているという小学生の女の子なのにだ。
 哀さんの言葉に対してお姉さんが「××××」と言って笑い、それから二人で楽しげにぽんぽんと会話をはじめたので、しっかり通じているらしい。
 い、いまの小学生はそれぐらい出来て当たり前なのだろうか。それとも、こうして秀一さんを訪ねたりと、よく英語圏と日本を行き来するから身についたものなのだろうか。頭も良さそうだし、ピーチでムーンな学園のちびっこ先生にでもなれそうである。はうはう〜なんて絶対言わなそうだけれども。

「オイオイ……」

 背後、上の方から、呆れたような工藤さんの声が降ってきた。工藤さんもぺらぺらだったのだ、哀さんが何と言ったのかもちろんわかったのだろう。

「誰がパパだよ……」
「ぱぱ?」

 なんのこっちゃと振り返って見上げてみると、工藤さんはほんの少し、しまったとでもいうような表情をしてから、苦い笑みを浮かべた。

「あー……あいつ、“パパがレディにしてくれるのよー”なんて言って――いや、オレじゃねーし、もちろん赤井さんでもねーぜ? その、言葉のアヤっつーか、ただの子どもぶったジョークだよ」

 なぜか慌てて弁明するかのように手を振るけども、工藤さんも大人っぽいとはいえせいぜい大学生くらいで、さすがに哀さんほどの子どもがいるようには見えないので、誤解の心配はしなくてもいいのに。
 いやひょっとすると工藤さんくらいの年代でもそのぐらいの子どもがいる人もいるかもしれないし、秀一さんはいてもおかしくない歳なのかもしれないものの、どちらとの間にも父娘のような雰囲気はない。多分。少なくともわたしが見た限りでは。いやでも、哀さんと秀一さん――うーん……そんなわけないか。

「あなたのアレよりましだと思うけれど?」

 店員さんとおしゃべりをしながらもバッチリ聞いていたらしい哀さんが、工藤さんを睨んでそう言うと、工藤さんはウッと呻きに似た声を上げた。ふたりとも具体的に何とは言わないものの、そのやりとりからして、何やら黒歴史を握られている模様である。
 秀一さんはというと、我関せずといった具合に少し離れた棚の商品を眺めていた。小脇に抱えられた先生が若干項垂れて見える。ファイトだ先生。


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