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「また明日ね、ありすちゃん」

 ばいばい、と手を振ると、その場にいた人たちがみんなニコニコとして振り返してくれた。照れるけど嬉しい。
 十七時。そんなこんなで、また秀一さんに抱っこされて、FBIのビルを後にした。

 不思議なことに秀一さんは、毎日違う道を通って出退勤をする。
 その手段も、電車を使ったりバスを使ったりと日によって違う。おかげでさっぱり道を覚えられず、近所に何があるのかも、ビルから秀一さんの家の位置関係も未だにいまいち分からない。もしかしたら秀一さんは、実はとんでもない気まぐれやさんなのかもしれない。
 今日はなんと全部徒歩だった。
 二十分くらいてくてく歩いて、カラフルな看板を掲げたお店に入った。所狭しと並ぶ棚に、これでもかと詰め込み積み上げられた食材や日用品。スーパー的なお店であるらしい。
 さすがに抱っこのままでの買い物は難しいのか、秀一さんはわたしをカートの椅子に座らせてそれを押して歩き出した。お腹の前に先生を挟んでカートのパイプをぎゅっと握り、日本とは違ってちょっと大胆な陳列や馴染みのない商品たちをキョロキョロと見回すのは結構楽しい。
 実は、昨日は直帰だったけれども、一昨日も似たような店で、同じようにカートに乗せられたのだ。そのときは恥ずかしさもあったけれど、こんなところに座れるのは体が小さなうちだけなのだと考えてみると、俄然テンションが上がったのである。大人になったらできない貴重な体験なのだから満喫せねば損だ。それにしても全身真っ黒な怖い顔のお兄さんがスーパーのカートを押して歩く姿は結構シュール。
 秀一さんは、ひょいひょいと迷いなく商品を突っ込んでいき、一切同じルートを通ることなく、さくっと会計を済ませた。そういうところにも頭の良さを感じる。多分手に取ることに迷いがないのはあんまりものにこだわっていないからなのだろうけれど、どこに何があって何が必要かを把握して、頭の中でちゃんと道筋を組み立てないとこうはいかないだろう。わたしなら途中であれが要るんだったとかそういえばこれが欲しいとか行ってうろうろすること請け合い。さすがえふびーあい。……関係ない?
 店を出て、左手にレジ袋、右手にわたしと先生状態でまたてくてくと歩き、家の扉の前に立ってようやく、秀一さんはわたしを下ろし、ジャケットのポケットから鍵を取り出し扉を開けた。
 ほっとくと結構な勢いで閉まる扉を秀一さんが抑えてくれている間にさっと入る。それだけでわたしの靴の出番は終わりだ。よっこいしょと脱いで壁に寄せると、続いて中に入ってきた鍵を閉めた秀一さんが同じようにする。秀一さんのものと並ぶと、わたしのピンクの靴は小さすぎてオモチャみたいに見える。

 それから、秀一さんはわたしを抱えて廊下を進み、途中でビニール袋を置いて洗面所へと向かった。朝顔を洗う時のように脇を掴んで持ち上げられて、ぱしゃぱしゃと手を洗う。それが終わると、好きにしろと言われて、秀一さんが料理を始めるのをぼんやり眺める。
 煮物しか作れない、というジョディさんの言は間違いではなかったようで、秀一さんの料理は鍋使用率が高い。ここまでカレーにシチューにトマト煮込みとフルコンボなのである。
 今日は一体何が出来るんだろうとちらちら見ていたら、シンクの前に立っていた秀一さんが、不意にこちらを振り返った。

「気になるか?」

 そう聞かれて、おずおずと頷くと、秀一さんはダイニングチェアをキッチンの方に寄せて、わたしをそこに座らせてくれた。
 玉ねぎのみじん切り、ひき肉、トマト缶? 秀一さんは買い物と同様滑らかに迷いない手つきで食材を処理すると、予想とは反してフライパンを取り出した。火をつけ油を引いたそこに、お肉だけでなく不穏なブツが投入される。い、いやまさか。
 ドキドキしながら見守っていると、秀一さんはあっという間に調理を終えて、出来上がったものを皿に移し、わたしを椅子ごと机の前に移動させた。所要時間三十分くらい。いつのまにか、炊飯器の方から美味しそうなご飯の匂いもする。
 どうやら今日のメニューは煮込みハンバーグだったらしい。
 わざわざ作り分けてくれたようで、わたしの分は、秀一さんのものの二分の一の大きさだ。盛り付けは若干雑までも、とても美味しそうな見た目。いただきます、と言って口に放った一口も、それにそぐわず美味しかった。
 ……けども。

「……」
「……」

 食べ進めてしばらく。
 秀一さんの視線の先はわたしのお皿。の隅。

「…………」
「…………嫌いなのか」

 秀一さんは、少し悩んだような間のあと、お皿の上のものを指し示した。
 そのフォークの先にあるのは、とろとろのソースが絡まったきのこだ。

「……う、ううん……」

 反射で首を振った。うそです。しめじとえのき、どちらもわたしのだめなもの。所謂地雷。わたしは、両手でサムズアップして泣き笑いしたいくらい、きのこ類がとてつもなく苦手なのである。
 意を決してフォークで突き刺し、息を止めて目を瞑り、口に放り込んですぐさま飲み込む。それでも口の中に風味が残って舌と鼻を刺激してくる。この、菌糸類の何とも言えない独特の香り。くにゅっとした独特の食感。嘔気が沸くのを必死にこらえて一気にかき込み、間を置かずにハンバーグを突っ込んだ。
 自分でもみっともない食べ方をしていそうだと思うそれを、秀一さんは静かに見ていた。

 食後、わたしをソファに座らせて片付けを終えると、秀一さんはコーラにストローを差して持ってきてくれた。
 どうやらわたしはコーラ大好きマンだと思われているらしい。あの日からしばしばこうして飲ませてくれるのだ。好きか嫌いかで言ったら好きなので嬉しいのだけれども。
 じっと注がれる視線に落ち着かなくて、そろそろっと見上げてみれば、秀一さんはわずかに口角を上げて、頭を撫でてくれた。
 本当に子どもになった気分だ。


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