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 今日も今日とて、デスクワーク……と思いきや、今日の秀一さんは一味違った。
 お昼まではいつも通りだったのだけれど、食べ終えたあたりからフロアがざわつき始め、秀一さんもジョディさんも他の同僚さんたちも呼び出されて姿を消し、しばらくしたのちに皆緊張した面持ちで戻ってきたのだ。慌ただしく何処かへ駆けて行ったり、内容は分からないものの強い語調で声を飛ばしたりしていて、一帯の空気も同僚さんたちの表情も、それまでと同じものとは思えないほどがらりと一変した。
 いつもの席に座り、ぴりぴりとしたムードにちょっぴりびくついて縮こまっていたら、他の人よりも遅く姿を見せた秀一さんが、さかさかと、心なしいつもより早足でわたしのほうへやってきて、目の前でざっとしゃがんだ。
 いつの間にか、あの黒いレザージャケットではなく、紺地に黄色で“FBI”と印字されたジャケットを着ている。すごい、まるでおまわりさんみたいである。

「少し用が出来た」

 醤油切れたから買ってくるみたいなノリで、秀一さんはさらりとそう言った。

「何時になるとはっきりは言えんが必ず戻ってくるから、それまでこのキャメルと一緒にいろ」
「きゃめ……」
「アンドレ・キャメルだ」

 秀一さんが、親指でくっと背後を指差す。そこには、ぬっと立つ人影があった。秀一さんばかり見て全然意識していなかったので、思わずひゃっと声が出かける。

「キャメル、しゃがめ。怯える」
「あ、はい」

 秀一さんの短な言葉で、男の人、キャメルさんが膝を折った。同じような体勢になるとよく分かる。秀一さんよりもひと回りふた回りと言っていいのではというほどの大きな体、その厚さは筋肉であろうことが一目瞭然。なんでも噛み砕けそうなしっかりとした顎、毛の殆ど無い薄い眉、彫りの深さに埋もれるようにした目は鋭く光っている。
 端的に言うとめちゃくちゃこわい。それこそマフィアといった感じで、秀一さんと並ぶと威圧感がとんでもない。マフィアの幹部と戦闘員って感じである。み、みかじめ料払わないとだめですか? 貰い物の飴ちゃんしかないですご勘弁を。そんなわきゃねーと思いながらも無意識に心臓がドキドキする。
 秀一さんが、キャメルさんの肩をぽんと叩いた。

「この見た目だが悪いやつじゃない。大抵の日本語は分かるし腕も立つ」

 た、たしかに、腕は立ちそうですね……なんでそんなファンタジーな紹介の仕方なんだろう……。
 言われたキャメルさんはなんだか嬉しそうにしている、ような気がする。

「何かあればキャメルに言え。俺に連絡もつく――なに、多少面倒なだけで、そう大したことじゃない」

 わずかに口角を上げてそう言い、わたしの頭を撫でると、秀一さんは、キャメルさんに英語でなにやら一言二言声を掛けて、さっと立ち上がってフロアを出て行ってしまった。


 気づけば辺りはがらんとしている。人っ子ひとり、とは言わないまでも、残っている人はぽつりぽつり、それぞれ何かの作業をしていて、いつもよりずいぶん静かだ。

「……」
「……」

 ここも静かだ。
 ど、どうすればいいんだろう。真正面から目を見れずに、ちょっとよれたネクタイや少し膨らんだポケットあたりに視線を彷徨わせながら考えていると、キャメルさんは指先でかりかりと顎を掻いた。

「えーと、名前は……」
「……あ、あの……ありす、です……」

 若干情けなく震えてしまったわたしの声は、尻すぼみながらもキャメルさんの耳にはなんとか届いたようだ。

「ありすちゃん、でいい……かな?」

 取ってつけたような、というかまさに取って付けて語調を和らげる語尾。声自体は太く低いしっかりとしたものなのに、自信のなさそうな言い方。
 どうやらキャメルさんも、わたしと似たような心境、つまり困惑した状態でいるらしい。
 勇気を出して顔を見上げてみると、ちょびっとだけ生えた眉がぎゅっと寄せられていて、恐らく眉尻までしっかり眉毛があれば八の字になっていただろう形になっている。気持ちを素直に表している、なんとなく親しみが湧くような表情の作りかただ。
 キャメルさんは、そのままぎこちないながらも分かりやすく頬をあげて、改めて、アンドレ・キャメルだ、と名乗った。

「あー、その、自分はしばらくは赤井さんと別の仕事をしていたんだが、以前までは同じチームで……先日ボスに呼ばれて――知ってるかな、ジェイムズ・ブラック」
「う、うん……あめちゃん、くれた」
「“アメちゃん”?」

 キャメルさんがぱちりと瞬く。
 見た目も名前も思いっきり外国人だし、秀一さんの言う“大抵”の範囲にない単語だったのかも。これこれこれのことですとわたしがポッケから取り出したものを見て、キャメルさんは更に不思議そうな声を上げた。

「もしかして、関西の出身かい?」
「えっ」
「ああ、ええと、以前赤井さんたちと仕事で日本に行ったことがあって、その時関西では飴に“ちゃん”をつけると聞いたんだ。当時はそれを知らなくて、阿部って人の事を呼んでるんだと勘違いしてしまってね」

 まるきり外国人のキャメルさんがそれを言ったということもだけれど、何よりその自然な語り口に驚いた。

「にほん」

 ラピュ、じゃなくて、日本は本当にあったんだ!


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