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他にあるのか。 ――帰る場所が、帰りたいと思う場所が。 その言葉に、なんだかぞっとした。 ついついガッカリメソメソ泣いてしまったわたしを、秀一さんは仕方がないといった風に声の調子を和らげ、50%勇気くらいで慰めてくれた。ただでさえ仕事だから面倒事を引き受けざるを得ずにいるのに手間かけっぱなしで申し訳なさは天元突破である。 その秀一さんも、今解決できないことは後回しにしろと言っていたし、餅は餅屋とおまわりさんが捜索してくれているのだ。何も出来ないわたしが変におたおたしたところでただただ迷惑千万、せめて極力手を煩わせないように、困らせないようにしなければ。 謎の迷子でえふびーあいの捜査官さんに保護されています。でもこうすればポジティブになるというポロロッカ星人イチオシの案募集中です。お便りはメールでmaigo@usagi.comに! とにかく気を引き締めていこう。油断せずに行こう。 一発ご指導お願いしますと先生のふわふわお手てで頬をぶってもらったところで、がちゃっと音がした。寝室のドアを開けたのは、今日も今日とて真っ黒くろすけな家主秀一さん。 目がばちっと合っ――合わなかった。 「……」 「……」 秀一さんはしばし先生と見つめ合ってから、ゆっくりわたしのほうへ視線をずらした。 「……準備は出来たか」 「…………は、はい……」 ネットの歌手気取りでマイクに向かって大熱唱しているところを見られたような恥ずかしさにそわそわしていたけれど、秀一さんはそこには全く触れず、向かい合わせて先生のお手てを握ったままのわたしを、ひょいと抱え上げた。秀一さんはなかなかにスルースキルが高い。 家庭訪問ならぬ職場訪問は、一回ポッキリかと思いきや、次の日もその次の日も続いた。 一人で留守は任せられないかららしい。それは確かにその通り。皿やソファがいくらあっても足りないと言われればぐうの音も出ない。 ともかくそのほうが都合が良いということで、あれから数日、秀一さんに抱っこされてえんやこらとFBIのビルまで連れられ、秀一さんの仕事が終わるまで適当に時間を潰して、また抱っこでどんぶらこ〜と帰る、そんな生活を送っていた。 秀一さんはたいてい机についてパソコンを弄ったり資料とにらめっこしたりしていて、棚へファイルを取りに行ったり、誰かと話しに行ったり、逆に呼び出されて少しの間別室に行ったりするくらいで、ほとんどフロアか、そうでなくとも建物の中にいる。 インテリおまわりさんなのかもしれない。いい体をしているのにちょっともったいない。 わたしはというと、絵本を読んだり、秀一さんが貸してくれたタブレットで動画を見たり、秀一さんの働きっぷりを見守ったりして、のんべんだらりと過ごしていた。いつだか思った来世は猫になりたいという願いが半分叶っている気がする。 「ありすちゃん、オハヨ」 「やあありす」 「今日も元気そうね、ありすちゃん」 秀一さんの同僚さんたちは、そんな仕事になんのプラスにもならない猫モドキにも優しく、通りがかりや秀一さんへの用があって寄ったときなんかに、ニコニコ笑って声をかけたり、手を振ったりしてくれて、 「はいこれ、オイシイよ」 そのついでに、たびたびチョコやキャンディもくれる。なかなかのおばちゃんソウル。毎日がハロウィンかバレンタイデーのような気分だ。 「あ、ありがと……」 「こっちはシューイチのぶんね」 そして、結構な割合でそうやって、秀一さんのぶんをわざわざわたしの掌の上に転がしてくる。どう考えても直接渡したほうがいいのに、という距離でもだ。親しそうにしてるのになぜなのか、間接的なほうが粋だから? うーん謎。江戸っ子ならぬアメリカ(仮)っ子の風習はよくわからない。 ひとまず、わたしの頭をぽんぽん撫でて「またね」と去っていくお姉さんに手を振り、そろーっと秀一さんを見上げる。 「ど、どうぞ……」 綺麗なお姉さんがくれた飴じゃよ〜いらんかね〜と、もらったときのままの形で開いたもう片手の掌を差し出せば、コーヒーを嗜んでいた秀一さんは、やれやれとでもいった調子でマグを右手に持ち替えた。 「……もらおう」 赤と青の包装がなされた二つのうち、青い方を摘み上げる。それはグレープ、赤い方はストロベリー。ちょうどわたしはストロベリーがいいと思っていたところである。エスパー? さっそく包装を開けて口に放り込み、微かにからころ鳴らしながら仕事を再開した秀一さんだけれど、数分経つとガリガリと噛み砕いてしまい、マグを持って席を立った。 飴を噛む人はせっかちや精神的に不安定な人と言うけれど、秀一さんはそうでもなさそうだ。単に飴がそんなに好きなわけじゃないか、そもそもそこまで興味がないのか。一体何が好きなんだろう。 |