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 昼過ぎしばらく、ジョディに外へ出る用事が出来ると、子供は椅子に座ったまま、再び赤井の元へ戻ってきて、飽きもせずに赤井の姿をずっと眺め続けていた。
 それまで見ていた動画を流すかと尋ねたが首を振り、しかしテレビを見せたときのような退屈そうな気配は一切なく、どことなく機嫌よさげに細い足をぷらぷらと揺らしさえしながら。
 画面を覗き込んだところで分かりもしないだろうし、犬猫のように可愛げもなく、事務作業や調査でさして動きもしない赤井を見たところで何が楽しいやら。そうは思いながらも、やたらとじゃれつかれたり相手を強請られたりするよりも遥かにましだと、赤井は素知らぬ顔で仕事を進めていった。

 そうして十七時きっかり。
 振り向いて「帰るぞ」と言った赤井に、子供は、赤井の想像とはややずれた反応を示した。眉を上げ、目と口を軽く開き、きょとんとした顔だ。

「しごと……」
「今日は終わりだ」

 そういう意図で零した言葉ではないようで、子供は納得していない様子で首を傾げ、暫し悩むような間のあと、おずおずと口を開く。

「……しゅーたんの、うち?」
「他にあるのか? 帰る場所が、帰りたいと思う場所が」

 赤井がそう聞くと、子供は数度瞬いたのちに、くしゃりと顔を歪めた。
 小さく、蚊の鳴くような声で、ない、と言う。所在無げにする姿は、この世のどこにも身の置き場がないとでも言うような、灯心燃え尽き寄る辺を無くして身を縮め、掻き消える寸前の炎のようだ。

「だ、だから、おまーりさん……」

 赤井としては特に含みもなく、もしここでこれまでいた場所について零せば捜索の材料に出来そうだという程度だけの話だったのだが、どうやら子供は、赤井が子供の身をいずれかへ引き渡すためにここまで連れて来たのだと思ったらしい。

「そういう事じゃない。留守番は難しいだろう」
「……ごめんなさい……」
「別に責めてはいない」
「あ、あの……」

 でも、あの、と意味のない、ほんの小さな声を繰り返し、その言葉も瞳も散々彷徨わせた挙句、子供は赤井の目も見ずに、見れずにこぼした。

「わたし、じゃま……」

 赤井は、己の眉がぴくりと動いたのを感じた。

「邪魔だの、出て行けだのと、俺が少しでもそんな事を言ったか」

 おどおどとして、根拠もない言葉に卑屈が過ぎる態度は、あまりに重ねられれば煩わしさも沸く。
 しかし、それをほんの少し滲ませただけでも、子供は大仰に肩を跳ね上げて表情と体をまた強張らせ、ぬいぐるみをきつく抱き、しまいには涙をこぼし始めたのだから、すぐにその気は萎れた。相手は子供だ、子供はそういう生き物で、この時期の言動は生育環境によるものが大きい。当人も望んでこうも縮こまっているわけではあるまい。
 むしろそれよりも、同僚たちが向けてくるもののほうがよほど煩わしかった。呆れや不安、赤井が心無いことを言って泣かせでもしたのかと伺うような視線や、赤井ではあやしきれないのではないかとそわそわした態度。見当違いだし要らぬ世話だと睨みつけてやりたかったが、目つき鋭く表情を変えればより一層子供は怯えを増すだろう。
 赤井が軽く息つくと、子供はまたびくりとした。幾分か慣れが出てきていたようであったのに、振り出しに戻ったような態度だ。もともと子供に受けの良い体貌でも質でもなければ、好かれたいわけでもないが、さすがにそれには面白くないような気分にもなる。

「言っただろう、あそこを自分の家のように使っても構わんと」
「……」

 膝をついて覗き込んだ顔の、丸く柔らかな頬は血の気が引いている。

「一人で出来ないことがあろうがジュースをこぼそうが、大した迷惑にもならんし、もしとんでもない悪戯をしようと、それで追い出したりはせん。きみが嫌になるまでいていいし、帰る場所にしていい」

 頷きながらも晴れない表情の子供を、さっと抱き上げた。
 ――朝の問診がきっかけとなったか。問われて考え声に出し、時間を置いたところでようやく、己の置かれた状況を理解し始めたのかもしれない。


 家に着くまでずっとその有様のまま、子供は夕食になってやっと頬を緩めた。どうやらカレーが好物であるようで、“あの”少女には終ぞ辛い評価しか下されなかったそれを、夢中になって口に運んでいき、そのときばかりは遠慮がないのだ。現金で安直なあたりは実に子供らしい。
 その身や性質自体はさておき、本当に“ただの”子供であるのかは、まだ判定に至るまで時間がかかりそうだった。
 持ち帰った資料の中の一つ。調査を依頼した同僚が行方を探し当てたというあの車について、記載されていたデータは一見問題なさそうな一般の人間のものだった。しかし、添えられた写真をよくよく見れば、車種やナンバーは同じでも、リアフェンダーにあったはずの微細な傷が消えていたのである。


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