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 寝室を出ると、真純さんが先生を小脇に拉致して待ち構えていた。そもそもがいつも手ぶらで、出かける支度なんて要らないいつでも身一つみたいなスタイルなので、それで多分準備バッチリなんだろう。
 真純さんとは対照的に、メアリーさんはカーディガンとバッグに加え、つばの広い女優帽に、深い色のサングラスをかけていた。完全装備って感じである。

「ありす」

 一緒に玄関に向かったところで、ちょいちょい、と肩に触れて呼ばれた。
 メアリーさんはわたしのそばにしゃがみ込み、バッグから取り出したチューブっぽいものから出した中身を、わたしの腕にツイッと塗りつけた。ちょっとヒヤッとする。

「×××××××よ」
「?」
「日焼け止め。秀一は塗ってないの?」
「え、えと……はじめて……」
「全く――外は昼の間、おひさまが出ていて、その光が降っているでしょう? 目には見えなくて分かりづらいかもしれないけれど、肌にはちょっと刺激が強すぎるの」

 ちょっと呆れたようなため息のあと、そう言って、メアリーさんはわたしの露出した肌の部分にツイツイっと手早く塗ると、チューブをしまって立ち上がった。よし、と、ちょっぴり待てをされてた犬の気持ち。

「秀一ったら、自分も真っ赤になってたことがあるくせに……今度良いのをあげるわ」
「ありがと、です」
「ちゃんとお家を出るときには塗りなさい。肌はその場で痛いって言わないのよ。あとから熱を出したりシワになったりする」

 うーんなるほど、美人の白い肌はそうやってこまめな努力によって保たれているのである。
 いやわたしだって言われてみればアッとなったので、そういう概念を知らなかったわけではないと思うのだけれど、綺麗さっぱり忘れていた。秀一さんがそういうものを使っているところはこれまで一度も見たことがなかったのだ。男の人だからだろうか、と思ったら真純さんはここに来る前、家を出るときに塗ってきたらしい。単なる興味と性格の問題かなあ。

 三人で家を出て、真純さんの先導によって歩き始めて数分。
 メアリーさんはわたしに合わせてのんびり歩いていてくれたものの、真純さんはすたすたと先に行っては振り返って待ち、を繰り返していたからだろう。

「そんなんじゃ着くのは夜になっちゃうよ!」

 と言われてしまった。も、申し訳ない。
 真純さんが歩けばたった三歩だろう距離を、わたしはちまちまちまちまと二倍か三倍かけて歩くのである。目的地によってはあながちほんとに昼間の間にはたどり着けないかもしれない。

「!」

 慌てて駆けようとしたわたしを、真純さんがひょいっと脇下を掴んで抱え上げた。回り込んで、後ろからである。
 ――そして、そのまま自分の肩に、わたしの足が引っかかるような形で座らせた。

「秀兄よりは低いかもしれないけど」
「へっ、いや、あの……してもらった、こと、ない……」
「そうなの? 肩車、ボクが初めて?」
「う、うん」

 へえ、と、なんだか真純さんの声はさっきよりも弾んでいる気がする。

「ボクそんなに身長高い方でもないからさ、これでようやく秀兄くらいかもな。でもまあ、なかなか良いだろ?」
「すごい……」
「頭持ってていいよ」

 そうは言われても人様の頭をお馬さんよろしくがっしり掴んだりは出来ずに、迷ってふわーっと頭頂部に手を乗せる。メアリーさんに似たくせっ毛だ。秀一さんのあの前髪のくるくるとも似ている。というか、あれはメアリーさんから来ていたものだったんだろう。しかしなんで前髪だけなんだろう。お父さんの方は縮毛矯正いらずのガッチリストレートだったのかもしれない。なんだか生命の神秘感があってちょっと面白い。
 真純さんは手にしていた先生をメアリーさんに渡し、わたしの両足をがっしりと掴んでサクサクと歩き出した。

 確かにいつもより、多分秀一さんに抱かれているときよりも若干高い視界。
 しかもいつもなら秀一さんの体で遮られているであろう範囲も、首を回せば見えてしまう。軽快に進む真純さんの足のおかげで、速度も違う。それだけで、いつも見ていた街並みが違うものに感じられる。これで秀一さんくらい。秀一さんはいつもこんな景色を見ているのかと思うと、ちょっぴり感慨深いようなそうでもないような。
 キョロキョロとあたりを見回すわたしを、通りがかりの人が微笑ましそうにしてクスクス笑う。笑われてちょっぴり恥ずかしかったりもするけれど、その視線や笑いがあったかいもので、そんなに悪い気もしない。ピラピラと手を振られて振り返したら、更にニッコリしてくれて、何事かを短く言ってくれて、中身は分からなかったけれど優しい言葉だというのは分かって、すごく嬉しくなる。我ながらとっても単純。そういう優しい人は結構ちらほらといて、調子に乗って色んな人に手を振ってしまった。
 人の話し声や、車の行き交う音、雑踏に混じって、ふっ、と真純さんの笑い声が聞こえる。

「ボクときみ、きょうだいに見えるんだってさ」
「きょうだい」
「――ほら、もうすぐ着くよ。あそこだ」

 それまで両脇に立ち並んでいたビルが途切れて大通りに出たところで、真純さんが正面を指さした。横断歩道を渡った先には、木々が生い茂る空間がある。
 真純さんはわたしの両足をギュッと握り直して駆け出した。



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