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「コーヒー、今何杯目か覚えてる?」

 それまでの視線と、背後から響く足音で検討はついていたが、赤井にそう声をかけてきたのはジョディだった。
 片手にマグを持ち、空いたもう片手で赤井の持つそれを指差す。声色と同様、表情も何やら緩んで揶揄するような形をとっている。

「さあな。生憎不必要なところまで動向を確認してはいない」
「私は今一杯目、シュウは三杯目」
「暇なのか?」
「ま、あなたよりは全然」

 肩を竦め、差し出してきたマグに、赤井は持ったままだったピッチャーから中身を注いでやった。
 ジョディはそのままマグに口をつけ、一口二口軽く口内で遊ばせるようにしたのち喉を通す。今日は機嫌がいいらしい。苛立っているときにはミルクや砂糖をやたらと入れる傾向にある。
 唇が離れると、マグの縁には赤い跡が残った。そうして飲み食いをし動かす度に薄まっていくというのに、ジョディに限らず大抵の女は、わざわざ時間を作ってまで塗り直しをし、その赤や、時に紫や橙なんかの彩を保っていたがる。
 彼女らにとっては、戦化粧なのだという。“あなたがライフルや爪の手入れをしたり、防弾ベストを着るのと一緒よ”などと切々説かれ、思うところがないわけではないにしろ、さほど興味もなし、面倒を突付くのも億劫で、赤井はひとまずそれで納得の姿勢を取っている。
 ――子供はよく、同僚の女たちや母親の口元を眺めていた。
 もしかするとその意義に赤井以上に理解を示しているのかもしれない。単に鮮やかな色彩が目を引き、そういったものが好ましく映る、というだけである可能性のほうが高いだろうが、子供のあの小さな脳には、子供がゆえの未熟さ非合理さとは少し違った、赤井にも読めないと思わせる部分があった。

 ふふ、と女の控えめな笑い声がする。
 ジョディは赤井を見遣り目元を緩めていた。

「子どもを大事にしてる父親ってすきよ。仲のいい父娘ってすてきだと思うわ」
「……お前は感傷にすぎるきらいがある」
「あら、別にそういうんじゃないわよ。微笑ましさで言ってるの。おかげさまで、ああ、この国にも平和なところがあるのねって思えるわ」

 ジョディは軽い口調でそう言いながら、ピッチャーを置き場に戻し歩き出した赤井の後を付いてくる。彼女のデスクを通り過ぎ、赤井が自席へ腰を下ろすと足を止め、すぐそばの他人のデスクの端にもたれかかるような体勢を取った。意図して赤井の視界に入る位置取りをしたようで、その姿が首を動かさずとも目に入る。ぴったりと体に沿うようなスカートタイプのスーツ。滑らかなシルエットを崩すかのように、ジャケットのポケットが若干膨らんでいる。

「資料は?」
「メールで送っておいたから確認しておいて」
「了解」

 ジョディはまたマグを口に運んだ。どうやらこのままコーヒーブレイクを兼ねてお喋りがしたいらしい。はじめに声をかけてきた時点で、赤井にはそうだろうという予想はついていた。

「“ママ”とは仲良くできそうなんでしょう?」
「……ああ」

 近頃、仕事以外でジョディが口にしたがる話題は大概それだ。
 赤井の“子ども”。赤井がそれを見つけ連れ帰ってから、これまで殆ど毎日のように、赤井といれば必ず顔を合わせており、ジョディ自らよく構い、子供も懐いていた。気にかかるのは頷けるし、ジョディの言で子供の機嫌が取れ、意思疎通が捗ることもあると、赤井も比較的まともに応対していた。

 不在時の子守りを買って出たメアリーは、それなりに子供とうまくやっているようである。
 子供が懐いているジョディや他の同僚女性たちのように気安く愛想のいいタイプではないが、それでも女であるのと、赤井の肉親であるのと、そして赤井の幼い時分の話を語って聞かせたのとが効いたらしい。
 特にジョン・ドゥ――もとい、クマのジョン・ワトソンがいたく気に入ったようだ。当時周囲にいた人間や、後々メアリーに吹き込まれた人間たちが言っていたようなことを語ってやると、ずいぶん楽しそうに聞き入っていた。あのウサギのぬいぐるみも意思を持つ生物であるかのように扱う素振りがみられるのだ、馴染みがあり、想像が膨らみやすく、共感と理解の及ぶ事柄だったのだろう。
 一般に幼子が無機物に対して愛着を抱き、その声や感情が本当に存在するかの如く感じられることがあるというのは、赤井も知るほどには珍しくもない話だった。それが情緒の安定や発達に一役買う場合があるということも。

「よかった、私の友達を紹介するべきかしらって思ってたの。でも子どもに教えられるほど日本語が上手いのは夏子くらいだったし……」

 冗談めかしつつも、恐らくはそれなりに本気で思っていたことだろう。本人としては陰で、という意識でもってだろうが、あてを探していたことを、赤井は知っている。その礼としてこんな風に休憩が取れる程度に赤井が彼女の仕事の負担を少々軽くしたのも、彼女も解っているようだった。

「迷うわ、これ」

 ジョディがポケットから出したのは、赤井にはひどく見覚えのある、紙製の小さな箱だ。

「早く食べてなくなってしまうのも惜しいし、美味しかったわって言ってあげたいし」

 指先でくるりと回して眺め、箱を開ける。中には赤井が子供に手伝いの報酬として与えた菓子の小袋があった。

「結構きれいに出来てる。賢いところはそうじゃないかって思ってたけれど、意外に器用なとこも、父親似なのかしら」

 赤井が手直しを加えながら教え、散々作った中でも比較的ましなものを選んだのだから、あの歳と体のわりには上手く出来ているようにも見えるだろう。
 そう思いながらも、赤井は静かに「さあな」とだけ返した。
 直後にデスクの上で端末が震える。

「それプライベート用でしょ? シュウが通知切ってないなんて!」

 などと隣で大袈裟に驚いてみせるジョディへは特に何の反応も返すことなく、赤井はステータスバーをタップして届いたばかりだというそれを開いた。件名は子供の名前。

 “Supercalifragilisticexpialidocious”

「あら。教わったのかしら?」

 画面を覗き込んできたジョディが、そう言って微笑ましそうに笑う。
 例の発明品と対になるアプリからの通知は一切ない。子供の能力や性格から言って、この文面を入力したのも、そもそもの行動の発端となったのも、子供ではなくアドレスの主――妹だろう。



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