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「ボクにはちっとも返してくれないのに――あ、切った!」

 興奮したふうに張り上げられる、ハスキーな声。
 その持ち主は、プツリと無音になったスマホをぎっと睨みつけた。

「あ、あの……」

 自分でもどうしてそんな中で声を上げたんだと思う。自分で自分にびっくり。なぜか、ぽろっと口からこぼれ出てきたのだ。
 おかげでまだまだ強い余韻を残した眼差しがもろに飛んできた。

「……お、おしごと、いそがし……かも……」
「そんなわけあるか。それだったらそもそも返事なんて返さないし電話に出もしないさ!」

 部屋中に響きそうなほど大きな声。
 そう感じられたのは、たぶん、普段一緒にここで過ごす秀一さんやメアリーさんは、あんまり荒らげたりはせずいつも静かな調子で、抑揚も控えめに喋るからだ。
 慣れない音量に思わずびくっと肩が震えた。その肩を宥めるように、背後からやわらかい手がそっと乗ってくる。

「――真純」

 メアリーさんに向けて、むっつり、と言うのか、口先を尖らせ、どことなく拗ねたような表情を浮かべるその人――真純さんが現れたのは、ほんのちょっぴり前のことである。


 ここ数日の、そしてこれから先もきっとそうなのであろうお決まりとして、朝食を食べ終えたころにやってきたメアリーさんとバトンタッチってな感じに出勤していった秀一さんを見送り、メアリーさんと絵本を読んだりお絵かきをしたりまったり過ごしていたときだ。
 例のちょっぴり心臓に悪いチャイムが鳴り響き、メアリーさんがほんの少し表情を険しくして玄関へ向かった。いくらかの間のあと、扉が開く音がして、途端聞き覚えのある声がわっと飛んできて、「ママ」から始まり賑やかに続いたのだ。

「どうしたんだ、あの少年のところに行くと言っていただろう」
「魔法使い≠ヘお姫様のエスコート中さ。さすがに邪魔するほど野暮じゃないよ」
「……お前も懲りんな」

 そうして、メアリーさんとあの革ジャン姿の男の人が連れ立ってきた。今日は帽子も被っていて一瞬ほんとに誰なのかわからなかったりしたのはちょっと秘密。
 姿や声は覚えていたけれど、失礼ながら名前を覚えていなかった。そんなぽんこつなわたしとは違い、男の人はわたしのことをしっかりばっちり覚えていてくれたようで、わたしに気づくとまっすぐに目の前にやってきて片膝をつき、「やあ、ありす君」と言ってくれた。
 えーっとえーっとと必死に記憶と格闘していると、「真純ってそんなに言いにくい名前か?」と助け舟っぽいものまで。おかげさまで思い出せないまま勘違いしてナニガシジャッシュ劇場がはじまったりせずに済んだ。

「う、ううん……ましゅ、たん」
「難しいみたいだな」

 スコッと突っ込まれてしまった。その表情はちょっときょとりとして、なんだか珍妙なものを見るような目つき、のような……。
 じーっと見つめられて、じわじわ居心地が悪くなる。

「……」

 真純さんは、ふっと視線を外すと、床であたかも絵本を読んでいるかのような体勢でいた先生をむぎゅっと掴んだ。あ、あたまをそんな。それから持ち上げて顔の前に引き寄せると、手首を回したりして全身しげしげと眺める。

「……これ、秀兄が買ったの?」
「えっ、う、うん……」

 ふーん、と聞いたわりにはあんまり興味なさげな薄い返事。
 真純さんは先生を元に戻すと、今度はその隣の絵本を取ってぱらぱらとページをめくった。例のれいんぼふぃっしゅさんの本だ。

「すごいな、キラキラしてる」

 ですよねですよねと頷いて見たけども、真純さんはそんなわたしをチラッと軽く見遣っただけだった。

「これも秀兄?」
「えっ、ち、ちがう……えと、ぱぱの、どーりょの、ひと」
「ああ、FBIにも連れてかれてたんだっけ」
「そ、そう」
「いつもこんな感じでママとお留守番してるのか?」
「さいきん、は……」

 二回目のふーんを頂いた。
 やっぱり秀一さんの弟さんだけあるというか、いまいち考えが読みづらい表情で、するどめの顔つきだからか、ちょっぴりそっけない喋り方だからか、無駄にカチコチ緊張してしまう。特にその目に見つめられるとカエル状態である。ドどころかちっとも根性ないほう。喋れてるのが奇跡。
 パラッと最後のページをめくり終えて絵本を閉じると、真純さんは思いついたように言った。

「秀兄とメールとかしてる?」
「へっ……う、ううん……?」
「してみなよ、朝から夜まで家で待ってるばかりじゃ寂しいだろ。まあ、秀兄のことだから、いつ返ってくるかわかんないけど」

 ほら、ボクのから送ってあげるからさ、と真純さんはポッケからスマホを取り出した。
 しかし急に言われても特に文面が思いつかない。うーんうーんと頭をひねるわたしに、真純さんはじゃあボクが代わりに考えてやる、と言ってズラッと繋がった謎の長い単語を送り、それに秀一さんから似たような謎の長い単語メールが返ってきた。ほの……?
 ――普通のやりとりのように見えたけれど、なにか変な言葉だったのだろうか。
 返信を見た真純さんが電話を掛け、数分で切られてしまったらしく今ココ。わたしには何がなんだかわからない。
 むっすりとした真純さんは、メールの話をしたときにほんのり緩ませた雰囲気はさっぱり消え去らせて、また玄関から出ていってしまった。滞在時間は三十分もなかったかもしれない。
 うーん、なにげに兄弟でフクザツな関係だったりするんだろうか。こないだはハグしたり帰るのを惜しんだりして、仲良しさんそう、少なくとも真純さんは秀一さんのことを好意的に思っているよう、だった……気もするんだけれど。もしやわたしのせい?
 不安がよぎったのを察知するかのように、メアリーさんがそばにしゃがみ、わたしの肩を抱いた。

「気にするな、すこし子供なだけよ。あなたよりちょっぴり年上の」


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