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さながら投身自殺の有様で散々フライトを失敗した挙げ句、ややへにょへにょになった元イカさんは、秀一さんの補助を受けてどうにかこうにか数十センチの飛距離を稼げた。 わたしの手はもはやほぼ添えるだけ、実質飛ばしたのは秀一さん、というのはここだけの内緒ですよ先生。知ってる? 口止め料にマッシュルーム献上しますので勘弁してください。別に嫌いだから押し付けるとかじゃないです。ではとっておき、秀一さん特製シチューが出たときに人参で。 しょーもない脳内劇場でも、食べ物のことを考えたらみるみるお腹が減る。 今日も今日とて元気にきゅるきゅる鳴るわたしのお腹の音を合図に、秀一さんが立ち上がった。 しかし向かった先はキッチンではなくソファのほう、さらに言えばそのそばのサイドテーブルのほうだった。 上に置いていたタブレットを手に取ると、秀一さんは再度こちらへ戻ってきて、今度は向かいではなくわたしの隣に座り込んだ。 「たまにはこういうのはどうだ」 そう言って、軽くスイスイと画面を操作して、わたしに見せるようにタブレットをずいとずらした。 覗き込んでみたところ、表示されているのはウェブサイトのようだ。シンプルな白の背景に、これまたシンプルなロゴが左上にぽんとあり、その下には虫眼鏡マークと横に細長いテキストボックスが並ぶ検索バーのようなもの、さらに下には数字と英字がつらつら並ぶ。いくつかずつカンマで区切られ、えぬわい、という文字もあるので、おそらくたぶんどこぞの住所だろう。 横から伸びてきた大きな手が、やわく開いた状態で中指だけを少し曲げ、画面を撫でる。そうすると、それまで表示されていたロゴや検索バーが上へと飛んで画面から消え去り、代わりに鮮やかな画像が下からにゅっと現れた。 「ぱん」 「ベーグルの店だな」 惜しい。でもだいぶ近い。どっちも小麦サークル所属の炭水化物。実質正解。 という気になってしまう。頭を撫でられると急にわけもわからず自信満々になってしまうので、秀一さんの手からは何らかの薬物的なオーラが放出されているか、精神干渉系の魔法が掛かっているんだと思う。 そのまじっくはんどが、またタブレットに触れる。指先の軽い動きでするすると画面の様子が移り変わっていく。画像のサイズは同じであるものの、その中身が違うものが、間に出る文字や空白に区切られながら、縦長のページにいくつも並んでいるようだ。ベーグル、ハンバーガー、ピザ、チキン、ポテト、パンケーキ、サラダ、パスタ、中華のようなものもある。 「でりばり……?」 「そうだ。したことがあるか?」 「う、ううん。たぶん、ない」 「試してみるのもいいだろう。気になるものは?」 そうだなーと、わたしもスライドさせようと画面にペチッと触ったら、タップだと認識されてしまったようで表示が切り替わってしまった。なんでやタブレットパイセン。戻って! と念じるだけではパイセンはうんともすんとも応じてくれなかった。マニュアル対応ってやつである。 戻し方も戻す操作ができるかもイマイチわからないのでそのまま見ることにした。 どうやらさっきまでのページはデリバリーをしてくれるお店の一覧だったようで、名前か画像を押すとそれぞれの店の詳細が出るようになっていたらしい。 わたしが押したのは、餃子っぽい形の、丸い揚げ春巻きにたくさん具を詰め込んだような料理がメインのお店……のようである。 「これがいいのか」 「えっ、えと……うん」 ほぼ反射で頷いたけれども、実際写真はとても食欲をそそるものである。具材はいろんな種類があるようで、どれがいいかと聞かれてわからなかったのでとりあえずスタンダードそうなものを指差しで答える。 そうすると、秀一さんはさくさくと素早く注文を済ませてしまった。秀一さん相手にはとっても素直なタブレットパイセンである。 注文からしばらくの時間待てば、それは美味しそうな匂いを漂わせながらやってきた。 お腹が減ってちょっぴりIQが下がっていたもので、チャイムに出た秀一さんの背を追い、そわそわしつつ受け渡しを見守って、配達のお兄さんに思わずニコニコ手を振り返してしまった。 あとから恥ずかしくなるやつだ。秀一さんもなんともいえない顔してわたしを見てた。先生の視線も痛かった。忘れてください。おぶりびえいと。 秀一さんは、軽くテーブルの上を整えると、いつもの簡易ブースターシートをして、わたしをダイニングチェアに座らせてくれた。 写真に載っていたあれは、えふびーあいでお昼に食べていたお弁当のような、ランチボックスっぽい入れ物の中、ホクホクと湯気……はないものの、あったかそうな格好をして紙に包まれていた。 「ぎょーざ」 「……に似ているが、エンパナーダという」 「え、えんぱ、なだ」 これも小麦サークルの仲間なんだとか。なるほど人間は脂肪と糖に惹かれるようにできてるってえらいひとがゆってました。そして茶色はデブの誘蛾灯。美味しくないわけがない。 かぶりついたさくさくとした衣の中には、ジューシーなお肉っぽいものが入っていた。舌がおバカなので何かはわからないけれどひき肉。それと、卵と玉ねぎ。 鼻を擽るのはにんにくとオリーブ、何かのスパイシーな香り。なんだかカレーを髣髴とさせるようなさせないような。美味しいのだけれど、その美味しさの中身はわからないことが多すぎる。鑑定スキルレベルが足りない。 「やみー」 「そうか」 秀一さんが、目元を緩めて頷いた。前よりもたぶん意識的にゆっくりにしてくれているようなのだけれど、それでも食べるスピードが違うので、わたしが一つ食べる間に、秀一さんは二つめが最後の一口になっている。 「ぱぱ、は?」 「……まあ、そうだな、うまい」 ほんとにござるかと聞きたくなる気もする表情である。わたしに合わせた接待うまいに一票。 うーん、なかなか秀一さんの好みが掴めない。掴んだからといって何をするとか何が出来るとか聞かれると、全くもってさっぱりなんにも考えていないのだけれど。 知りたい、と思うのは、すき、に近いんじゃなかろーか。 気になる。教えてほしい。何かはっきりとした形あるものを得るためでないそれは、多分、あえていうならば自分の気持ちのため。“嬉しい”が欲しいのだ。知れて嬉しい、教えてもらえて嬉しい。知ることを、共有することを、許してもらえたみたいで嬉しい。その身や考え方を作り上げる一部を垣間見て、分けてもらって、それらが自分の中に積み上がっていく。自分の中に、そのひとがいるみたいに。 自分勝手な考えだ。誰にでもは、しちゃいけないかもしれないけれど。 ――秀一さんは、くれる、というから。 「あ、あのね……」 「ん?」 「これ、わたし、すき」 だなーと思います……と、相変わらず若干尻窄み。 秀一さんは、そうか、と柔らかな相槌を返してくれた。 「ぱぱ、ありがと」 「……ああ」 その声は、緩めた目元は、ただ食べているときよりもずっと優しい。 わたしがあげるのも、受け取ってくれる。ちゃんとその中に入れて、置いておいてくれる。 きっと、秀一さん――ぱぱになら、いいのだ。 |