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 結局、秀一さんに連れられて行った病院でそのまま、念のため、とちょっぴり入院することになってしまった。
 秀一さんは狭いが、なんて言ったけれどわたしにとっては充分広い結構綺麗な個室をあてがわれ、たった数日のことであるというのに、ジョディさんにキャメルさん、ジェイムズさんに、オフィスで会ったことのある人達が代わる代わるお見舞いに来ては、お花にお菓子に絵本に、色んなものを差し入れにくれた。
 もしかしたらそれを想定して選んだ病院だったのか、わたしの担当のお医者さんは日本語を喋れる人で、ほんのりカタコトながら優しく、手慣れた調子で話しかけてくれる人だ。看護師さんも若干日本語が分かる人や、わたしにもわかるくらい簡単な英語で喋り掛けてくれる優しい人ばかりで、しょっちゅう様子を見に来てくれる。これまで入院したことなんてないのでこれが普通かわからないのだけれど、なんだか一生分くらいちやほやされている気分だ。
 お医者さんも看護師さんも、ジェイムズさんや秀一さんのことをよく話題にするので、二人に興味があるだけという可能性も無きにしもあらずではある。それにしたってありがたい。

 がらっと、その人が扉を開けたのは、二日目のお昼のことだ。

「ありすちゃん」

 相変わらず綺麗なスーツをびしっとキメた零くんさん。
 その脇には、見覚えのある茶色い物体が抱えられていた。

「……あ」
「寂しかっただろう? ごめんね、ちょっとオペが長引いちゃって」

 困ったように、わたしに気遣うように眉を下げて笑いながら、ベッド横の椅子に座った零くんさんは、その脇の物体を布団越しにわたしの膝の上に乗せた。触るとふわふわ、以前と変わらない心地。

「……う」

 ウッカリうるっときて、間抜けな鼻声が出てしまった。
 先生が、胴に包帯を巻かれた姿で戻ってきたのである。
 あの時は振り返ってみてもなかなかに一杯一杯で、そんなことを考える暇もなくて、あの場に置き去りにしてしまったと気づいたのは病院についてからだったのだ。
 ずっと迎えに行きたいとは思っていたんです本当です。必死で弁明するも、先生の表情はなんとなくだいぶ不服そうで眼差しは胡乱げ、可愛らしくキラキラした瞳はわたしを責め立てるかのように見える。
 うっうう、ごめんなさい……。気ぃつけやと。そこで簡単にええやでとは言ってくれないところ、さすがです好きです。ヨイショじゃないです本当です。
 感動の再会もかくやといったノリでギュギューッと抱きしめてもふもふしていたら、それを見ていた零くんさんが、ふふっと小さく笑いを漏らした。

「頑張ってよかったよ。ありすちゃんは、先生をずいぶん慕って……先生が、ずいぶん好きなんだね」

 わざわざ、きっと分かりやすいように言い直してくれたそれに頷けば、零くんさんはふわふわとわたしの頭を撫でた。

「あ、あの……これ、れーくん……?」

 包帯を軽く擦りつつ聞けば、零くんさんは一度「うん?」ときょとんと首を傾げたものの、すぐさま思い至ったように表情を引き締めて頷いた。

「少し心得があってね、手術は僕がやらせてもらったよ」
「しゅじゅじゅ」
「成功したから安心して。包帯が終わったら、もうケガは治ってるからね」
「すご……」

 思わず反射で言ってしまった。
 つまりは、先生の体にあいた穴を縫ってくれたということらしい。もこもこな分、そしてあの穴の具合からして、綺麗に戻すのは難しそうなのに。その上包帯まで巻いてくれる気遣いと言うか茶目っ気というか、ついでにカミカミな滑舌もスルーしてくれる優しさが沁みる。
 零くんさんにとっては、する必要のない、しなくてもいいことだ。その、手間も時間もかかることを、してもいいと思ってくれた。わたしのためにやってくれたのだ。
 むずむずっと現れて、ぶわりと広がる温かい気持ちで、胸がいっぱいになる。

「あ、ありがと……です。すごく、うれしい……」

 でれっとした顔を仕舞えないまま言ったわたしに、零くんさんは調子を合わせるよう頬を緩めて、にこにこしてわたしの頭を撫でてくれた。
 ふたりとも、早くよくなるといいね、と。
 うんうん頷いて、先生にも頷いてもらってお礼を重ねる。
 零くんさんは笑って、退院したらまた世界旅行やかくれんぼをしようと言ってくれた。


「ねえ、ありすちゃん……」

 それからしばらく、他愛ない話を挟んだあと、零けんさんは不意に、すっと真面目な顔つきをしてわたしを呼んだ。
 少し身を乗り出してわたしの手を取ってそっとやわく握り、わたしの目を真っ直ぐに見据えた。

「気持ちというのは、はかるのがとっても難しい。きみのことを想っている、きみのためになりたい、という気持ちから来るものでも、どういうことを言うか、どういうことをするかは、人によりけりだ。考え方や出来ることは人それぞれで、相手も自分もそう。だからそれによって、どういう人に見えるかは変わってしまうし、同じものを見たり聞いたりしたはずが、それぞれ受け取って感じたものと、考えているものとが違う、ということもたくさんあるんだ」

 零くんさんは、小さく首を傾げて、どこか困ったように軽く笑った。

「きみに分かりやすくしようと気をつけてみても、きみにとってはそうじゃないということがあるし――逆にわざと、きみには分かりにくいかもしれないけれど、自分はこうしたい、しなきゃならない、という考えを貫く人もいる。そういうところまできみに分かってほしい、認めてほしいと思って、あえてやる人も。もちろん、そうでなくて動く人もいるだろう。
 人との関係は、見るもの聞くものが全てではないし、ただほんとうのことを言うのが、ほんとうに心を込めているということばかりではないと思うよ」

 ――きっと、零くんさんは、心配してくれたのだ。わたしが、あんなことを言ったから。

「あのね、れーくん」

 うん、と返す零くんさんの表情は真剣そのもので、わたしの言葉を聞き逃さないよう、わたしの心を読み違えないようとしているのが、態度から分かった。分かるように示してくれているのだろう。心から向き合っているのだと。

「だいじょうぶだよ」

 だからわたしも、しっかりと込めて笑う。ちゃんと、伝えなきゃだめなのだ。


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