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 秀一さんは、ぴくりとも動かなくなった男の人になおも警戒したように小さな拳銃を向けながら、近くにあったロープを拾ってきて手足を縛ると、すっと屈んでズボンの裾を上げ、足首に付いていた、銃をはめておくためのものらしいケースのようなものに仕舞った。なるほど、どこから出てきたのかと思ったら、そんなところに隠し持っていたらしい。
 それから、男の人が落とした銃と自分が落として蹴飛ばした銃とを拾い、軽く何かの操作をして片方を腰の後ろ、多分ベルトに挟みこむと、ばっとわたしの方を見て、つかつかと歩み寄ってきた。
 わたしの目の前にしゃがみ込んだ秀一さんは、すっと、音がするほど息を吸い込み、

「――余計なことをするな!」

 と言った。
 怒鳴った、と表現できそうなくらいの音量で。
 秀一さんは更に、畳み掛けるよう言い募る。

「ああも露骨な真似をしては逆上して先走りかねない――そうでなくともこの馬鹿はセーフティを外してトリガーに指をかけていたんだぞ! 意図せず反射で発砲する可能性があった!」
「――」

 頭が真っ白になる。
 秀一さんのそんな声ははじめてだ。いつも、落ち着いて、どちらかといえば呟くような調子で、ここ最近は特に、わたしに対してはゆっくりと柔らかな喋り方を意識しているようだったのだ。
 同僚さんたちには語気をやや強めたり早口になったりすることはあっても、冷静に、理性的に話しているのだと、内容の分からない英語であろうと見て取れた。それに、語りかけてからわたしが言葉を出せるまで、必ず待ってくれていた。

「呼吸の乱れ、散瞳、発汗、筋肉の緊張、恐らくは体温も、間近にいれば、まして抱かれていれば尚の事、お前にも少しは――」

 わたしが何も言えずにいると、不意に秀一さんは、軽く一度口を噤んで、小さく息をついた。深く、とまではいかなくても、わたしにも分かるくらい、くっと眉根が寄せられている。

「分からんか。……いいや、分かっていたとしてもやったか」

 大きな手が、わたしの汚れた手に、そっと触れる。

「……痛かっただろう」

 いたわるように柔らかく掬い上げられた手は、ほとんど痛みもせずふわりと浮き、むしろ触れられたそこから痛みが引いていくような心地すらあった。
 みどりの瞳が、真っ直ぐにわたしを見つめて捉える。そこには、銃を構えていた時のような、身が竦んでしまうような、逃げたくなってしまうような、恐ろしい気配は微塵も残っていない。
 僅かに細める動作は、敵意や嘲笑とは真逆の意図で、わたしのためになされたものだ。

「ありす。よく我慢した。よくやってくれた」

 それから、小さく。すまない、とこぼされて。

「……う、ぅ……」

 引っ込んでいた涙が、またぼろっと転がり落ちた。
 相変わらず一度流れ出したら止らない。こらえていた分、いやこらえきれてはいなかったけれども、もうそうしなくても良いのだと思ったら、ひぐひぐ情けない声まで次々と出てくる。
 まるで子どもみたいに泣きじゃくるのは恥ずかしいという気持ちは、その手の温度で溶けてしまった。



「――赤井さん!」

 荒々しい声は、キャメルさんのものだった。それを皮切りに、秀一さん同様FBIのジャケットを着た人たちが、バタバタと荒い足取りで次々部屋の中へと入ってきた。
 その同僚さんたちをちらりと見た秀一さんが、持っていた銃を腰のケースに仕舞って、わたしの脇に手を差し入れる。

「え、あ、あの……」
「嫌か」
「あ、ちが、えと……けが……」

 わたしは確かに聞いたし見た。あの嫌な音と、膝をつく、苦しげな秀一さんの姿を。
 そのはずなのに秀一さんは、けろりとした、そんなの忘れてたとでも言いたげにも見えるような顔で「ああ」と言って、ジッとジャケットのジッパーを下ろした。
 前の開いジャンパーの間から、これまたドンと太いゴシックの、FBIの字が現れた。

「これはあの程度の弾は通さないんだ」

 つまり、防弾ベストとかジャケットとか、そういうやつなのか。体に厚みがあるようだったのは外のジャケットのではなくこれのせいだったらしい。もしかして、撃たれたのも屈んで足首の銃を取るため?
 抱き上げられて、防弾なんちゃらにあいた穴をなぞってみたけれど、確かにそこからそのまま肌まで通じてるなんてことはなかった。
 い、意外と演技上手だ……。
 エエーッとちょっぴり涙が引っ込んだわたしに、秀一さんが小さく笑みを漏らした。
 今のは笑った、と分かった。自然と漏れ出たもののようにも、わざとそういう風にしたようにも思える。……も、もしかしたら秀一さんもやろうと思えばれーくんさんくらい表情豊かにリアクション出来たりもするのだろうか。ううーん、して欲しいかと言うと、そうでもない……。

 秀一さんはさっと立ち上がって、近くにいた同僚さんと軽く話をすると、帰ろう、と言って扉の方へと踵を返した。
 やや離れた場所で、しゃがみ込んだ同僚さんに何かを確かめるよう体を触られている、倒れ伏せたお兄さんの姿が見えた。
 ――きっと、たぶん、もうあの人の顔を見ることはないし、話しかけられることだってないんだろう。蕩けるような甘い瞳を向けられることも、壊れ物のように抱かれることもない。あの言葉たちの意味を教えてくれることも、わたしに、新しい名を与えてくれることも。
 さっきはあんなに怖かったのに、不気味なほど気持ちが凪いでいる。

「……」

 秀一さんはわたしの目を隠したりも、体を背けて遮ったりもせず、ただ、それを見つめるわたしの頭を、やわりと撫でただけだ。
 わたしが視線を逸らすまで待って、迷いない足取りで、そこを後にした。


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