C-4

 昴さんが帰ってくる前に、なんとか大抵のことは終わらせられた。
 組織のこと、その捕縛や瓦解も――“薬”についても。

「あの人……どう?」
「いいみたいだぜ」

 昴さんの頼みという形で灰原に貰った薬はほとんど眠剤のようなものだったけれど、それに“オレの声”があれば、あの人には効果覿面のようだった。母さんから聞いた様子からしてもしっかりと効いている。

「……それならいいけど。あなたは?」
「好調好調。前みたいなこともねーしよ」
「そう」

 オレを見上げ、そいつは小さく息をついた。呆れたような態度を見せているけれど、安堵を感じているだろうことは、その僅かに緩めた口許からも、これまでのことからも察せられる。
 何だかんだ言っていつも心配してくれていたし、どんな場面でも味方でいてくれていて、そして、なによりオレを“救けて”くれた人間だった。もうひとつの“薬”で。
 ――テキストの末尾に隠されていた塩基配列を捩った暗号は、紐解けば南洋大学内のサーバーに繋ぐためのホスト名とパスワードになり、灰原が姉に間違えて送ってしまったというROMの中身のコピーへと辿り着く道となった。
 組織を叩き得た情報にそれを混ぜ込んで渡せば、解析し転用して、ついに解毒薬を作り上げてくれたのだ。
 しかし目の前のそいつは未だに“灰原哀”のまま。

「オメーは飲まねーのかよ」
「今更“宮野志保”に戻ったところで何もないし――今の生活、嫌いじゃないもの」

 私がいなくなったら博士がメタボで死んじゃうしね、なんて軽口を叩いて、いつもより皮肉さを薄めて笑ってしまわれれば、それ以上は何も言えない。何としても元に戻りたいと思えるだけのものがあったオレには。
 灰原は、自分と同様“そう”であるあの人も今の生活を選んだと思ったようだった。
 加えてジェイムズさんや父さんの“友人”たちによって手配された“本物”のパスポートでの海外旅行は、奇しくもこいつにとってあの人が“嘘つき”でない証左になったらしい。

「――次は何を教えようかしら」

 明日は久しぶりの“再現実験”だと、灰原は目元を和らげて言った。


 あのセキュリティボックスに入っていたUSBは、確かに灰原の姉が灰原に託したものだ。それがあの十二桁で開いたということは、PDAは灰原の姉のものだったということ。そしてあれは、南洋大学であの人が渡したものでもある。
 南洋大学の“アケミ”の恋人だったらしい“近衛先輩”が殺害されたとニュースの報道があった時期とFBIの来日は一致するが、遡って調べてみても大学院生の下の名は“十夜”などではなかった。
 おそらくジョディ先生の指す“トーヤ”はあの人だ。ジェイムズさんによればあの人が“彼女”に“十夜”と呼ばれていたのは事実のようだけれど、“彼女”にそう名乗ったと聞いただけで、詳しいところは知らないのだという。“近衛十夜”の名を出したのはキッドだけ。あいつは相変わらず行方を掴めない。
 何にしろ広田さんと、灰原の姉と、“アケミ”が同一人物だとして、それに関わる人間の糸がどうであったのか、もう当人たちがいない分真実は知れそうもない。
 ただ、憶測の上でしかないが、あの人は赤井秀一でもあり、“近衛十夜”の名を使う人間でもあり――そしてそのニ者の間には、あの人を苦しませ得る乖離があったのだ。

 いくらのたうっても平然としてるのは装いでなく事実だった。持っていては沈んでしまうから、抱えてはいられないから、捨てるしかないのだ。手放したくないものさえ。それがあの人が自身を保つための術だった。
 そうするということは、意識の底では辛苦を厭い、生を望んでいるということに他ならない。
 選びたいというなら、切り捨てたいというなら、諦めてもいいとわずかでも思えたというなら、オレは引き上げてやれる。掬ってやれる。

 今や沖矢昴は、戸籍上本当に存在する人間だ。
 そして赤井秀一は、戸籍上本当に死んだ人間。

 沖矢昴は、人を殺してなどいないし、銃を握ったことなどない。
 “あの”沖矢昴は、罪を犯してはいない。
 ただ人より居場所と、過去の少ないだけの男。

 ――そうあってくれれば、コナンも新一も、何も曲げることなく、あの人を許容できる。

 大丈夫だ、全部うまくいっている。もう子どもじゃないんだ。オレがどうにでもできる。どうとでもしてやれる。
 これで大丈夫だと、思っていたんだ。


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