極北の羨道

 具合が悪い、というのは嘘じゃなかったらしい。“十夜さん”は一人じゃ歩けない有様で、オレの家へ、さながら救急患者のように運び込まれた。
 とはいえ処置ができるわけでもなく、本当に病院に連れて行くわけにもいかないので、部屋を提供しただけだ。必要だと言われた薬のうち風邪薬のような一般的な物以外は、灰原には訝しまれそうだったので博士に頼んだ。
 “降谷零”は、一週間と少し、寝込む男をつきっきりで看病していた。一度も上がったことはないはずなのにオレの家の間取りを把握していて、手慣れたようにキッチンを使ったかと思えば、アレがないコレがないと、うちにはそもそも存在していない器具を探したりもした。
 “工藤新一”も同様だ。そして、二人だけで話した、“オレしか知らない事実”はどれもこれも正確な一方、対人関係における認識や感情の差はいくつも出た。
 そういった言動が多々あって、赤井さんは彼らの突拍子もない主張を、鵜呑みにも出来ないが一笑に付すことも出来ないと判じていた。
 しかし、なによりネックなのが“赤井秀一”だという、“十夜さん”だ。


「おはようございます」

 ようやく回復したという“十夜さん”は、降谷零に手を引かれながらキッチンへやってきた。彼に座っているように言われて、頷きもせず素直に従う。“工藤新一”が「おはよう、十夜さん」と声をかけても返さず見遣りもしない。
 隣の椅子によじ登り、オレが同じく「おはよう」と声をかけると、少しだけ首を動かしてオレを見た。“工藤新一”が睨んでくる。けれどこれにも返事はない。
 “十夜さん”はまた少し首を動かして、調理を始めた二人を……見ているのか見ていないのか分からないが、とにかくそちらへ顔を向けていた。

「ずいぶん楽しい夢をご覧になっていたようですね」

 食事が並べられた頃にやってきた赤井さんに、“降谷零”が刺々しく言う。

「家事をするというのはそちらの申し出だ」

 一応急な来客に備えてか沖矢昴の格好をしてはいるが、口調は取り繕うこともない赤井さんそのものだ。
 この二人の関係もよく分からない。お互いの話す“過去”がなかなかに噛み合わないのだ。
 ばし、と、“降谷零”が何かを赤井さんに投げつける。難なく受け取った赤井さんが掲げて、赤井さんがよくタバコを吸うのに使っているマッチだと分かった。

「出しっぱなしにしないでください。危ないので」
「……」

 赤井さんは何とも言えない顔をした。


「さあどうぞ。よく見ながら食べるんですよ、今日は和風です。ごはん、味噌汁、おひたし、焼き鮭――」

 “降谷零”は“十夜さん”とL字に向かい合うように座って、どれを食べるべきか一つ一つ指をさしていき、“十夜さん”はその通りに右手を動かし、やや前かがみの体勢でフォークで突いて口へ運ぶ。
 しばらくして“降谷零”は、湯気の立っている間はよけていた味噌汁の椀を、温度を確かめるようにしてから“十夜さん”の前へと置いた。“十夜さん”はいくらか具材を掬い、それからフォークを置いて椀を持ち啜る。
 どれだけ食べづらそうでも、“十夜さん”は右手しか使わない。左手は下ろされたままで、手首から先はぴくりともしない。

「ああほら、わかめが残ってますよ」

 “降谷零”はそう指摘して、代わりに椀を持ち上げ支えてやり、“十夜さん”がそれを取るのを手伝った。零れて転がり落ちた米粒や魚の身なんかは、何も言わずにさっと取ってしまう。
 そのさまを、黙々と食べ進めながら、赤井さんはくまなく観察していた。苦味のある品はないはずなのに、どことなく苦そうな顔をして。
 多分それはオレの感じるところに近いものからきているだろう。


 自宅に三人も不審な人間が増えてそのまま放置できるわけもなく、オレも気になって泊まり込みに来たのだが、見ている限り一事が万事そんな感じだった。
 “十夜さん”は何から何まで“降谷零”の指示通りにし、そうでなければ一歩も動かず、まったく何もしようとしない。
 “降谷零”は何から何まで“十夜さん”の行動を指示し、また何から何まで世話を焼いていた。移動、起居、着替え、食事、服薬、洗面、歯磨きも、果ては風呂まで。部屋は一つでいいと言い、同じベッドに入って眠っている。
 それらを行う様子はごく自然だ。看病のためかと思っていたが、“ここ”に来る以前からそんな調子だったらしい。
 一緒にいないのは調理中くらいで、その際は逆に動くなと言い付け必ず座らせて待たせている。オレたちにも、極力彼に火や刃物に触れさせないようにしろと言ってきたり、本当は一階がいいんですけど、なんて不満とともに、窓に鍵を足したいとも頼み込んでもきた。

「……まるで子供かペットだな……」

 自分と同じ顔をした、ひょっとすると自分そのものの男が、生活の一切を管理されているという光景は、さすがの赤井さんでも受け入れ難く簡単には流せないらしい。“降谷零”の“お世話”を見るたび、柄にもなく些か以上鋭さに欠ける表情を浮かべていた。

「十夜さん、やっぱ眠れてない?」
「眠剤は飲んでるんだけどね、目を瞑りはしてもそれだけなんだ。やはり慣れない環境が効いてるのか……」
「昼寝でも出来ればいいんですけど……」

 “降谷零”と親しげにし、心底心配そうな表情で“十夜さん”の顔を覗き込み隈を撫でる“工藤新一”の姿に、オレだって落ち着かない。“十夜さん”に向けるそれは、本当にオレかという顔つきや手つきで、なんだかむず痒いというか、ぞわぞわするというか。
 挙句ソファに横にならせ膝枕なんかをはじめたもんだから頭を抱えてしまった。うそだろ。

「ホー、きみはあんなこともするんだな」
「……新一兄ちゃんはそうかもしれないけど、ボクはわかんないなァ……」

 “工藤新一”に真っ先にした口止めだ。彼らはもちろんもう知っているんだろうが、どうにもオレたちとやったことが違うようだし、“十夜さん”のこともあるから、同じよう上手く転ぶとは限らない。……“コレ”が上手く転んでると言えるのかは、さておいて。
 赤井さんにまだ告げていない、コナンがコナンである所以、オレが赤井さんと出会った理由、オレが組織を追う根幹に関わる事実。必然的に彼らの話はそこを避けたりぼかしたりするもんで、それで赤井さんが余計懐疑的になっている点も若干ある。
 もうバラしちまった方がいいのか、まだ機を伺うべきなのか、葛藤が続き、なかなか着地点を決められないでいるのだ。


 夕食後、改めて話を聞きたい、というオレたちに、“降谷零”は「無駄ですけどね」と含みもなく軽く言った。
 “降谷零”に手を引かれソファに座った“十夜さん”は、そこで慣れたような所作もしなければ、かつて住んでいたという家を懐かしそうに眺めたりもしなかった。
 真正面に立つ、かつての自分と同じ姿をした男にも、何の感慨も持たない様子だ。赤井さんと同じ緑の瞳は、ぼんやりと、どこを見ているのか分からない。
 赤井さんがしゃがみこんだのは、子どもや動物に対するような情からのものではないだろう。思考を読み取るのに瞳孔や眼球や唇、顔の筋肉の動きや息遣いを観察する必要があるからだ。

「名前は」
「……」
「赤井秀一か?」
「……」
「それとも“近衛十夜”か」
「……」
「俺が誰だか分かるか」
「……」

 繰り出されるイエス・ノーでも答えられるような短い問いに、一言も発さないし首も動かさず、その意志さえ感じられない。年齢、職業、出身、嗜好、場所や時間、何をいくら投げかけられても同じ。

「そこの男はきみにとって何だ? 知人、友人、仲間、家族、恋人、庇護者、所有者、監視者」

 聞いているかも定かでない様子に、赤井さんが少し黙り込み、その顎に手を当て顔を上げさせた。彫刻の出来を確かめるかのように、しげしげと眺め、そこから服を捲ったり肌蹴させたりして、手や腕、首元なんかへと視線を移していく。
 どこもかしこも傷だらけだ。おそらく顔の火傷と同様、赤井さんにはないものがたくさんあるんだろう。その中でも胸元の掻き壊しはまだ新しかった。

「確かに造形と骨格は似ているが……手首は誰がやった?」

 左手を持ち上げられ、傷跡を触られようと、“十夜さん”は何も言わない。腕も指も赤井さんに動かされるがまま。彼の体に繋がっているものなのか疑わしくなるほど。

「これは――」

 “十夜さん”の胸元で光った、銀色のネックレス。それに赤井さんが目を向け、手を伸ばそうとした時。
 それまで不愉快そうにしていた“降谷零”が、その手をぱっと掴んで引いた。

「ね、言ったでしょう」
「……そのようだ」

 にっこりと笑って赤井さんを押しのけ、“十夜さん”の衣服を整える。その“降谷零”のシャツの首元から覗くのも、また銀色のチェーン。
 立ち上がり両手をポケットに入れた赤井さんが、目を細めてそれを見つめていた。





 ただの悪夢だ。
 なにも気にすることじゃない。
 何の意味もない。何もいらない。



リクエスト - 混迷と叉手続き / りんさま、さいとまとさま
ありがとうございます



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