高々架

 ほとんど同じタイミングで首を動かし、新一君と顔を見合わせた。目と口をぱかりと開いて端正な顔を崩している。近頃じゃなかなか見ない表情だ。

 都内の桜はそろそろいいぐらいに開花していたので、ちょうど二人とも休みの明日に、三人で花見に行こうという話をしていた。新一君にはせっかくだから今日からうちに泊まればいいと言って、明日の弁当の食材を買い出しにと肩を並べて歩いているところだったのだ。

「まだまだ未熟ではありますけど、オレだって一品や二品作れます」
「それは楽しみだ、お手並み拝見」

 なんて。
 それがどうだ、右足を踏み出したときだったか左足を蹴ったときだったか、周囲はがらりと景色が変えた。見覚えがないわけではないが、僕たちがいたのは米花で、決して杯戸ではなかったはずだ。
 ついさっきまでの、そこらで昼寝でもできそうなぽかぽかとした春の陽気な空気はさっぱりと消え去り、吐く息は白く目に見え、もうあと一年はお別れだっただろう雪がちらちらと降っていたのである。寒さにぶるりと体が震えた。とてもじゃないが春分を跨いだと思えない。
 何かが妙だ、一旦帰ろうと言ってタクシーを拾いマンションへ向かう最中、運転手はいくらか古い話題をいかにも時事ネタのように話しかけてきた。しかも指定したコンビニに着いてタクシーを降りたところ、どんなに視線を巡らせてもコンビニから徒歩数分だったはずのあの高層マンションを捉えられず、また新一君と顔を見合わせることになった。今度はかなり険しい表情で。
 それだけで僕たちはいくつかの可能性に思い至ってしまった。
 そして悩ましいことに、“過去に来てしまった”なんて、馬鹿げて突拍子もないものが、一番答えに近いとも。まあ、彼がついこの前まで六歳だったという事実も、とんでもなく非現実的な話ではあったけれど。
 僕が住むあの部屋は、昨年建ったばかりの新築で入居したものだったのだ。

「どこに帰ればいいんだ……?」

 “安室透”として転々としていた時分を思い出しつつ腕を組んでいると、新一君がはたと気がついたように声を上げた。

「あの……降谷さん、オレたちだけならいいですけど、もし赤井さんもだったら――」

 新一君の顔がざっと青ざめる。きっとこの子の目に映る僕もそうだっただろう。
 元々彼は日本に家がない。しかも僕たちと同じ状態だったとすれば、彼は家を探すどころか暖を取ろうとも雪を凌ごうとも、そもそも何をしようともしないだろう。万が一スマホを手にしてたって僕たちと連絡を取ろうなどとしないに違いない。

 マンションが建つ予定の周辺をあちこち探し回ってみたがその姿は見当たらなかった。目撃証言もゼロ。
 “春”のとき歩いていたのはマンションからそう遠くなかったし、もしかしたらあの時の位置関係のまま飛んで杯戸にいるかもしれないと再度タクシーを拾った。

「妙な気を起こしてさえいなければ、そのままの場所にいるだろうが……」

 その予想は外れ、僕たちが“冬”に来てしまった場所からマンションの位置あたりを想定して片っ端から当たってみても、彼はどこにもいなかった。
 来ていないというならそれに越したことはないと安堵できたのに、ダメ押しの聞き込みでそれを否定されてしまう。
 ――曰く、道の真ん中で止まっていたのでぶつかった。ビルの間で棒立ちしていた。マネキンかと思ったら瞬きをしていた。白い息を吐いていた。何かの撮影かと思ったがカメラの姿が見えなかった。ホームレスといった風でもない。黙ってじっとして、唇を紫にしていた。
 “顔に火傷のある、薄着で裸足の男”を見た人間はそれなりにいて、しかもトドメとばかりに、“知り合いらしい金髪の外国人女性が男を連れて行った”との証言まで出てしまった。
 ベルモットかと一瞬ひやりとしたが、髪は短かったという。

「ジョディ先生だ、多分……」
「スターリング捜査官なら丁重に保護してはくれるだろう」
「でも――つまり“今”はFBIが日本にいる頃だということですよね」

 知識と経験はいつどこで役に立つか分からない。皮肉にもそのくらいの時期、僕は彼の変装をしてFBIを探っていた。その頃の僕にとってまだ確定情報としては知らないことだし全てではないものの、今の僕はFBIが日本に構えていた拠点の一つを知っている。
 証言によると、女性が車を向かわせたのはその拠点の方向ではないらしいが、要は似たような物件を探せばいいのだ。しかも外国人が入居でき、複数人出入りして咎められない、“備品”を置いていても問題にならない。そういう物件はこちらも把握している。その中で、彼らの活動圏内、ここから近くもう一件とも行き来できるようなものは数件。新一君が導いた推理も考慮に入れると、確率が高いのは鳥矢だ。

 新一君はひどく不安げだった。
 当時FBIは“僕”の姿を見て何の疑いもなく死んだはずの赤井だと思っていたらしいが、もしそうでないと、あまつさえ組織の人間だと思われてしまったらどうしよう、と。
 どうも聞くところによると、それより以前に組織の男を捕らえた際、両手足を折り自ら舌を噛み切らせるほどの尋問をしたとかなんとか――この日本でなんてことを。そういえばベルモットが日本に訪れていくらかで、キャンティが喚いていたか。
 組織内においては、そういう話は珍しいことじゃない。だが、痛みを感じず反応もしない彼の姿は、疑う者にますます怪しいものとして映るだろう。
 心なしか、いいや、かなり急いで目的の建物へと向かった。

 たどり着いたマンスリーマンションで、あまり大っぴらにはできないし褒められたことではないが、警察手帳を使い適当な理由をでっちあげて管理人に詰め寄り、合鍵を出してもらった。
 やはりFBIとして堂々融通したわけではないらしく、不審な外国人の集団を探していると言えば管理人は可哀想なぐらい縮こまっていた。まっとうな仕事をしているだけの彼女には悪いが、一件目で見つけられたのは幸運だ。
 扉を開けずかずかと乗り込んだ廊下の先の部屋で、彼はFBIの人間に囲まれしゃがみこんでいて、そんなわけはないとは思いながらも、何をやっているんだと声を荒らげてしまいそうだった。
 喉まで出かかったそれが引っ込んだのは、そばに見慣れた少年の姿があったからだ。

「――十夜、こっちにきなさい」

 呼びかけは少し賭けでもあった。
 まだ昼間だ、悪夢に魘されていもいない。だが少年の目の前で迂闊にも“赤井”だの“沖矢”だの呼ぶわけにもいかない。
 幸い彼は僕から守ろうとする同僚の女性をすっと避けてこちらへ寄ってきた。それでも少年のほうを気にしていたので、とにかく急いで肩を抱き、その場を離脱したのである。

「まずいな、“きみ”がいた」
「……はい」
「じゃあ“僕”もいるはずだ」
「だと思います」
「下手に動けない」

 “冬”のこの世界のどこかには、“そのとき”の自分たちがいるだろうと、そういう仮定もしてはいた。
 しかしいきなり出会ったのがあの子で、しかもあんな状況だったのは非常にまずい。おそらく間を置かず追跡し追求してくるだろう。その予感はすぐに当たった。





 “コナン君”が招いてくれた、どこか懐かしさすら感じる工藤邸で、未だ客室だという見覚えのある部屋。そのベッドで横たわり、十夜は苦しげな呼吸を繰り返していた。
 ホテルに着いた頃から次第に動きが鈍くなり、“コナン君”が訪れたときにはベッドをずるずると這うくらいで起き上がれずにいたのだ。薬がないせいだと思っていたが――それもあるだろうが、どうにも風邪を引いてもいたらしい。しかも若干拗らせてしまっている。
 冬でも暖房がいらないくらいあたたかなマンションに合わせた部屋着と裸足で、雪の降る中に何時間も外に突っ立っていたというのだから当たり前か。
 “コナン君”もぼけっと見てないでさっさととっ捕まえて室内に引きずり込んでくれればいいものを、と八つ当たりのような気持ちもわずかに湧いてしまった。

「苦しいでしょう。でももう少しの辛抱ですからね。ちょっとだけ起きますよ、早く良くなるには食事と薬も必要です」

 貸してもらったキッチンの、調理器具や食料などは、彼がいたときとは少しずつ違っていた。使い勝手はさして変わらないし、食材なんかはむしろ豊富な方だったので調理は難なくこなせた。階下では元気な人間用に作ったものが消費されている真っ最中のはずだ。
 ベッドに腰掛け、ぐったりとする十夜の上体を抱えて起こし、片腕と自分の体で支えながら、サイドテーブルに置いた器から冷ました粥を少量掬って口もとへ運ぶ。彼はゆったりとした動きながらも咥え、噛んで飲み込む。咀嚼嚥下できるうちはまだ大丈夫だ。

「そう、上手……まだ食べれますか? 戻しそうだったら口を閉じて」

 小さく開いた唇のため、もうひと掬いしようと体を捻じれば、静かに侵入してきた“この家の住人”が腕を組んで壁に凭れ掛かりこちらを眺めていたのが目に入った。

「甲斐甲斐しいものだな。本当にきみは好き好んでソレの世話をしているのか」

 信じがたいといった“沖矢昴”の言葉にどこかかちんとくる。

「罪滅ぼしか、代償行為か――」
「そんなことを言うためにわざわざ来たんですか? 猫の手にもならないなら出ていってください」

 “沖矢昴”は、シニカルに口角を上げ、ふ、と思わせぶりに一息で笑うと、さっさと姿を消した。
 本当に何しに来たのか分からない。運動とカロリー消費を手伝ってくれる分スコッチのほうが遥かに有能だ。
 少し荒っぽく掬って視線を戻すと、腕の中の彼は熱に浮かされたようすで、いつもより一段とぼんやり、不思議そうに僕を見つめていた。それから寄せられた蓮華に弱々しくかぶりつく。

「あなたとは大違いですね、十夜……」

 ――そう、それなのだ。
 僕たちは単に時間を遡ってしまったのだと思っていた。
 しかしどうにも僕達がそれと認識している過去と違う。単なる前後ではなく、横にもスライドした世界にやってきてしまった――ようなのである。

 十夜と“沖矢昴”――この世界の“赤井秀一”とは、無視できない差異がある。工藤邸にやってきて少しずつ知識のすり合わせをしているが、ここに至るまでの大まかな流れは変わらないにしても、細部が随分違う。“赤井秀一”の言動も纏う雰囲気もだ。
 駆け込もうと思っていた新出医院とは一回ぽっきりの関係で、“沖矢昴”はあの医師とそこまでの信頼関係を築いているわけではないらしい。
 彼に必要な薬は“コナン君”に伝えていて、別のパイプから用意してくれるとのことだが、出来れば一度あの医師に会わせてもおきたかったのに。
 ここに住んでいいというのは好意と言うよりも彼らの都合だ。むしろ引きずり込むよう連れ込まれた。十夜にも僕にも新一君にも、外でうろちょろ動き回られては困ると。どこで自分たちの首が締まるか分からないから手元に置いておきたいのだという。
 ついでに“赤井秀一”と“ここの僕”はどうにも仲が悪いらしい。喋るたびさわさわと神経を逆撫でされるような心地になるから、“ここの僕”の気持ちもわからないでもないな。

 感情の区別からしても実際の勝手からしても同じ名で呼ぶわけにいかず、僕はひとまず十夜と呼びかけているものの、他人が呼んでまたああならないとも限らない。
 たまたま弱っていたからだけであって欲しい。彼らに呼ばれるのも癪だが、ただでさえ不安定な環境だ、不穏な要因は少しでもない方が良いのだ。

「……大丈夫ですからね」

 何から何まで、問題ばかりだ。



リクエスト - 惑いの丁字降谷サイド / モロヘイヤさま
ありがとうございます



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