混迷と叉手

 参ったな、とこぼしたのは降谷零だ。それに同意したのはシンイチ。
 俺が枕ごっこをするベッドの傍に立ち、二人してううむと唸っている。
 しばらくは降谷零の家にずっといたのに、ある時ふと街中にいてからというものころころと場面が変わっている。少年や金髪美女と車に乗ったり、外国人に取り囲まれたり、降谷零たちと買い物や散歩をしたり、こうして見たこともない部屋にいたり。
 話が繋がっているのかどうか定かじゃないが、あの暮らしからの延長だとすれば、家に帰らずこんなところにいるあたり旅行だろうか。そういえば近々花見に行こうとか言っていたような気がする。他に行きたいところがあるというのなら二人で好きに観光してくればいいのに。
 降谷零はシンイチを残して出ていったかと思えば、随分難しい顔をして戻ってきた。なにやらシンイチとこちょこちょおしゃべりして、顔色を悪くしている。トラブルでもあったのか。

「存在はしていたし向こうと同じようだが、少額でも手を付ければ“こちらの僕”が気づくだろう」
「すみません、オレじゃそれすら……。さすがにまだ伝えてないはずだからすぐさま“あっち”に確認を取るということもないでしょうし、母さんたちにコンタクトを取ってみるとか――」
「いいや、曲がりなりにも“きみ”だからね。悟られる」
「父さんなら分かってくれるかも」
「賭けだな。……ただこちらよりはまだマシか、やってみる価値もあるかもしれない。このままじゃ厳しい……」

 財布でもスられたんだろうか。意外とうっかりさんなのかね。今のうちにカードを止めとけよ。
 降谷零がこちらを向いて、手招きをしてくる。眺めていると、来れるか、と言うので、ベッドの縁までずりずりと移動した。
 身を屈めた降谷零の胸元できらきらと銀色がきらめく。摘むと、褐色の手がさらにその俺の手を捕らえるよう握ってくる。

「……薬もない」

 随分悲壮感溢れる声色だ。もしや財布の中には免許証保険証等の身分証と一緒に初恋の人やアイドルの写真なんかが入っていたりしたのだろうか。でも素直に言わないと遺失物の照会が正確に出来ないし遺失者との証明もしづらくなるぞ。
 そのままもじゃもじゃやりとりを続けた末、とにかく他にも確認してくるとか、シンイチ君頼むとかなんとか言って、降谷零は俺の髪を一度くしゃりと混ぜてから手をそっと外し、傍を離れていく。

 降谷零の姿が見えなくなってほとんど間もなく、少し離れたところからがちゃんと物音がした。
 それから、おそらくそのあたりから、通りの良い声が。

「こんにちは、お兄さん。また会ったね」

 こちらからは死角になっているが、そこには確実に、あの子がいるとわかる。
 ちょっと、何するんですか、なんて降谷零が非難するようなものも聞こえて、直後、視界にあの小さな体が飛び込んできた。追いかけてきて叱る降谷零をものともしない。

「お兄さんもいたんだ」

 その子は――コナン君は、たしかに俺の目を見てそう言った。にこ、と笑って。
 ちらりと見たが、シンイチは先程と同じところに立っている。ベッドのすぐそば、手を伸ばせば届くほどのところ。ゴキゲンナナメそうな表情で。いくらか前にもそうやっていた。今度は小さく舌打ちまでしている。
 しかし、なんだ、やっぱり別なのか。
 夢とはいえそんなに急激に成長するわけないということか。シンイチがコナン君であるというのは彼のジョークだったらしい。だいぶ真に受けてしまっていた。もっと早くネタばらししてほしいもんである。

「どうもすみません、好奇心旺盛な子で」

 聞き覚えのある、なんだか胸がもやりとする声も、どこからかした。コナン君、降谷零のあとにゆったりと歩いてきたのは、メガネをかけた、茶髪で柔和な顔つきの男で――おきやすばるだと名乗った。

「まるきり悪質な取り立て屋だ、躾が良くないんじゃないのかい。あるいはまだしきっていないか……」
「オレだったらこんなことしてません」
「どうかな」

 降谷零が戻ってきて、シンイチとひそひそする。若干余裕が無いように感じられる。

「ねえお兄さんたち、もしかして、何か困りごとがあるんじゃないかな」

 無邪気で可愛らしく相手の様子などお構いなしな調子は懐かしくもあるほどだ。
 降谷零は違うと言ったし、俺の勘違いかと思っていたが、やはり紛れもなくコナン君だった。
 青のジャケットがずいぶん鮮やかに感じられる。

「裸足なのも、寒いのももちろん、もし誰かに“追いかけられたり”、“姿を見られたり”したくないなら、車やタクシーで移動したほうがいいし、お家に帰って着替えたほうが良いよね。それなのにほとんど徒歩で、あの近くで靴や上着を買っていて――お兄さんたち目立つから、お店の人みんな覚えてたよ――しかもこうして杯戸近くの、なんでもないホテルに泊まってる。そうするしか他になかったからなんじゃない?」

 えらく久々じゃなかろうか。いつからだかもうわからなくなるくらい、さっぱり会っていなかった。根っからリア充だし育ち盛りだし何かと忙しい子だったし、俺に構っていられるような時間はなかったんだろう。そもそもあんなに気にかけてくれていたことがおかしかったんだ。

「そのお兄さんの居場所が見つかったって教えた? 探してる、“届け”を出した人に。それと他のおまわりさんに。ボク、詳しくは知らないんだけど、もしお兄さんが“正しく手帳を使った”なら、そういう場合はちゃんとしたところで色々手続きとかあるんじゃない? どうしてここでそのお兄さんと一緒にいるの?」

 そうだ、病院で、はじめのころは頻繁に来てくれていた気がする。興味が失せたか、いつの日かを境にぱたりと来なくなったのだ。子供の世界はめまぐるしい、しばらく見もしていない、使えもしない男なんて忘れてしまったか。当たり前か。もう何の役にも立たない男だ、この子の人生に何の益も生まない、覚えておく意味もない。
 まるで他人事のように言い、知らない人間のように俺を見る。最早赤の他人か。

「それに――新一兄ちゃんと一緒に」

 そういえばコナン君はシンイチが好きだったな。それでここまで来たのか?

「おかしいなあ、ボク、新一兄ちゃんと仲良しなんだけど、新一兄ちゃん、今は別のとこにいるって言ってたよ。もう帰ってきたの?」
「わりーかよ」
「いつ? どこに行ってたんだっけ? お姉ちゃんが連絡取れないって心配してたよ」
「疑わしいってんなら、今連絡してみろ。“新一兄ちゃん”に」

 しかしどうにも今のシンイチは虫の居所が悪いらしい。カリカリしたように、コナン君へつっけんどんな返事をしている。お姉ちゃんがどうだとか。コナン君に姉なんていたか? シンイチの方だろうか。全然記憶にない。
 憧れのお兄ちゃんに冷たく接されてショックだったのか、コナン君が少し言葉をつまらせる。お兄ちゃんでしょ、優しくしてやれよ。
 わずかにあいた間を縫うように、今度はおきやすばるが口を挟んできた。

「その彼、僕、どうにも見覚えがありまして……事件に巻き込まれた知人ではないかと。お話をさせて頂きたい」

 す、と、降谷零が、彼と俺の間に身を滑らせてくる。シンイチも。二人の体でコナン君も見えなくなった。

「人違いでしょう。この人シャイで対人恐怖症なんです。よしてもらえませんか」
「しかも具合が良くなくて。話ならオレたちが代わりにしますから、外へ――」
「厄介な事件でして、“悪い人”がその“知人”を騙っていたら僕も困るんです。警察の方としても、一般市民や被害者だと思って保護した人間が本当は犯罪者だったとなると問題なのでは? 組織の沽券に関わるでしょう?」
「いいえ、彼の身元はしっかりと確認出来てますから」
「本当に? ご存知かもしれませんが、近頃は“巧妙な”なりすましもあるんですよ。あなたがたが目を離した隙にとんでもないことをするかもしれません」
「ありえません」
「関わりのある僕達にも教えていただきたいです、その根拠を――」

 なにやら揉めているようだ。誰も彼もラッパー対決よろしくぺらぺらと喋るもんでついていけずぼんやり流し聞いていたら、回り込んだらしいコナン君がちょろりと顔を見せた。ベッドに両手を付き、俺の方へ身を乗り出してくる。妙に生えたつむじの一房が今日もぴょこんと立っていて微笑ましい。
 思わず手を伸ばそうとして――しかしその直後。

「ちょっとだけでいいから――ねえ、“十夜”さん」

 その一言が、なぜかやたらと重く鋭く耳を貫いた。

 俺には関係のない、意味のないはずの単語。それを、“この子”が俺へ向けて、俺だと認識して発したということが――たったそれだけの事実が弾道を歪ませ、耳をすり抜けず、がんがんとピンボールさながら派手に跳弾を繰り返しあたまを占める。
 他でもないそれで俺を。それ以外になく俺を。よりによって、このこが。

「どうしてお兄さん、自分のことなのに何も言わないの? 喋りたくない? それとも、口を開かないようにって、“誰か”に言われてる?」

 こてりと首をかしげた拍子に青い瞳がきらめいて網膜を焼いた。目を瞑らずにいられない。

「“十夜”さん」

 もういちげき。えぐりはじけさせ、あたまをひどくゆさぶる。


「――呼ぶな!!」





 降谷さんの怒鳴り声に、“コナン”も“沖矢昴”もぎょっとして彼を見た。
 オレも少し驚いてしまったけど、気を取り直して“コナン”の襟首を掴んで引っ張り上げる。そうして、離れて立っていた“沖矢昴”のそばへと放った。小五郎のおっちゃんの気持ちがちょっと分かりそうだ。

「……やめてくれ」

 静かにそう言った降谷さんが、ベッドの上で頭を抑え蹲る“十夜さん”――赤井さんを隠すよう、彼からその周囲を遮断するように、ふわりとコンフォーターをかけた。
 十夜という名について、コナンだったころは確たる証拠もなくその人を指すものだとは思っていなかったし、新一となってから軽く話を聞いたもののオレが呼んでも反応はなく、降谷さんだってそう呼んでいるところは見たことがなかったから、きっと“ライ”や“諸星大”みたいな位置付けなのだろうと考えていた。“コナン”のいたあの時は他に呼べる名がなかっただけだろうと。
 こんな風になるようなものだなんて、欠片も思っていなかった。まさか、もっと前にオレがそう呼んでいたら、違ったというのか。
 ただでさえ、オレを捉えてくれることのすくない緑の瞳が“コナン”をじっと見つめ続けるのが、歯がゆくて、悔しくてたまらなかったのに。

 降谷さんは深くため息をついて“沖矢昴”へ視線を飛ばした。

「仕方ない――、あなたは知っているでしょうけどね、確かに“この時点での僕”は未だバーボンです。でも、“ここにいる僕”はそうではありません。公安の、いいえ、ただの“降谷零”として存在しているんです。悪事に加担しようとも、あなたたちに危害を加えようとも思っていない」
「知ってたの? 赤――昴さん」
「いや、公安の人間ではないかとは思っていたが……あの、“降谷さん”? どうしたんです? どうして急にそんなことを?」
「しらばっくれなくても結構。伝えていなかったんですね。“バーボン”としてはありがたいところもありますが、飼い主との意思疎通ぐらいしっかりしてくださいよ」
「きみは何を」
「……あなたがそんな表情をしていると、懐かしさよりむしろ新鮮さを感じますね」

 “コナン”もそうだが、“沖矢昴”も、眉を顰め、怪訝な表情をありありと見せている。
 その人にしてはずいぶんわかりやすい。そういえばさっき言い募っていたときだって自然に口角が上がっていたし、どこか状況を楽しむような気配すら滲ませていた。

「僕も“降谷零”だし、彼も正真正銘“工藤新一”です。“ここ”には、もう一人ずついるだけで」

 ――何かがおかしい。

「そして彼は――“赤井秀一”であり、“近衛十夜”なんですよ。信じがたいでしょうが」

 二つの顔は困惑しきっていた。
 きっと、オレたちが思っていたこととは違う意味で。

 オレたちは一体、どこに迷い込んだというのか。



リクエスト - 惑いの丁字続き / こやぎさま
ありがとうございます



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