惑いの丁字

 ふと気がつけば、街中に佇んでいた。
 まあ、夢の中だからそんなこともあるか。





 その姿を見つけたのは偶然だった。
 ジョディ先生からの話を聞いていたから余計目についたということもあるだろう。それに、行き交う人たちが、歩道の真ん中に立つそれを避けるようにしていたのだ。

 ――顔に火傷跡のある、赤井さんの顔をした男を。

 しかし、ジョディ先生が言うように百貨店限定の帽子を被っていたりはしておらず、むしろ必要なものすら身に着けていない始末だった。雪がちらちらと舞う中、まるで春先の部屋着のような、薄いシャツとボトムのみの姿で、しかも裸足。
 男は数度人にぶつかられて僅かにたたらを踏み、道の端、ビルとビルの間に移動すると、そのままぼんやりとどこにも焦点が合わないような目つきで立ち竦む。
 姿をみとめて慌てて近くのカフェに入り様子を伺っていたが、男はそれからずっと、フライドチキンのおじさんや薬局のカエルなどのマスコット像よろしく、ただただ直立不動でいつづけた。
 子どもたちやジョディ先生の話を聞いて、“火傷の男”は変装が可能である組織の人間が赤井さんの格好をしてFBIに探りを入れているものと思っていたのだが、その行為には何の意味があるのかさっぱりわからない。
 ズーム機能を使用した眼鏡越し、男は寒さに震えるようなことも、身を擦り和らげるようなことも、顔を顰めることもしなかった。しかし、唇はじわじわ紫色へと変わっていく。さすがに呼吸はしているらしく、ちいさく白い息が見えた。
 どれだけ時間が経ったか、男の頭に雪が積もり始めたころ、不意に男に近寄る影が見えた。
 揺れる短い金髪――ジョディ先生。
 先生はジェイムズさんと違って赤井さんのことについて知らない。銀行に現れ、百貨店に現れた火傷の男を、真実赤井さんであると信じ切っている。
 まずい、と思って会計をして、カフェを飛び出た。

「シュウ、なんて格好をしてるの……!」

 声が聴こえる距離までたどり着いたときには、既にジョディ先生が男の腕を掴んでいるところだった。男は先生を見遣りもせず、一言も発さない。喋るつもりがないのか――あるいは、“理由があって”喋れないのか。

「とにかくこのままじゃ凍え死んじゃうわ。拠点へ行きましょう」

 ジョディ先生が、自分の身につけていたマフラーとコートを男にかける。それから男の足元を見て小さく悲鳴をあげた。

「あんた、靴は!?」

 だめだ、先生、そいつは赤井さんじゃない――。
 止めたかったが、そう言ってしまうと、同時に男にも聞かれてしまう。まるきり赤井さんそっくりの造形をしたその男をなぜ本人ではないと思うのか、ジョディ先生は問い詰めてくるはずだ。事情を知らないジョディ先生との会話は配慮など期待できず、男に――ひいては組織に筒抜けになる。

「シュウってば」

 先生に腕を引っ張られても、男は先程までと一切変わらぬ調子で固まったまま、体を動かす気配がなかった。そんな男の様子を記憶が無いせいだと思っているらしい先生が、「大丈夫よ」とか、「寒いでしょう、暖かいところがあるから、ついてきてちょうだい」とか、柔らかく子どもに言い聞かせるよう宥めすかす言葉を紡ぐ。
 もう行くしかない。
 覚悟を決めて、二人の傍に駆け寄った。いち早く気づいた先生がばっとこちらを向いて、驚いた表情を見せる。

「クールキッド?」
「大人しく先生の言うことを聞いたほうが良いと思うよ」

 本当ならば麻酔銃を突きつけてやりたいところだが、それでは先生に不審に思われてしまうから、スマートフォンをさり気なくポケットから出しながら、男を睨みつけた。

「……」

 男はかすかにぴくりと反応してオレの方へ首を回す。そして、今までのてこでも動かないといったさまが嘘だったかのように、ジョディ先生に引かれるがまま、足を踏み出した。多少は脅しが効いたのか。だがどうにも堪えたようでもない。
 心配だし気になるから付いて行っていいか、と聞けば、ジョディ先生は渋ることもなく頷いた。
 先生の先導でたどり着いた駐車場にあったのは、いつものベンツではない、左ハンドルの車。今日はジェイムズさんと一緒ではないらしい。
 先生がドアを開けても棒立ちしていたが、促すと男はすんなり乗り込んだ。とりあえずいざとなれば対処できるように、後部座席の、男の隣に乗った。先生が手早く操作を行い、エンジンの回転に体を震わせた車が発進する。

「ねえ、どうしてあんなところにいたの?」
「……」
「今まで何してたの?」
「……」
「どこにいたの? 今日はどこから来た?」
「……」

 声をかければこちらを向いたが、男はただオレの顔をぼんやりと眺めて、口は引き結んだまま一ミリも開かない。

「やっぱり口が利けなくなってるのね。記憶も――。一体どこで何をしていたのかしら……」

 ミラー越しに、心配そうな視線が飛んでくる。男はそれすら気にもとめなかった。


 FBIの拠点の一つであるマンションに辿りついて、男が部屋に入り姿を見せると、その場にいたFBIの面々はみな目を丸くして、それから大いに喜びをあらわした。生きていたのか! と。
 ジェイムズさんは別の意味で驚いたように、どういうことだと問うようにオレを見てくる。そんなのオレが知りて―よ。
 道中せめて赤井さんにメールなりなんなりしておきたかったが、男がオレから目を離さず叶わなかったのだ。

「なんだ、こりゃ!」
「大丈夫か、シューイチ!?」
「ずいぶんじゃないか!」

 ハグをした拍子に、袖を通していなかった先生のコートが落ちたらしい。捜査官たちが、男の手に火傷を見つけて袖をまくり、更に裾までめくって目をむく。どこか青白い肌にあったのは、いくつもの傷跡や火傷跡。凝ってるな、と舌を巻きかけて、いくら触られようと歪みそうもないつくりに首を傾げる。
 近寄って、ボクもちょっとごめん、なんて言って手を伸ばしたところ、寒空の下にずっといたからかまだ冷たくはあれど、感触はほとんど生身の人間そのものだった。
 しゃがんで、との言葉に、男は殊の外素直に従う。
 火傷で色の違う頬をつねれば、確かに弾力と温かみのある肉がつままれた分だけ動いて、少し力を強くしても剥がれやしない。

 ――本物だ。

「な……」
「クールキッド、何してるの!?」

 ジョディ先生がオレの手首を取り上げる。
 いきなりそんなことをやられたにも関わらず、男は相変わらずの無表情と無反応でオレを瞳に映していた。
 よくよく見れば左手首には何かで切りつけたような深い傷跡がある。右手だって全然動かさないから今まで気にとまらなかったが、その指は軽く曲がった状態でぶらりと垂れ下がっていて――ぞわ、と何かが背筋をのぼっていく。
 こいつは、一体――、
 
 がちゃ、と。

 掴みかけた恐ろしい疑念を横から掻っ攫うよう、無遠慮にドアが開けられた音がした。

「失礼」

 響いたのは聞いたこともない男の声だ。
 ノブを握っていたのは褐色の肌に金髪の、スーツを纏った男と――その後ろに、カジュアルな服装の若い男。バカな。
 金髪の男はざっと室内を見回すと、火傷の男に視線をとめた。

「やはりここだったか」

 顔立ちは日本人だ。FBIにこんな人間がいたという事も知らないし、捜査官達は明らかに仲間に対するものではない態度で、男を警戒している。

「なんだね、君は」

 ぴり、としたジェイムズさんの誰何に、スーツの男がわざとらしいほどのとぼけた声を返す。

「ああ、突然申し訳ありません。実は所在のわからなくなった――いわゆる迷子ですね、そういう届けがあって、そこの彼を探していたんです。この優秀な探偵とともに。ここへ入るのにも、ちゃんと管理人には許可を得ていますよ」
「そんなはずは……」

 捜査官の幾人かが、でまかせだ、という。彼らにちらりと目線をくれて、しかし歯牙にもかけないといった風に、金髪の男が火傷の男へ声を飛ばす。

「まったく、“知らない人”に付いていってはだめでしょう」

 その台詞にムッとした先生が、「あのね、彼は私たちの――」そう言いかけるのを、金髪の男は作りの良い顔に余裕のある笑みを湛え遮った。

「あなたがたが“どういう団体か”は知りませんけど、お話があればとっくりと聞きますよ。霞が関でね」

 自然な手つきで掲げられたのは――警察手帳だ。フェイクじゃない。
 捜査官たちの表情が一気に青ざめる。ここにいるFBIの面子は捜査協力の申し出をせずに、つまり捜査権がないまま活動している。それなりに派手に。手帳の持ち主が真実金髪の男だというのであれば、身分を明かすのには一番まずい相手だ。
 それを知ってか知らずか、男は、「もしかしたら、組織ぐるみの拐取であったという可能性もありますかね」と冷ややかに追撃を加えてくる。
 そして、押し黙った捜査官たちをよそに、さっと手帳を懐に仕舞い、打って変わって柔らかな声を出す。

「――十夜、こっちにきなさい」

 その呼びかけで、火傷の男は立ち上がり、庇うようにしていたジョディ先生の腕をするりとすり抜けた。
 金髪の男がジャケットを脱いで、そばに寄ってきた男へかけてやり、先生のマフラーを外して投げ返し、男の肩を抱く。

「それでは」
「待って、シュウ――」

 火傷の男は追いすがるような先生の言葉に欠片も反応しない。そもそも耳に入っていないのではと思うほどだ。
 ただ、ちらりとオレを見た。
 金髪の男がその様子にぎゅっと眉を寄せ、火傷跡のある頬に手を当てて男の顔を動かし、視線を逸らさせる。低く潜めて囁く。“彼は違います”、と。――何が違うって?
 問いかける間もなく、男たちは用は済んだとばかりに――事実そうなのだろう、さっさと去っていった。


「どういうこと!?」
「赤井さんが、日本警察に――?」
「記憶を失って保護されたのか」
「なんだ、トーヤって!?」
「まさか洗脳されてるんじゃ――」

 感情的な推論がわあわあと飛び交う。だがジョディ先生たち以上に混乱しているのはオレだ。
 あの金髪の男と一緒にいたのは、火傷の男がオレに目を向けた時歯がゆそうに顔を歪めたのは――たしかに、工藤新一だったのだから。



リクエスト - Cageの緋色組が原作世界にトリップしてしまう / リイトさま
ありがとうございます



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