B-8

 女に銃口を向けるまで待ったのは、おそらくその男が防弾ジャケットを着ていると知るからで、手足を撃った程度では怯まないだろう男を行動不能にするのには、そうして腕をあげたとき晒される脇の下を狙うべきだと判断したからだろう。それは正解だった。
 銀髪の男の体が崩れ落ち、身に受けたことでその狙いに気づいたらしい男の警告は一拍間に合わず、反射的に銃を取り出したサングラスの男も同様の攻撃を受け倒れた。
 よろけながらも発砲音と撃たれた部位から敵の位置を探り当て弾丸を放った銀髪の男を、立ち上がり駆け寄ったサングラスの男が運河に突き落とす。直後、ぞろぞろと幾人もの男たちがその場所に現れ、サングラスの男を囲み捕らえ引きずっていく。
 僕の目が捉えたのはそれだけのことで、液晶越しによるもの。あっという間だった。

 そばにいた男たちが安堵の息をつき、空気を緩ませる。画面の向こうにいた彼女、リースリング――レオン・ブッフホルツの仲間であるBNDと、協力を承諾したBKAに所属する者たちだ。現場に現れた男たちを取り仕切る立場の者たちでもある。互いに労いを交わし、狙撃者を褒め、僕の肩を叩く。
 その最中に僕のスマートフォンが着信音を奏でた。耳に当てて応じれば、その向こうから、あの引き金を引いた男の声。

『すまない、ジンを取り逃がした』
「いえ、ウォッカは確保できましたし――あの怪我ではそう動き回れないでしょう。捜索を出します。あなたは戻ってきてください」
『了解』

 どうやら最後のあがきは成果をあげなかったようだ。
 既にロンドンでコルン、トロントでキャンティを捕らえたとの報告もあっている。概ね成功と言っていい。

 平静な声にホッとしたのも束の間、赤井は顔を血で濡らして帰ってきた。
 和やかな空気が一転し、男たちがどよめく。
 ――そうだった、こいつはそうなのだ。声で分かるはずもなかった。


「やはりあの男は一筋縄ではいかないな」

 手当を施されながら、呑気ささえ感じられるほど淡々と、赤井は何でもないかのようにそう零す。
 その耳が一部銃弾により吹き飛ばされている。頬にも一筋抉れるような傷があった。だらだらと流れる血は耳孔に溜まり、あるいは首を伝っている。黒いシャツでなければ花が咲いて見えたろう。スコッチと似た状況に、否が応でも心臓が煩くなった。
 食らってしまったのは、多分現場にも向かえるよう比較的近距離で撃ったせいだ。僅かにでもずれれば鉛玉は頭にぶつかっていただろうに、その表情は少しもそんなことを考えているようには見えない。

「彼を連れて行くべきだったんです! 僕なんかにつけずに!」
「結果は変わらないだろう。奴の反応は素晴らしく早かった」
「それでも、こんな――」
「支障のない部位なのが幸いか」
「ないわけありますか!」
「ある」

 動き回るのに――銃を握り撃つのに支障がない、と言いたいんだろう。狙撃は全身を使うし、四肢の先まで制御を行き届かせなければならない。微かな挙動が弾着点を大きく変える。彼は痛みで身じろいだりしないから、確かにその点には影響がない。
 それにしても、こんなところは本当に変わらないのかと腹が立ってきてしまう。

「なんてことだ、赤井さん――」

 強面を泣き出しそうなほど歪め、大きな体を縮こまらせて介抱するよう赤井のそばにいるのは、彼のチームメンバーで部下でもあるらしい、アンドレ・キャメル捜査官だ。

 赤井はこのベルリンへ来る面子に自分と僕の名を上げ、僕に指揮へ回るように言った。
 だが何を思ったか、室内にいるだけの僕に防具を身に着けるよう促したり、うろつかないようにと釘を刺したり、キャメル捜査官を護衛につけてきたりしたのだ。一方自分は狙撃場所を見繕い待機し攻撃をし、そういった全ての行動を一人で終わらせた。
 やはりどう考えたって配分が違う。結果がこれだ。聞き入れるんじゃなかった。

「僕も行っていればよかった」
「いいや、後方にいろ。その頭を潰されては困る」
「あなただって変わらない」

 赤井がわずかに目を見開き、何を言っているんだとでもいうような顔をする。こっちがしたい。

「価値に差がある」
「なぜそう思うんです」
「……わからないからだ。きみが一番わからない。だから変に壊されてはかなわない」
「……あなたの言いたい事が理解できません」
「してくれなくていい。ただその頭蓋を大事にしていてくれ」

 そう言って、困惑する僕の頭に手を伸ばし、その指を髪の毛の間に差し込んでくる。一度梳くようにして、さっと離した。

「意外と柔らかいな」
「…………そうでしょう」

 それを感じられたというなら、せめて覚えていてほしい。欲を言えば、同じものが自分にもあることを、知ってほしいものだけれど。
 わしゃわしゃと仕返すように混ぜっ返しても、彼は何も言わずされるがままだった。


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