B-7

 窓もなく狭い部屋の中で、鈍い音は殊の外響いた。

「う゛あッ!」

 やりすぎなのでは、という言葉が口をついて出ようとして、もう一人の自分が、このくらいはするべきだと止めた。それが一体“どの”自分だったのかは分からない。やや過激な思考はバーボンだったろうか。
 もしかしたら彼の頭の中でも、そういうことが起きているのかもしれなかった。

「ぐ、……Shit! ベルモット、まさかあなたが裏切るなんて……」
「私はただの、哀れな女よ。裏切りなんて大層なこと出来やしないわ」
「じゃあこれは何なの……!」

 ノックリストを奪いに警察庁へ忍び込む“キュラソー”について“おしゃべり”したのはベルモットだ。“バーボン”に対してのものだったから、まあ捉えようによっては未必の故意程度にはなるかもしれない。

「無駄言はいらない」

 ごき、とまた痛々しい音がして、女が悲鳴をあげた。
 迎え撃つ布陣を敷いていたというのに逃してしまったこの女を、追いかけて一戦交え引き倒したのは彼だ。僕たちのやり方で捕らえられるのなら文句はないと言い、現場には保険のため待機していたに過ぎないが、その反応は早く鮮やかで、こうなることを予測していたようにも思える。
 信用されていなかったのかと悔しくもあるが、事実力及ばずむざむざリストを奪われ、あまつさえ幾人もの捜査官に被害を出した手前何も言えない。
 投げ渡されたキュラソーのスマートフォンには、酒の名が綴られ、あとは送信ボタンを押すのみで五人の命火が消えただろうメールが表示されていた。

「後ろの二つを消して送れ」
「……大丈夫なんですよね?」
「“哀れな女”が泣き真似をやめなければな」
「失礼ね、女優の涙は本物なのよ」

 煩わしいとばかりに鋭い視線を飛ばされ、“銀髪の”ベルモットが肩を竦める。

「安心してちょうだいキュラソー。ラムが門限破りのあなたを心配しないようにしてあげるから」
「馬鹿ね、貴女がいなければすぐ思い至るはず――」
「いなければね」

 ベルモットは床に転がる一足と同じヒールの音をこつこつと響かせて入り口へ向かい、扉を開けてその先の人物を招き入れた。
 組み伏せられたまま首だけを動かし、入室者を見とめたキュラソーがオッドアイを揺らす。それから、

「どういうこと……」
「弟弟子とでも言うのかしらね。それとも兄弟子なのかしら」
「さあ、知らないわ」

 響いた“己の声”と“ベルモットの声”に、表情を凍りつかせた。
 新たにやってきた“ベルモット”は部屋を見回して目に留まったキュラソーの姿に驚愕し、それを抑えつける男の口元に滲んだ血や乱れ汚れた衣服に眉根を寄せる。ほんの一瞬でそれを済ませ、また冷酷な女らしい顔つきへとさっと戻すのだから大したものである。

 ――まさか、それほど危険な使い方をするとは思わなかった。
 だが、頼みを承諾するどころか、自ら進んで名乗りをあげたのは紛れもない“彼”だ。とても単なる“お友達”とは言えまい。そうするだけの何があるというのか。
 彼も諌めてやれば良いものを、むしろ焚き付けてこんなことをさせている。選んだ手段の有効性を示せなかったからには僕には非難出来ないことだ。

「こんなことをして……容易く眠れはしないわよ」
「そうね。でも――無終の栄耀は寒々しいだけだわ。凍えるのに飽いてしまったの。けれどかみさまもエンジェルもいない。銀の弾などありはしない。だったら、醜く愚かなヒトの手で、惨めに幕引く他ないでしょ?」

 “キュラソー”の顔をした女は淡く笑う。なにより私、意外と義理堅いの、と。
 なぜだか、今までで一番、美しく感じる笑みだった。


 口火を切ってしまったことを告げる小さな液晶を確認すると、今度は僕の端末で所定の操作を行う。その間に“女性”二人にはさっそく舞台へと向かってもらった。
 間もなくして、女の身柄を移すため部下たちがぞろぞろとやってくる。泡を食わされたせいか女に向ける男たちの目つきは厳しい。
 彼らに指示を出し、僕の側へ素早く寄ったのは風見だ。

「……降谷さん。本当に?」
「ああ。任せたぞ」
「……」

 視線の先を辿り、もの言いたげにする優秀な部下を制した。

「警戒は怠らないでくださいよ」
「誰に言ってるんだ。必要分はやるさ」

 耳元で潜められていたその声も、聞こえているのかもしれない。しかし彼は咎めることも反応を見せることもしなかった。女がしっかりと拘束されたことを確認するとさっと離れ、相変わらず読めない表情を僕に向けてくる。
 そうして、恫喝していたときとさして変わらぬ声色で、降谷くん、飯を食いたい、と言った。
 何を思ってか、近頃そう強請ることが度々ある。食事を楽しんでいる風でも、重要な話をするわけでもないのにだ。風見の棘を含んだ視線を気にも留めないで、僕の返事を待つ――その頭を、魚や鶏の腹のように切り開いてしまえば、彼にそうさせるモノの正体を掴めるだろうか。
 赤井は、野菜がいい、と付け加えた。


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