B-5

 乗り込んできた女は、何の用なの、とやや不機嫌そうに問うてきた。
 それに答えず発車させれば鋭い視線を投げつけられる。
 さすが組織の女といったところか、これがただの男であればその露出された肌への欲も忘れ震え上がることだろう。だが何ということもない。

「協力してくれませんか、“僕”に」
「あら、それは“バーボン”、あなたに?」
「ええ、ぜひともお願いします」

 ここにはそれすら確実に黙らせ伏せさせるだろう人間がいるのだ。

「戸棚の中の骸骨で――その美しさを綻ばせたくなければね」

 女が懐の鉄塊を表しきる前に、同様のものが静かに金糸の流れる米神へ当てられた。
 ミラー越しに、熱を持たぬグリーンアイが女を貫くさまが見える。女は珍しく驚愕しきった表情をした。鮮やかなルージュが歪む。
 そのセーフティを外したのが己だと、僅かでも思い知り後悔したのだろうか。――そんなこと、僕も彼も求めていやしないけれど。

 既に車は簡単には停まれぬ高速に入っている。女はゆっくりと手を上げ、そして、その引き金を引けない代わりか音色にたっぷりの厭味ったらしさを乗せた。

「……餌付けでもしたのかしら?」
「飼い主は僕じゃありませんよ」
「野良じゃあないってことね」

 ちり、と微かに銃口が揺れて。
 それから、さほど声量のないはずの一言が車内を支配する。

「Hey, hag」

 皮肉げに歪ませた顔も、目にするのは初めてだ。しかし女の反応から言って、それ自体は以前にもあったもののようだ。

「一緒に夢を見てやるよ。それとも目覚めのキスをお望みか?」
「キスがほしいのはあなたでしょ」
「いいや、もういらない」
「柩が御気に召して?」
「ああ、もはや土中の塵だがな。一人酒は楽しかったか? さぞかし美味いもんだったろう――“約束破り”の呪詛は重いぞ」
「……嘘つきさんが言うと違うわね」
「真実味があるだろう」
「とっても。おかしなことに」

 酒。

  “彼のための酒も、取っておく必要はなくなったわね”

 あの時この女が言った言葉は、ただの毒などではなかったのだ。気づいてみればいつの間にか、僕の体にも回ってしまっていた。いまでは解く術はなく、もう排出するほかない。それだけの余力がなければ屈するしか。

「……死んだと思っていたのだけれどね?」
「無知が免罪符になりえないと言ったのはお前だ」

 女は僕と赤井の様子を隙なく観察しながらも口角をあげる。

「それで、私に何をしてほしいのかしら? ジンの脳みそをフライにでもして出してあげたらいい? それともソテー?」

 要ると返せば用意するとでもいうのか。

「妙なものが感染りそうですね」
「ありえなくもないわ」

 心中穏やかではないだろうに、演じることに長けた者らしく、楽しげだとすら言えそうな風を装うのだから感服する。

「そういうのは結構です。あなたは今まで通り過ごしてくれればいい。ただ、その合間に、僕と“おしゃべり”をしてくだされば」
「女の時間は短くったって高いわよ」
「――ふざけた断りだな」
「――」

 刺し穿つような冷え切った声に一瞬女の呼吸が止まった。恐らく、その僅かな指の動きを認めて。
 だが女の瞳はいつか見たものに似ていた。

「……分かったわ。これ以上“約束”を破るのも本意じゃないし――それじゃあ、仲良くしましょう。哀れな者どうしね」


 それから彼女は黙って“プレゼント”を受け取り、乗り込んできた場所とさほど変わらない道路で降りていった。
 金糸の隙間、その耳で煌めいたのは、GPSを内蔵する改造のなされた、“少女”が欲しがっていたというブランド物のピアス。あまり趣味の悪いものでは違和感があるだろうとの考えらしかったが、それこそ質の悪い選び方に思えた。
 施した細工は、軟骨を裂く痛みにさえ耐えれば外せてしまうものだが、赤井は構わないと言った。そうなればやることが少し変わるだけだと。

 振る舞い、表情、声、喋り方、その内容と思考、彼が見せるものは慣れない、知らないものばかりで、もしや本当に知らない人間なのではないかと錯覚するほど。
 いくら言葉を交わしても、こうして行動を共にしたって、ちっとも理解できた気がしない。
 お前は一体誰なんだ。
 その言葉はいつも喉まで出かかって、しかし戸惑いの中に消えていく。あの暗い部屋で胸を抑えた彼の姿が脳裏に過って僕の足を縫い止め、あるいは後ろ髪を引き躊躇させるのだった。


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