06

 発進に合わせて、体がシートにぐっと押し付けられるような感じがする。
 エンジンの震えに、車独特の匂い。
 まるで本当に現実であるかのような錯覚を引き起こされるということにあらためて感動するし、それらが頭に取り付けた機器だけでなされているのが未だに少し信じられない。
 擬似的な信号を送るんだかなんだか、どういう仕組みで実現された技術なのかというのは、ネットや説明書で見てはいるのだけれども、生体にも機械にも疎いものでよくわかっていないのだ。
 資料を読み漁ってわかったのは自分の頭の残念さだけである。異世界トリップしたら内政チートどころかおまんまにありつけずのたれ死ぬタイプ。

 そのリアルっぷりをより明快に理解し味わってもらおうという狙いがあってか、バーボンさんの運転はなかなかに荒い。
 誂えたかのようにぐねぐねとした暗い山道を、急にDなプロジェクトでも始まったのかってな感じにアクセル全開ベタ踏みだろうスピードでバンバンドリフトかましながら攻めていくのだ。
 そういえば何か見覚えがあると思ったらバーボンさんの車、弟の方の黄色いやつと種類が一緒なんじゃなかろうか。このゲームおじさんが作ったのかな……。
 アトラクションみたいでたっのし〜! なんてはしゃいでいたのもつかの間、しばらくするとあまりの激しさにじわじわと気持ち悪くなってきた。たぶん俗に言う3D酔い。今までがかなり静かなパートだった分、余計に落差が大きく効いている面もありそうだ。
 気を紛らわそうと探索と作り込みの確認がてらえいっとグローブボックスを開けたら、空か申し訳程度に掃除用具や証書やらが入っている程度だろうという予想のナナメ上を行く、えらいこっちゃなモノが入っていた。モノというかブツというか。
 薄暗い車内の、少しの光を反射させ、鈍く光る銀色の――、

「――こら!!」

 かなりマジなトーンで叱られてしまった。
 派手な運転をしながらも器用に体を傾けて伸ばし、バーボンさんは私が触れるのを阻止するようにそれ≠横からさっと攫っていき、ドアポケットに移動させてしまう。

「いい子だから、じっとしてて」

 そこから毎度おなじみのお説教が始まるかと思いきや、バーボンさんはそれどころじゃないと言ったふうにサイドやバックのミラーをチラチラと見ては、焦れたようにギアを切り替えハンドルを切っている。

 言われた通り若干の吐き気と戦いつつシートベルトを握ってGになされるがまま体をあっちこっちに倒していると、ふいに背後から変な音が聞こえた。
 だん、だん、と何か硬いもの同士がぶつかったような。
 なんだなんだと振り向こうとしたら、その頭をぐっとバーボンさんが抑え込んできた。

「頭を下げろ! 足元に潜っ――」

 言葉の途中で、再度また、だん、という音がして、バーボンさんは急にドッとハンドルに抱きつくような姿勢を取った。クラクションが鳴り、アクセルを踏んでいた足が浮いたのかわずかに減速する。
 そして、舵取りを放棄された車は、次のカーブを曲がりきれず真っ直ぐに進んでガードレールを突き抜け、さらに削げながらも余る勢いのまま、その先にあった木に体当たりをして停止した。
 大きな衝撃と同時に、視界が激しく揺れ、白いものでいっぱいになる。
 エアバッグだ。作動したところなんてはじめて見た。一種の予行演習にもなりそうだけども、できれば現実では一生見ずにいたいもんである。しかしこういうものを仕込んでいるあたり車に対する拘りが感じられる。衝撃のわりにぺちゃんこになっていないのは車への愛だろうか。
 フロントの方はつぶし器にかけられた缶みたいにべっしょりとしているが、座席まで及んでおらず死んでないあたりやっぱりすごくゲーム感。意図的に再現度を落としているからであるとはいえ、あまり痛みもないのでここだけ念で覆いでもしたのかと聞きたくなる。愛しの車かもしれないけれどちょっと頑丈すぎじゃないでしょーか。そのうち修正パッチ来ますか?
 ともあれ道の脇に飛び出たからか、幸いにして後続車が突っ込んでくるということもなかった。先程背後にいた車はうまく回避出来たようだ。これから通る車の邪魔にもならなそうで一安心。

「ばーぼん」

 気絶しているのか、呼びかけて揺すってみてもバーボンさんはぴくりとも動かない。
 どうやら後続車は一度回避して戻ってきて、元の道の路肩あたりに停車したらしい。そのヘッドライトの煌々とした光によって逆に影が濃くなり、車内がどうなっているのかいまいち見えづらくなっている。なにやら手のひらが湿っている気がする。手汗か、感触だけだとゲーム内のものなんだかリアルのものなんだか判断がつかない。
 車の構造なんてさっぱり知らないしそういう動作も組み込まれているのかわからないが、このままだと爆発炎上したりするかもしれないし、このままここにいてストーリーがちゃんと進行するかも分からない。
 外に出てみたいが、エアバッグだけではなく何かが体を挟むようにしていて、うまく動くことも出来ない。まいった。

 うーんどうしたものかともぞもぞしていたら、がん、がん、という音の後、ぎちりと苦しそうな音を立てながら助手席のドアが開いた。
 逆光だからかうまく顔が見えないけれど、体格からして男性だ。後続車のドライバーだろう。

「かわいそうに」

 先程までのバーボンさんが醸す剣呑な雰囲気やミラーを気にする素振りはあたかも追手から逃れているかのようにも見えて、実はちょっと、もしやそうなのではと不安な気持ちもあったりしたのだ。
 優しい人でよかった、と思った瞬間。

 ――額にごつりと何かが当たる感触と、どん、というひときわ大きな音がして。
 視界が真っ暗になった。



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