04

 ウエットティッシュを弄るのにも飽きて全部トイレに落とし、流して詰まらせたところでバーボンさんは戻ってきた。
 トイレにいた私を見て、バーボンさんはまさかこいつみたいな顔をした。すまんな。そのまさかです。
 どうもいろいろといじくり回したものは時間経過で元通りに戻ったりしないらしく、毎度毎度トイレが詰まるたびにバーボンさんがラバーカップを使ってせっせと詰まりを直しているのである。はじめは慌てたり手間取っていたりしていたものの、近頃でははいはいラバーカップラバーカップとさっと取り掛かりサクサクと解消するようになってきた。そのあとのお小言ももう言っても仕方ないだろうけどなみたいな色が強まってきた気がする。やけにリアルで細かい。大変そうだなとは思うがむしろそうして反応を引き出してパターンをコンプリートしたりNPCを困らせて遊ぶのもゲームの醍醐味って感じがするので諦めて欲しい。
 バーボンさんはため息をひとつついて、いつも食事をする時に座るあたりへと移動して私を手招いた。もう片手には先程とは違うトレイがある。
 トレイを床に置くと、バーボンさんは動かない私に痺れを切らしたか最初から手招きに応じるとは思っていなかったか、近付いてきて私の手を取ると洗面台へと引っ張っていき手を洗わせた。そうだね、トイレで遊んでた手だからね、そのままご飯というわけにはいきませんね。
 洗面台にはエアータオルが付いているのだが、これの感覚もリアルで暖かい風が気持ちいい。暇なとき遊ぶ仕掛けの一つである。
 しっかりそれで乾かしてからトレイの元へとまた連れて行かれた。相変わらずプラスチックの皿ではあれど、乗っているのはどちらかと言えばユートピア寄りのものだった。白い三角に挟まれてちらりと見える緑と桃色。

「これならどうです?」
「ばーぼん」
「僕が作りました。だから何も危ないことはありませんし、痛いことにもなりません」

 そういうイベントだったのか。
 床に置かれたトレイを挟んで、バーボンさんが促すよう、彼の真似をするよう向かいにぺたりと座る。
 バーボンさんは皿の上のそれをひとつ掴んで私の口元あたりに差し出してきた。

「これはサンドイッチと言います」

 やっぱり? 近くで見ればはっきり分かる、どこからどう見てもまごうことなきサンドイッチである。これひとつでずいぶんポリゴン数食ってるのではなかろうか、かなり美味しそうな見た目だ。

「手で掴んで食べていいものですよ。でもそのときには、ちゃんとさっきみたいに洗うこと。手に付いたバイ菌がサンドイッチにも付いて、一緒に食べちゃうことになりますからね」
「ばーぼん」
「そのまま齧って食べていいです。口を開けて。あーん」
「あー」

 この見た目で無味だったら嫌すぎるなという思いはサクッと裏切られた。裏切りにも悪い裏切りと良い裏切りがある。
 恥を捨てて素直な感想を述べると、はちゃめちゃにおいしい。
 それしか言葉が出てこない。おそらく今まで食べていたものとの対比も効いているに違いないとは思い至りながらも味蕾が歌いながら小躍りしそうにうまい。とかいうちょっとわけのわからない頭の悪そうな感想まで湧いて出てくる。ホントにちょっと小躍りしたくなって操作する手……もとい意識が暴れた。
 これが幾分昔のネトゲならば飛び跳ね踊るエモーションを連打してキャンセルも交わりつつ実に奇妙かつ人間離れした動きになっただろうが、そこはVRというかさすがこのゲームというか、気持ち連打しているようなつもりでもジャンプ途中に重力を無視して床に足を付けたり歩行の最中にキュンとはじめの地点にワープして戻るようなこともはなく、実際に人間が出来るであろう範囲での動きにしかならない。傍から見てせいぜい急に立ち上がってうろうろしだした程度だろう。

「ばーぼん!」

 わりと素で興奮して出した声は、いつもよりも抑揚がついていた気がする。
 バーボンさんは一体どういうリアクションとしてなのかぱちぱちと瞬いて、それから柔く笑んだ。

「おいしいですか?」

 そのセリフの直後、視界の端でチカチカと見慣れたエフェクトがきらめく。そこへ意識を向けて開いたウインドウのリスト中段、少し前までハイフンだっただろうところに、新しい四文字の言葉が入れ替わりに現れていた。

「おいしい=v
「――、そうですか」
「おいしい、ばーぼん、おいしい」

 ぴょんと、跳ねるのに成功した。ような気がする。視界が上下に揺れた。

「……それはよかったです。まだありますから、どうぞ」

 そう言って食べかけのサンドイッチを掲げるバーボンさんの近くにもはやスライディングの勢いで座り、ぱくりとまたかぶりつく。シャキッとしたレタスに絶妙なハムの塩みとソースのハーモニー、ふわふわのパン。美味しい。夢じゃなかった。
 あのディストピア飯は味覚方面の開発が追いつかなかったわけでも捨てたわけではなく、この美味しさをわからせるための落として上げる戦法だったのかもしれない。見事に策にハマってしまった。これ現実でも食べたい。

「おいしい」
「意味が分かってます?」
「ばーぼん、おいしい、いぬ、ばーぼん」
「……どうなんですかね」

 バーボンさんが苦笑した。違うんです、やたらばーぼんばーぼん言ってしまうのはなぜかそう意識してなくとも出やすいからで、たまに変な言葉が混じるのは言いたいものに該当する語句がまだリストになく代わりにポロポロ出ちゃってるからである。音声入力の逆バージョンみたいな感じであって、別にこのハム犬だとは思ってないし犬食べる文化はないです。


 ご飯を食べたのに加えうろうろぴょんぴょんしたからか、さりげなく視界端にある細く小さな水色のバーが減っていた。
 このゲージが減ると徐々に体の動きが鈍くなり、視界が狭まり、最終的には真っ暗になり何もできなくなってしまうのだ。そしてしばらくすると、またじわりと明るくなり、蓋を開けるような形で視界がひらけ、その時に時計を見ると、ブラックアウトする前から数時間経っている。まるで寝落ちのようなさまだ。
 特に説明がなかったのでプレイした中での憶測になるが、これは恐らく起きていられる時間の値というか、いわゆる睡眠までの行動ポイントゲージっぽいものなのじゃなかろーか。
 そして、どうもそこまでがワンストローク扱いなのか、セーブとログアウトできるのは今のところ、ベッドに横になって瞼を閉じたときとゲージがなくなったときの、視界がブラックアウトした状態のみである。
 ちょっぴりそこがやや古い仕様に感じて面倒だったりもするが、なにせベッドはいつも数メートル半径にあって好きなタイミングで横になれるし、自然にやっていても視界が開けてからブラックアウトまでそんなに長くはないのでさほど不便さはない。多少は面倒臭さがある方がゲームの面白みは増すとはいえ、流石に自由が効かず拘束時間が長いと社畜にはプレイしづらいというところは開発陣も理解しているのだろうか。
 ともあれ、ゲージも減ってそろそろリアルも良い時間だろう。サンドイッチを食べ終えたあと、バーボンさんにありがとうのセクハラタッチをしてベッドに横たわった。
 瞼を閉じようとしたところ、近くに寄ってきたバーボンさんが眉を下げながら言った。

「そういうときは、おやすみって言うんですよ」

 チカチカと、またひかり。

「おやすみ=v
「はい、おやすみなさい。また明日」

 これまでなかった演出だ。食事は美味しくなったし二語も覚えて新しいやりとりも増えた。今日はだいぶ進んだんじゃなかろうか。


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