03

 生命維持活動に必要な繰り返し動作はスキップされると言ったな、あれは嘘だ。
 いや一部嘘だ。睡眠と食事もやるという意識を持って行動することが必要で、特に食事はスキップ不可で始めから終わりまで全て自分の手で行わないといけない。
 はじめの頃はまだ良かったのだが、近頃それがはちゃめちゃに苦行である。
 ただ繰り返しの単純作業で面倒だとかそういうことじゃない。それもあるけれども何より、そうして出されるご飯が大変美味しくないのである。美味しくないというか味がしない。
 栄養補助食品みたいなブロックだったり、水分の多いおかゆのようなものだったり、スパムらしき何かの肉っぽい塊だったり、もはやもとが何なのか憶測を立てることすら不可能なレベルの緑や紫のドロドロだったり、それに幾つかの錠剤がつく。まるでディストピア飯である。ネタで出しているわけではなくてマジらしい。味はごく薄くほんのりあるかないか、食感は美味しさを織り上げるには程遠く、匂いもまったくもって食欲をそそられない仕上がり。いっそのことバーボンさんのほうがいい匂いをしている。バーボンさんに金を手間を注ぎすぎてコストカットの煽りを受けてしまったのだろうか。
 聞いた話では五感はそれぞれ再現するかどうかのオンオフとその程度がソフトごとに調整できるはずなのだが、なぜかこのソフトではそれらの設定画面がなく、まとめて強制的にオン状態になっている。もはや悪意があるとしか思えない。

「あぶない」

 流石に鬱憤が積もりに積もってこんなもの食べられるか〜! とちゃぶ台返しならぬトレイ返しをしたところ、バーボンさんはちょっぴり驚いたような顔をして、しかし淡々とそれらを片付けて、少ししたあとにまた同じものを持ってきた。

「あぶない」

 もう一回ひっくり返そうとしたらトレイを抑えて防がれてしまった。

「危なくなんてありませんよ」
「あぶない」
「大丈夫」

 バーボンさんは私の手首を取り、スプーンを握って幼児用っぽく仕切りのついた皿の一角に盛られていたドロドロのなにかを掬うと、私の口に近づけてきた。
 掴まれた手首はびくともしない。また半端にゲームっぽさが伺える。ちょっとはこっちに影響されるような動きを入れておかないとまるでとんでもない力持ちさんみたいになってしまいますよとご意見メールを送るべきだろうか。

「あぶない、あぶない」

 口を引き結んで首を振ってみても、そうじゃないんだって食べたくないんだってという気持ちがバーボンさんに通じている様子はない。不可解そうに首を傾げるばかりだ。
 そりゃそうだろう、食べ物を前にしてあぶないあぶないってそこにスタンドでも潜んでるかまんじゅう怖いの亜種かって感じである。
 しかしまずい≠ニかいやだ≠ニかいう語句がまだないのだ。

「いたい」
「……痛い? もしかして口の中切ったりしました?」

 比較的いや≠ノ近い言葉かと思って言ってみたところ、バーボンさんはスプーンを置いてはくれたが、かわりに怪訝そうな表情をして、なんと私の口に指を突っ込んできた。

「!!」

 うっかりびっくりして噛んでしまいそうになった。
 けれど実際にはもう一本入ってきたバーボンさんの指がぐっと口蓋を押し上げ、もう一本が下の歯の裏あたりを抑えていたおかげで、噛むどころかむしろ開かれる形になってしまっている。

「あ」
「別段傷も炎症も見当たらないですね」
「あー」
「どのあたりが痛みます? 本当に痛い?」
「あー!」

 首を振ろうにもなぜか動かないのでバーボンさんの腕や肩をばしばし叩く。
 違いますかね、と意外とあっさり指を引いたし、バーボンさんも元々本気で受け取ったわけではなかったのかもしれない。というか、この状況であの単語を言ったのでフラグが立ってやった行動にすぎないのだろうけれど。製作者は何を考えてこんな反応仕込んだんだ。口をこじ開けられて覗き込まれるってどんな羞恥プレイ。というか口の中までポリゴンちゃんと作られてるのか。
 引き抜いたバーボンさんの指はちょっぴりてらっと濡れていて、バーボンさんはそれをトレイの横に置いていたウエットティッシュで拭いた。いちいちそういうところは細かい。なんでそこにかける金を味には割り振らないのか理解に苦しむ。
 そもそもHMD自体が脳へのダメージを考慮して痛覚はごく薄くにぶめに伝わるよう設定されているので、いたい≠ニかいう語句も必要がないと思う。このゲーム、やればやるほど他に頑張るとこあっただろ感がすごい。

「あぶない、いたい、いたい」

 手の力が緩んだスキにバーボンさんから距離をとり、部屋の隅へと逃げる。バーボンさんは追いかけては来ず、視線を向けてきただけだ。

「どうしたんですか、昨日までと同じものですよ。昨日はちゃんと食べていたのに……」

 困ったようにため息をついて、バーボンさんはおもむろにトレイに手を伸ばし、スプーンに乗せていたどろどろの緑をぱくりと口に含んだ。

「……」

 ぎゅむっと。
 端正なお顔のパーツが総じて若干真ん中に寄った。と錯覚しそうなほどバーボンさんは顔を顰めた。それからトレイを持ってスッと立ち上がって、無言で退室していった。

 そんなことは今まで一度もなかったのでちょっとポカン。
 いつもなら「また来ますね」とか「○○持ってきますね」とか声をかけたりするのに。今度はなんのフラグが立ったんだろう。
 食いっぱぐれたわけだけれども、ここでは空腹っぽい感覚や空腹値っぽいゲージはあれど、食べたからと言って得た満腹感やゲージの値が現実に影響することはもちろんないので、単にまずい味感じなくて済んでラッキーってなだけである。万々歳。
 しかし何もすることがなくなってしまった。
 ヒマつぶしにウェットティッシュをえいえいと引っ張り出す。数十枚で空っぽになってしまったが、中身が自動で補充されたり引き抜いたティッシュたちが光の粒となって消えたりすることはない。二枚つまんで結んでみようとしてみたものの、ただただスウン……スウン……と二枚のティッシュ同士を撫で付け続けるという奇行にしかならなかった。
 日頃自分が現実でやっている行動がいかに高度か分かる、大変有意義な時間だった。ウソ。超無駄。


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