05

 下手を打ったという自覚はある。
 しかし失態の原因を定めきれずにいた。

 見せられた牙に過剰に反応してしまったのが失望を招いたか。
 弱みにつけ込みつけ上がる者でなく、利を求め牽引に応じる者こそを炙り出す言葉だったのか。
 ――まさかあれは、本音だったとでもいうのか。
 愚か者の呼び水などでなく、彼は本当に、その身を支え引き上げてくれる手を、外の世界で生かしてくれる、同じ世界でともに生きる人間を望んでいたと?

 悪意策謀一辺倒な奴ならば、ああ惑うこともなかったのに。
 己の不足を相手に転嫁しても仕方のないこととはいえ、そう思ってもしまった。

 一日、三日、一週間。
 過ぎるのはあっという間に思えても、傷が癒えるにはもどかしいほど遅い。ラムの言う“しばらく”の終わりを告げられることもない。
 何もしない、できない時間というのは、ただ不安を煽り、焦燥に駆り立て、精神を蝕む。普段ならば馬鹿らしいと切り捨てるような考えも湧いてくる。
 キルシュは僕の部屋を訪れることなどなかった。当たり前だ、はじめにそう言っていた。接触したければ僕が動くしかないのだ。現状それ以外に出来るようなことはなく、そしてこの期を逃せばしたくとも叶わなくなる。
 さして重大な被害が出るわけでもないエラーならば、トライを重ねるべき。今のうちに、やっておくべきなのだ。


『どうぞ』

 インターフォンを鳴らして帰ってきたのは、先日よりもさらに素っ気ない言葉だった。冷たくも聞こえてどきりとしたが、それでも拒むものではないし、ロックは解除されたから、とノブを掴んだ。
 扉を開け中に入り、耳慣れない音に一度足が止まった。
 ドンドンと、重く、やや不穏な響きは、あの奥の部屋からだ。

「待ってくれ、今手が離せない」

 音が廊下まで漏れ出ていたのは、モニタと同様机に並べられた、サブウーファー付きのそれなりに大きなスピーカーのせいらしい。
 キルシュはあのチェアに座ってパソコンに向かい、僕にちらとも視線をくれずモニタを凝視して、カチャカチャと音を立てながら、キーボードとマウスをせわしなく操作していた。

 画面を覗くと、やっているのはまた3Dのゲームのようだった。
 しかし先日とは違い、操作対象のキャラクターはおらず、画面中央下に無骨な武器と、それを持つ手が映るのみ。
 視界をそのまま表現したような画面は目まぐるしく景色を変える。まるで監獄のような、薄暗く閉塞感のある屋内を駆けていき、廊下の先に人影が現れると、一瞬だけ円形の縁と十字が現れ、画面下の武器が火を吹いた。マウスのカチリという音とともに、スピーカーからバン、と鈍い音が響く。画面中央に英字の羅列と数字が表示されて消える。
 視界はその後も何かの荷らしいものや、壊れた瓦礫のようなものの陰に隠れるようにしながら進み、時折下から映り込んだ手がその向こうに何かを投げていく。銃を持つ人間が映るたび、あの鈍い音と同時に文字が流れる。CS5、KILLED、BONUS、100、25。手は武器に付いたボルトを引いて戻す。薬莢らしきものが飛び、小さな金属音が鳴った。
 どこからか、破裂音や、断続的な発砲音がする。通信機器越しのような不明瞭な声や、叫び声のようなものも。
 しばらくそうして屋内を駆け回った末、雪山のような景色の場所に出たところで、画面が揺れ、縁に血のような赤い染みが滲み出て止まった。直後に暗転し、“YOUR TEAM WON!”の文字が、それまでのものより大きく浮かび上がる。その下にはヴァーサスの字を挟むよう、国旗と数字。

「あー……」

 その画面から察するに“YOU”とはキルシュのことのはずだが、彼が上げたのはあまり嬉しそうでなく、やや間の抜けた、惜しそうにも聞こえる声。
 キルシュはいくつか操作をすると、一度伸びをしてチェアを半周させ、僕のほうを見た。

「悪い、調子が良かったから」
「い、いえ。急にすみません。……ええと、それって」
「FPSだよ。一人称視点のシューティングゲーム」
「そういうのもやるんですね」
「ああ。結構面白いから」

 脳裏に浮かんだのは、自動小銃だ。先程通りがかりに少しだけ触れたが、今日は鍵が掛けられていた、あの部屋の。
 画面に映っていたのは、あれとは違って長いマガジンがない、スコープ付きの銃。

「あの……あれ、スナイパーライフルですよね?」
「ん、ああ、そう」

 それなのに、スコープを覗くのはいずれも一瞬で、あるいは覗きもせず、交戦距離は十数メートルがほとんど、出会い頭にニメートルもない至近距離で発砲している時もあった。とてもスナイパーライフルを使うのが適しているとは思えない戦場と立ち回りだ。
 僕の言いたいことが分かったのか、キルシュは「ゲームはやらないんだったな」と苦笑した。

「凸砂――所謂“突撃スナイパー”だ」
「と、突撃……」
「現実じゃおかしな戦法だが、死んでもスコアに響くだけで、復帰地点からやり直せるから」
「わざわざそうするのには、何か意味が?」
「スナイパーライフルはアサルトライフルやライトマシンガンなんかに比べてダメージ値が大きく設定されていて、普通は数発撃ち込まなければいけないところを、ほぼワンショットで殺す事ができるんだ」
「あまり使っている人はいないようでしたけど」
「取り回しが面倒だからな。弾の装填数が少ないし、コッキング動作があって連射出来ない分、初弾が当たらなければすぐやられる。火力のある近接武器ならショットガンの方が勝手が良い」
「スナイパーライフルが好きなんですか?」
「いや、別にそういうわけじゃない。単に遊びでやってただけだ」

 ゲーム自体遊びじゃないのか、とは言わないほうがいいんだろう、多分。
 キルシュが小さく首を傾げる。

「これには興味があるのか?」
「いえ――、」

 ここで事実を言えば、またくるりとチェアを回して、モニターの向こうに意識を飛ばしてしまうんだろう。

「そうですね、あります」
「ならやってみるといい。教える」
「え」

 振り出しに戻るのが癪で返した言葉だが、キルシュは僅かに表情を和らげ、するりとチェアから降りて隣に立った。
 チェアもそうだし、パソコンもモニターもキーボードもマウスも、そこらから適当に誂えたのでなく、目的を持って選び抜き買い揃えられているのが見て取れるのだ。己のためだけに買ったのだろうそれらを、一時的にとはいえ簡単に明け渡そうとするのが意外で、思わず反応に遅れてしまった。

「い、いいんですか……?」
「ああ」

 そろりと腰を下ろしたゲーミングチェアの座り心地は、見た目は似ていても、僕の持っている車とはまた少し違う。だが、これなら長時間座っていても一般のデスクチェアより疲労はぐっと少なくなることだろう。
 横に立ったキルシュがマウスを動かしいくらかカチカチと操作をすると、正面のモニターの画面が切り替わった。
 人気なく静かで、ならされた地面の向こうには、明らかに意図的に配置されている土嚢やコンクリートの壁、人を模した板などがある。射撃演習場らしい。少し遠くを見れば青空と海があり、ヤシの木のようなものまで見え、どこか南国の島のような風景だ。

「マウスは全部。キーボードはこの辺を使う」
「はい」

 慣れない手つきでマウスとキーボードに手を置く僕に、キルシュが教官さながら指示と説明をしていく。
 ASWDで移動、Ctrlでしゃがみ、Zで伏せる。スペースでジャンプ。銃を撃つのは左クリック。右クリックでスコープを覗く。リロードや武器の切り替えも本来キーボードでの操作になるが、通常よりもボタンが多いマウスの側面、親指や人差し指で押せる部分に割り当てているらしい。
 立ったまま、それから土嚢の傍にしゃがみ、伏せ、壁の後ろから覗き、的を撃つ。少しずつ距離を離していく。移動しながらも撃つ。並ぶ的を連続して撃つ。セカンダリに切り替えて撃つ。グレネードを投げる。
 それだけでなく、キルシュは地雷やC4やビーコンの設置、UAVの操作、果てはバギーやヘリ、戦闘艇、ステルス機の操縦と機銃やミサイルの発砲まで教えてきた。

「なかなかいい」

 一通り終えると、机に手をつき画面を見ていたキルシュが、緩く笑った。


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