04

 平静さは、それが単なる例え話などではなく、為し得るだけの術を持つのだということを如実に物語っていた。
 他者を退けその意志を削ぎ、そしてあやめるのは、何も暴力ばかりではない。

 勧められたソファは、キルシュが座る、まるでスポーツカーのシートのようなゲーミングチェアと違い、特にこだわりなく買ったのだろうことが分かる。それでも作りは良く、座り心地を悪く感じさせているのは己の精神によるものなのだと自覚した。
 キルシュは明るく社交的というわけではないが、口が重いわけでもないし、ジンのように攻撃的でも、排斥的なわけでもないようだ。穏やかな語調は、そこらの構成員よりも断然相手がしやすく、いっそ御し易いのではと思わせるほど。
 しかしここでそれに乗ってしまえば、きっと“バーボン”は今止まりだ。
 そうして“不可”をもらった人間がいるに違いないと考えれば、よく回る方だと思っていた舌がやや鈍り、少しだけ固くもなる。

「……参考までに、あなたが“友人”として判ずるために考慮を払う要素を教えてもらえませんか?」
「なんだ、きみがなってくれるとでもいうのか」

 ラムを“友人”などと呼び、それを裏打つように軽くコンタクトを取ってみせ、荷を預かり、“仕事”を任される男。
 もし僕を“友人”と見做し、その言葉通り僕という“友人”のため、頼みを聞き、手を貸し、邪魔者を排除してくれるというのなら願ってもない。僕の“仕事”は安全と確実を増し捗ることだろう。

「名乗りをあげたいところですけど」
「メリットがないように思えるな」
「“友人”に益を求めるんです?」
「損ばかり蒙る付き合いなんてやってられないだろう。足を引っ張られて尻拭いに時間も労力も消費する一方なのじゃあ、“友人”でなくお守りだ」
「そうですね、ごもっとも。――ではあなたは、そういう、何らかの優れた技能を持つ人間を好ましく思う?」
「煙たがる人間はいないんじゃないか」
「いますよ。羨み妬み、挙句排除を目論む人間が、己より劣る存在を手元に置きたがる人間が、五万と。特に持つもの少なく程度が低い者には顕著に表れる傾向です」
「幸い、俺の周りには今のところいない」
「それは良い環境ですね」
「本当にそう思うか?」

 僕は、と首肯すれば、キルシュがわずかに目を細める。
 少なくともやっかみを受けない、視界の内で示されないというのは、余計な気を回す対処を迫られずに気楽だろう。悪感情に気づかないというのであれば問題だが、この男ではそれもあるまい。ましてや他人に向けることもなさそうだ。必要がない。
 それがどういう土壌に拠るものであれ――意図的に作り上げられたものにせよ、いいことじゃないか。
 他人を疎ましく思い、憎悪を向け、執着するのはひどく疲れるし、己すらも不愉快な存在へと成り果てる。そんなもの、可能なら持たない方がいい。

「“友人”に求めるものか……」

 キルシュは片足を椅子に乗せ、その膝に寄りかかるようにした。それが癖なのかもしれない。片手で自分の髪に触れ、細く一房摘み、指先にくるくると巻きつけては解く。

「癒やしが欲しいかな」

 いやし。
 少々予想外の言葉で、理解が一拍遅れ、は、と間抜けな息を出してしまった。

「そういうやつはいないんだ。これまで特に得ようとも思ってなかった」
「ええと……心変わりを?」
「歩を進めれば進めた分、足には疲労が蓄積する。それだけでなく全身に。気力、体力、精神力。生き抜くためのちからが、己じゃ補えない時というのが、どうしてもある。たまに無性に欲しくはなるんだ。ただ、別になければないで、諦めれば済む話だから」

 言い様はさらりとしているが、その中身は弱音とも取れる。
 そんなことを、会ったばかりの僕に、なぜ。
 いや、一方的に知られてはいたのかもしれないが。僕の反応を伺っているのか。
 それからキルシュは、また思案するよう、ほんのわずか視線をよそへ向けた。
 ふと思いついた、とでも言うように巻きつけていた髪からするりと抜き、指を立てる。
 大事なことがあった、と。
 促せばそれまで通り、なんでもないような声で続けた。

「簡単に死んだりしない、同じ世界にいてくれる奴」

 その言葉で脳裏を過ぎったのは、若くしてこの世を去った友たちだ。快活に、親しげに笑い、ときに馬鹿げたこともしながら、高潔に心を燃やし、条理と正義を語る理性的な声を、眩いと、灼かれるとさえ思わせる瞳を持っていた男たち。
 ふっと、目の前の男に合っていたはずのピントがぼやけた感覚がした。懐古は視界にすら巡り出す。
 だが湧いたそれらを拭い去るのは難しくない。
 慣れたこと、もう幾度も繰り返していること。

 ――重要なのは使命と信念だ。感傷なんかじゃない。

「それなら、僕はうってつけかと」

 高い能力をもつ自負も、実力もあった。
 大抵のことはこなしてしまえる。命じられればなんでも。愚かな嫉妬や野心も悟らせやしない。慰めならいくらでも、それが愛撫だろうとしてみせる。しぶとく生き残るのだってお手の物だ。現にあの、死も已む無しとしていただろう状況で、たったこれだけの銃創ひとつで帰還し、ここまで辿り着いた――。

 特別上手く作ってやった笑顔は、しかしあまり効いたようでなく、むしろキルシュは素気無く返した。

「いいや。きみは、まず大前提がない」
「なんですか、それって」
「分からないか?」

 咄嗟にでも、それらしい答えを幾らか考えられはした。けれどそのどれも、男が求めているものとは違う気がして、結局、何一つ捻り出せない人間と同じく、ただ喉を詰まらせることしか出来なかった。
 じとりと、背に汗が滲む。

「……」

 さして使っていないはずの舌がひどく疲れた気がする。口内はからりと乾いて、それを紛らわす唾液がせわしく分泌されているはずなのに、うまく染み渡らせることができない。

「別にいい、無理することない。俺に気を遣う必要もない。好きなようにすればいい。ゆっくり休んで、居るべき分が過ぎれば、構わず去ってくれ」

 僕の唇がもたついている間に、キルシュはそう言い切って、くるりとチェアを回した。彼がマウスやキーボードを弄りだすと、真っ暗だった他のモニターも点灯する。
 キルシュの瞳はもはや画面だけを見据えていて、僕など意識の内にないようだ。
 それはまるで、不合格の烙印を押されたような、有罪の槌を打たれたような心地を齎し、ガチャガチャと鳴るキーボード音は、鼓膜を通して屈辱を叩きつけるかのようだった。


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