29

 暗闇には何も映らない。目を閉じているのだから当たり前だ。しかしどうしてだかそこに、何かが浮かび上がるはずだと思っていた。
 ぼんやりと、膜を張った向こう側から、声のようなものが聞こえる私を呼んでいる、ような気がする。微睡みかけていた意識を引き締めて、自身に覚醒を促す。
 瞼を開く感覚を、生々しいと感じた。

「君は――なんて事をするんだ!」

 視界を占めたのは、怒りと焦燥を混ぜたような顔つきのバーボンさんだ。背後には白い天井と壁。はじめにいたところと似ているようで違う。僅かに開けられていたらしいそばの窓から、ふわりと風が入ったのだ。そこから外へ漏れ出てしまったのではという滅多にない彼の怒鳴り声は、鼓膜だけでなく脳まで叩くかのようだった。そう思ったところで、それだけじゃなく頭が痛むことに気づいた。

「ばーぼん」

 発した声に違和感を覚えた。いつもと響きが違うように感じられる。何も変わらないはずなのに。

「……もういいんです」

 また呆れられたのだろうか。バーボンさんはこみ上げた何かを飲み込むようにして細く長く息を吐き、改めて私を見据えると、眉を下げて笑んだ。

「終わったんです。終わってもよくなったんだ。あなたのおかげでね」

 あたたかな手が頬に触れて、熱が伝わる。

「僕のことは――零、と呼んで」

 初めて聞く言葉だ。そう思うと、視線が何かを探すよう、勝手にあちらこちらを彷徨った。映るものは同じだ。ここには彼しかいない。

「れい」

 彼のそれを真似した音。それを、自らの意思で口に出来たことが、ひどく奇妙に思えた。
 何かが終わった、という、漠然とした感覚がぶわりと湧き出て、胸に渦巻く。同時に、何かが始まってしまった、取り返しのつかないことをしてしまったという、正体の分からない焦燥が全身を巡り肥大していく。それらを誤魔化すようにもう一度、与えられた二文字を繰り返すと、彼は柔らかな笑みで私を抱きしめた。



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