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 バーボンさんは険しい顔をしている。なるほどさっきのは何らかの分岐になっているらしい。

「……なぜあんなことをしたんですか?」
「しっぽ」
「……」

 はあ、とため息を漏らし、バーボンさんは一度会場の扉をちらりと見やって、反対方向へと歩き出した。私の手首をしっかり握りつつ、もう片手でスマホを弄る。エレベーターを降りた先は見覚えのある廊下だ。走れと指示されたところである。

「迎えが来ます。あなたはそこに行って―」
「だめ」

 また指をさそうとするので、こらこらっとその指を握り込む。

「ばーぼん、かえる」
「……僕はまだしなくちゃいけないことがあるので。帰りたかったんでしょう? 家じゃなく、彼らと一緒にしばらく待ってもらうことになりますけど、僕も後で行きますから」
「だめ、あぶない」

 このままだとこれまで通りになってしまうのではないかと慌ててそう言い、解かれた手を今度は腕ごと腰に巻き付けたら、なんとバーボンさんは振り払わずに止まってくれた。

「……」
「……」
「…………」

 しばらくじーっと見つめあった後、バーボンさんは軽くちょろちょろとタップ操作をするとスマホを仕舞い、私を引き剥がすことなく腰を脇に抱える形でひょいっと持ち上げて移動し始めた。過去には私が一人で転びそうになりながら走った廊下をだ。
 普通に歩いていたようなのに、私が走るのとさして変わらない速度で例のガラス戸を通過した。コンパスと経験の差、無知な人間となすべきことを知っているNPCとの差。激しく実感。


 バーボンさんは途中で誰に出会うこともなくあの丸っこいポルシェのもとまで辿り着いた。
 それから誰に促されるでもなく躊躇いなく扉をぱっと開けて乗り込んでしまう。勝手知ったる人の車。それくらい気安い関係なのだろうか。

「おい」

 と思ったら助手席からツッコミが飛んできた。

「何故てめえも来てやがる」
「臨機応変に対応したまでです。情報は生きて持ち帰ってこそ、希少であればこそ価値がありますからね」

 何それどういうこと詳しく、と掘りたがったのは私だけだったらしい。アニキさんは、フン……みたいな納得なんだか放棄なんだかの息を漏らして黙り込んでしまった。そんななんか……分かり合ってる仲なの?

「出しますかい? アニキ」
「……ああ」
「そいつが例の――」

 エンジンをかけながら、バックミラー越しに私を捉える。そうなんだろうということはなんとなく察せられる、黒いサングラス。運転手が変わっているということはないらしい。

「うぉっか」
「なんだ? 教えたのかバーボン」
「……、ええ、本来ならあなたが回収しに来る予定だったでしょう?」
「そりゃ物覚えが――いいんですかね?」
「歳のわりにはな……」

 ウォッカさんはアニキさんに話しかけるときはころっとトーンが上がってちょっと面白い。アニキさんの方は面倒そうな感じにボソッと返していたけども、それでもウォッカさんには充分なようで、先程途切れさせたものとは打って変わって、グー○ル先生が言ってたから間違いない! インド人嘘つかない! とばかりに確信をもった調子の声で「大したもんだぜ」とバーボンさんに言い放ってハンドルを回した。

「うぉっか、よろしく」
「なんだ、お行儀いいな。でもそりゃアニキに言っとけよ」
「あにき=Aよろしく」
「……」

 アニキさんは相変わらず黙ったまま、バーボンさんもアニキさんの名前を教えてくれたりはしなかった。ただただ薄っすらとした笑みを浮かべたまま、私の肩をギュッと抱くばかりである。

「それで、割れたのか」
「ええ。尻尾を出してくれましたからね」
「切られちゃいねえだろうな」
「もちろん。――ああ、ほら、彼女からもそう来ています。報告は向こうから。醜悪で間抜けな尾をどうするかは、そのうち命が下るでしょう」
「ラムの指示か……」

 それを堺に、三人の会話は、何かを喋っているのは分かるのに、その内容は分からないという、絶妙な音響へと切り替わる。無聊を慰めるが如く、一つとして同じポリゴンやテクスチャはないのではというやけに凝った街並みが窓の向こうで流れていく。ちらちらと入ってくるきらびやかな光と、走行音。数分から十数分はそうしていたと思う。何をするでもなくただぼおっとする、ずいぶん贅沢な時間の使い方である。リアルではやろうと思ったってなかなかできないだろう。


 車は大通りからやや細い路地のような場所に入り込み、数度右左折をしながら光のすくない道を進み、ある地点で停まった。店名や社名を示すような看板もなく広告も少ない、四、五階ほどの低めのビルが並ぶエリアだ。

「ちょっと、一本ズレてるわ」

 遠慮のない調子で開けられたドアの向こうには、ベルモットさんが立っていた。思わずドキッとしてしまう。直近の彼女は死神みたいな役割だったものでつい。


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